昭和46年(1971年)創建と新しい神社だ。 港東通交差点西、名鉄常滑線高架下近くのビルの脇に鎮座している。隣のビルはたからやビルという。近くに「旅館たからや」があるから、その関係かもしれない。 江戸時代後期に創建された神明社(宝生)はこのすぐ東にあった。ここは宝生新田の北の端だったところだ。神明社(宝生)は大正元年(1912年)に遷座した。 境内というか敷地内に宝生本町公民館がある。入り口にはロープが張ってあって侵入者を拒む。参拝するためとはいえ入っていいのかどうかやや迷いつつ、こちらは神社サイトをやらねばらないのだと心の中で言い訳をしてロープをまたいだ。 ちょっと面白かったのは、公民館のシャッター脇に「賽銭箱→」というプレートがあり、コイン投入口が設けられていることだ。初めて見るパターンだった。
神社が創建された昭和46年は、高度経済成長の末期で、交通は市電から自動車に移り変わっていく時代だった。 この宝神社の敷地は名古屋市交通局の所有で、そこを買い取ったものだ。この時期、市電は次々と廃止され、昭和49年(1974年)に名古屋市の市電は全廃となる。その整理にともない土地を売りに出していたということだろう。 ちなみに、港東通を走っていた市電は東臨港線という路線で、笠寺延長線、笠寺線とつながっていた。 最盛期の路線図を見ると、名古屋市内中に線路が張り巡らされていて、今の地下鉄よりよほど便利だったことが分かる。 こんな時代背景を考えると、昭和40年代に入り港東通あたりも人口が増えて、神社のひとつも建てようということになったのだろう。 『南区の神社を巡る』によると、主祭神は熱田大神で、末社の秋葉社に迦具土神を祀っているようだ。
主に町内の住人のための神社なのかもしれないけど、入り口にロープが張ってあれば参拝できないと思って帰ってしまう人もいるんじゃないだろうか。無断駐車されないようにということなのだとしても、参拝者用の入り口くらいは作っておいてもいいんじゃないかと思う。
作成日 2018.4.16(最終更新日 2019.8.27)
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