新屋敷公民館の敷地の中にある社。 町名の新西(しんにし)は、新屋敷と西山の字名を組み合わせたもので、昭和58年(1983年)に猪高町大字猪子石と猪高町大字猪子石原の各一部より成立した。西側の一丁目が西山で、東の二丁目が新屋敷に当たる。 新屋敷は猪子石村にあった集落のひとつで、かつての新興住宅地といったところだ。 今昔マップを見ると新西地区に民家が集まっていたことが分かる。これらは農家で、戦前まであまり増減はなく40戸ほどあったという。 戦後の昭和40年代以降に住宅地となって民家が増えていった。
小さな天王社がたくさん残るのは守山区一帯なのだけど、名東区、千種区にもいくつか現存している。 守山区は天王社を単独で祀っているところが多いのに対して、名東区、千種区は秋葉社とセットになっているところが多い。この新西もそうだ。 おそらく集落の別々のところにあったものをここにまとめたということだと思う。新屋敷と西山にそれぞれあったものかもしれない。 創建時期に関しては予測が難しい。天王社を名乗ったのであれば江戸時代ということになりそうだけど、明治、大正、昭和のどの時代でもあり得る。 秋葉社に関しても分からない。 現地でも年数などを知る手がかりは見つけられなかった。
公民館の裏手(南側)に回ると、10体の石仏がずらりと並んでいる。石仏といえないような石を入れると11体だ。 観音像が多く、統一感があるようなないようなだ。一部は地蔵像だろうか。 最初からここに並んで祀られていたとは思えない。集落の各地にあったものを集めた可能性が高い。 猪子石の南には蓬莱谷(よもぎだに)と呼ばれる低山があって、そこに観音堂があったので、そちらとの関係も考えられる。猪子石村に観音信仰があったかもしれない。
社の後ろには一本の桜の木がある。 社を覆うように葉が生い茂って光と影の模様を描いてた。春は桜の花が咲いてきれいだろう。桜吹雪の頃にまた訪れたいと思った。
作成日 2018.6.2(最終更新日 2019.2.17)
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