川中町の成願寺西部公園内にある小さな社。 名前の分からない不明社かと思ったのだけど、境内にある石柱のひとつに「奉納川中神社奉賛会」とあるので、川中神社と称しているようだ。 川中町は文字通り川の中だったところだ。昭和5年(1930年)に矢田川の付け替え工事が行われて北に移されるまでは、今の成願寺公園、猿塚公園、西部公園のところを矢田川が流れていた。 江戸時代までは、庄内川と矢田川に挟まれた狭いところに成願寺村、中切村、福徳村があり、明治には川中村と呼ばれた。その頃の様子は、今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見るとよく分かる。 昭和5年以降の地図を見ると、昭和7年(1932年)頃は川底だった場所は空き地か畑くらいにしか利用されていない。 戦中、戦後の状況がよく分からないのだけど、大きく四角で囲われた土地になっている。 戦後しばらくすると区画整理されて完全な住宅地になった。
社がある成願寺西部公園ができたのは昭和38年(1963年)なので、この神社ができたのはそれ以降ということになりそうだ。 もしくは、もともとここにあった神社の境内地を公園にして神社を縮小したという可能性もある。 ただ、社を見るとこれは屋外用ではなく屋内用の神棚だ。どこか一般家庭で祀られていたものを外に出して町内神社としたのかもしれない。 使う木材にもよるのだけど、銅板葺き神明造の社はけっこう高くて数十万円はする。それでも、屋外用の一般的な社に比べると彫り物などない分、安いのだと思う。しっかりした流造の社などは数百万円するだろうか。 いずれにしても祭神は、伊勢の神か、もしくは屋根神様として定番の熱田・津島、秋葉ではないかと思う。 「奉納川中町自治会」と刻まれた石柱や寄進者の名が彫られた玉垣はそこそこ古い。昭和後期といったところだろうか。 社を載せる台や石灯籠はまだ新しい。雨よけの屋根も最近取り付けたものに見える。 こういった小さな神社でも、多くの人の協力がないと建てることは難しいし、建てておしまいというわけにはいかないから、維持していくのにも手間やお金がかかる。 ここは川中町の人たちが大事にしているようなので安心だ。
作成日 2018.7.27(最終更新日 2019.1.12)
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