名古屋港築港三号地に当たることから築三町(つきさんちょう)と名づけられた町にある築三神社(つきさん-じんじゃ)。 江戸時代の干拓によって作られた熱田前新田と作良新田の先を埋め立てて作ったのが名古屋港で、築地口交差点の南が一号地、二号地、中川を挟んで西側が三号地、四号地だった。明治40年(1907年)、名古屋港の歴史はここから始まった。 現在の築三町は化学系の工場が多く、民家もそれなりに建っている。飲食店や商店なども少しある。 南の築地町はほとんど工場が占めている。 この地区に化学工場が建てられ始めたのが昭和初期のことだった。 昭和20年の空襲では名古屋港も工場群も壊滅的な被害を受けている。 戦後ようやく復興したと思ったら昭和34年の伊勢湾台風でまたも大きな被害に見舞われてしまう。
この神社がいつ建てられたのかは分からない。戦後かもしれないし、戦前かもしれない。明治末や大正という可能性もなくはない。 社号標には昭和三十三年十月建立とある。これが創建の年なのか、再建なのか、社号標だけ新しくしたのかは判断がつかない。 真ん中当たりで斜めに亀裂が走っているから、伊勢湾台風のときに折れて倒れたのを継いでいるのかもしれない。 狛犬は落ちてバラバラになったのだろうか。継ぎ接ぎだらけで不格好な姿をしている。しかも、一体しかない。 金銭的な余裕がなくて新調できなかったというのもあるかもしれないけど、伊勢湾台風の被害を語り継ぐためにあえてそうしたとも考えられる。 本社はお堂のような覆殿に収められている。このあたりは海に近いから潮風から守る意味もあるのだろう。 祭神について知るための手がかりは得られなかった。アマテラスの神明系か熱田社系の可能性が高そうな気がするけど、そう決めつける根拠があるわけではない。
殺風景な工場地帯のちょっとしたアクセントというかオアシスとしてこの神社は機能しているのではないかと思う。 小さな神社でもないよりあった方がずっといい。それは失ってみないと気づけないことかもしれないけど。
作成日 2018.6.29(最終更新日 2019.7.18)
|