同じ中志段味にある諏訪社(地図)の分社ではないかと思うけど、情報がほとんどないため詳細は不明。
中志段味諏訪社とは900メートルほどしか離れていない。紛らわしいので南原の諏訪神社と呼ぶことにする。
中志段味諏訪社は古社で、津田正生にいわせると『延喜式』神名帳(927年)の山田郡澁川神社は中志段味の諏訪社ということになるのだけど、もしかしたらあり得るのではないかと思わせるようなところもある。
南原諏訪神社はそれほど古さは感じない。規模もごく小さい。
今昔マップを見ると、南原は中志段味村の中心から離れた小さな集落で、その集落の外れだった場所に諏訪神社はある。
明治22年以降の地図に一度も鳥居マークは表れない。
いつ誰がこの場所に諏訪神社を建てたかは分からない。
『寛文村々覚書』(1670年頃)、『尾張徇行記』(1822年)、『尾張志』(1844年)など江戸期の書を見ても、南原の諏訪社に関する手がかりは得られない。
中志段味村にあった主な神社は諏訪明神、熊野権現、山神だった。その後、江戸時代後期にかけていくつかの境内社が諏訪社の中に建てられていった。
諏訪神社と並んで参拾番神社と吉嶽稲荷神社がある。
参拾番神社はもともと字西原にあった番神堂(ばんじんどう)をここに移したものだ。
三十番神は明治に入って神仏分離令で廃止になったため、神社としてはほとんど残っていない。私の知る限りここ中志段味南原と千種区茶屋が坂(三十番神社)にある。熱田区二番町の熱田社は、もともと三十番神だったものを明治になって熱田社として生き延びた。港区の神明社(茶屋後)や神明社(東茶屋)などには境内社としてある。
三十番神というのは、全国の有名な神社の祭神を30柱集めて、一日交替で守ってもらおうというもので、神仏習合時代はわりとポピュラーな信仰だった。
最澄が比叡山に祀ったのが始まりとされ、鎌倉時代に流行した。
後に日蓮宗、法華宗で重視され、法華経守護の神とされた。
神道では吉田神道が三十番神を祀っていた。
いくつかのバリエーションがあるのだけど、その中のひとつを紹介すると以下の通りだ(神社名は現在のもの)。
1 熱田大明神 熱田神宮
2 諏訪大明神 諏訪大社
3 広田大明神 広田神社
4 気比大明神 気比神宮
5 気多大明神 気多大社
6 鹿島大明神 鹿島神宮
7 北野大明神 北野天満宮
8 江文大明神 江文神社
9 貴船大明神 貴船神社
10 天照皇太神 伊勢神宮内宮
11 八幡大菩薩 石清水八幡宮
12 加茂大明神 上賀茂神社・下鴨神社
13 松尾大明神 松尾大社
14 大原大明神 大原野神社
15 春日大明神 春日大社
16 平野大明神 平野神社
17 大比叡権現 日吉大社西本宮
18 小比叡権現 日吉大社東本宮
19 聖真子権現 日吉大社宇佐宮
20 客人大明神 日吉大社白山姫神社
21 八王子権現 日吉大社八王子社
22 稲荷大明神 伏見稲荷大社
23 住吉大明神 住吉大社
24 祇園大明神 八坂神社
25 赤山大明神 赤山禅院
26 建部大明神 建部大社
27 三上大明神 御上神社
28 兵主大明神 兵主大社
29 苗鹿大明神 那波加神社
30 吉備大明神 吉備津神社
どうしてこの神が入っていてあの神が入ってないのかとかはあるものの、これだけの豪華メンバーに守ってもらえれば怖いものなしだ。
かつてはそれぞれの神像が作られて祀られていた。今でも日蓮宗の寺では三番神像を祀っているところがある。三十番神フィギュアがあればちょっと欲しい。
吉嶽稲荷神社も他からここに移したものだと思うけど、まったく情報がないため何も分からない。
諏訪の神と三十番神と稲荷が同居する境内というのを想像すると楽しい。狭い敷地はぎゅうぎゅうだ。いつからここで同居することになったのかは知らないけど、仲良くやっているだろうか。
作成日 2018.522(最終更新日 2019.1.25)
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