神社関連用語解説

相殿(あいどの) ーーー 二柱以上の神様がひとつの社に同居して祀られること。あいでん、ともいう。
 同居。ルームシェア。神様同士の相性はあまり考慮されないことが多い。

赤丸神事(あかまるしんじ) ーーー 7歳までの子供のおでこに筆で朱の丸を付ける神事。子供の夜泣きやかんしゃくなどは疳の虫(かんのむし)が暴れるからと信じられていて、それを封じ込めるためのおまじないとして額に赤丸をつける風習が伝わった。

葦原中国(あしはらのなかつくに) ーーー 地上界=日本国のこと。神々のすむ天上界を高天原(たかあまはら/たかまがはら)、死者のすむ根の国、黄泉国(よみのくに)に対して中間にあり、葦が群生する世界ということでそう呼ばれる。

天野信景(あまの さだかげ) ーーー 江戸時代中期(1663-1733年)の尾張藩士で国学者。代表作は『塩尻』(170巻余)。尾張国内の神社研究の書『本国神名帳集説(ほんごくじんみょうちょうしゅうせつ)』の著者としても知られる。

天津神(あまつかみ) ーーー 天照大神(アマテラス)に代表される高天原にすむ神々のこと。それに対して大国主(オオクニヌシ)のように地上界(葦原中国)にすむ神のことを国津神(くにつかみ)という。

荒霊(あらみたま/あらたま) ーーー 和魂(にぎみたま)が神の穏やかな面を表すのに対して、神の荒々しい面を荒霊という。古代の神社では荒霊と和魂をそれぞれ別に祀るところが多かった。荒霊は災害をもたらし、和魂は恵みをもたらすものといういい方もでき、本来神はそういう両面を併せ持つ存在と考えられていた。

伊勢神道(いせしんとう) ーーー 伊勢の神宮の外宮の神官(禰宜)を務めた度会氏(わたらいうじ)が「神道五部書」を基にして唱えた神道説。外宮神道、度会神道ともいう。
 中世になって神仏習合が定着する中、仏が主で神が従ということに納得がいかなかった度会氏は、神こそが主で仏が従であり、豊受大神宮の神である豊受大神は國常立尊や天御中主神と同じく根源神であり、内宮のアマテラスよりも上だと主張した。
 鎌倉時代末から南北朝時代にかけて
度会行忠、家行、常昌らが伊勢神道を体系化した。
 その後、一度は下火になるも、江戸時代に入って出口延佳(度会延佳)によって復活し、儒教や仏教、道教などを取り込んで発展した。
 → 神道五部書

一宮(いちのみや) ーーー その地域(律令国)で最も格式が高く土地の人間に崇敬されている神社を一宮と定めたとされる。二宮、三宮、地域によっては四宮まであった。
 すべては『延喜式』神名帳に載る神社で、地域性を重視して国津神を祀る神社が多い。
 律令制において、国司が任地に赴いたときに回る順番で一宮、二宮というように決まったという説もある。
 尾張国の場合、一宮は一宮市の真清田神社、二宮は犬山市の大縣神社、三宮が名古屋市の熱田社だった。時期によって一宮が大神神社、二宮が田縣神社だったことがあるともいわれる。
 一宮市の由来は一宮の真清田神社があることから来ている。

磐座(いわくら) ーーー 社殿に神を祀るようになる以前、神は自然の木や岩や山などにいつくと考えられていた。そのうちの神の依り代となる岩(石)のことを磐座という。石を神に見立てる信仰は縄文時代かそれ以前までさかのぼるともいわれる。

氏神(うじがみ) ーーー 本来は氏族の祖先神をいったのが、後年に集落の神をいうようになった。その氏神を信仰する人を氏子という。

氏子(うじこ) ーーー 氏神を信仰し、氏神の集落に住み、氏神の祭りに参加する人のこと。中世までは氏神を信仰する集団のことを氏人(うじびと)といっていた。

産土神(うぶすながみ) ーーー その人が生まれた土地の守り神。他の土地に引っ越しても一生産土神は変わらない。うぶす(産す)+な(土)という意味から来ている。氏神は自分の一族の神、鎮守神は特定の土地や集落などを守る神として区別される。

絵馬(えま) ーーー 古くは神社に生きた馬を奉納していたのが、人形や絵で代用するようになり、馬の絵から絵馬と呼ばれるようになった。始まったのは奈良時代からで、庶民が絵馬に願いを書いて奉納するようになったのは江戸時代からのこと。

『延喜式』(えんぎしき) ーーー 平安時代に編さんされた弘仁格式、貞観格式、延喜格式を三代格式(さんだいきゃくしき)と呼び、延喜式のみがほぼ完全な状態で伝わった。
 律令制度の中で、律は刑法、令は行政法、格(きゃく)は律令の修正・補足のための法令、式(しき)は律令の施行細則のこと。
 延喜式は延喜年間(901-923年)に編さんされた式を指す。
 905年(延喜5年)に醍醐天皇の命により藤原時平らが編さんを始め、時平の死後は藤原忠平が後を継ぎ、927年(延長5年)に完成した。改訂を重ね、施行は967年(康保4年)。

延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう) ーーー 『延喜式』の巻9と巻10の神名帳のこと。
『延喜式』が編さんされていた10世紀前半当時、朝廷が官社として認めていた神社の一覧で、3132座、2861社が記載されている(尾張国は121座121社)。
 これらの神社を「式内社」(しきないしゃ)と呼び、社格制度が廃止された以降も一種のステータスとして残っている。
『延喜式』編さん当時すでにあったにもかかわらず神名帳に載らなかった神社を式外社(しきげしゃ)とも呼ぶ。

大嘗祭(おおにえのまつり) ーーー だいじょうさいとも。天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭(にいなめさい)のこと。その年に収穫された新穀を天皇が神に捧げ、自らも食す祭儀で、即位の礼が国の行事なのに対して大嘗祭は皇室の行事に当たり、内閣の承認を必要としない。
 実際にどういう儀式が行われているかは公にされておらず、なにやら呪術的なことが行われているのではないかという話もある。

大麻(おおぬさ) ーーー 神道で大麻といえば「おおぬさ」で「たいま」ではない。「ぬさ」は麻の古語で、「おお」は美称なので大きな麻というわけでもない。
 木串(祓串)の先に紙垂(しで)や麻苧(あさお)を取り付けた祭祀の道具で、神主さんがお祓いのときに左右に振っているやつ。木串に紙垂は簡略版で、昔は榊の枝に麻や麻+紙垂を取り付けたものを用いていた。
 派手に振る方がありがたみがあるように感じるけど、伊勢の神宮や春日大社など古くからの祭祀が残るところでは音を立てるのは禁止されている。

おまんと ーーー 「御馬頭」や「馬の塔」と表記される尾張や西三河地方で広く行われてきた祭礼。五穀豊穣などを願って標具(だし)と呼ばれる札や御幣を立てて豪華な馬具で飾った馬を社寺へ奉献したのが始まりとされる。尾張東部では棒の手とあわせて警固祭として発展したところもある。

御神酒(おみき) ーーー 神に御供えする酒のこと。供えた酒を飲むことで神と同じものをいただき、霊力が得られるという発想による。白酒(しろき)、黒酒(くろき)、清酒(すみさけ)、濁酒(にごりざけ)などの種類がある。

御神籤(おみくじ) ーーー 古代において神の意志を知るために行った占いで、一般の参拝者が行うようになったのは鎌倉時代初期からといわれる。
 大吉、吉、中吉(半吉)、小吉、末吉、凶、大凶の順番で上がいいとされているけど、大吉を引くとあとは下がるだけなのでよくないという考えもある。
 神のお告げということで吉凶に関係なく神社に結んで帰らず持ち歩く方がいいとされる。

『尾張志』(おわりし) ーーー 1844年(天保15年)に完成した尾張藩の地誌。1752年(宝暦2年)に編さんされた尾張藩最初の地誌『張州府志』をもとに再調査を行い、尾張藩士の岡田啓と中尾義稲らが執筆し、付図を小田切春江が担当した。監修は書物奉行だった深田正韶。
 名古屋城下から尾張国の郡ごとに村の様子や人物、寺社、名所、旧跡などを調査して回り、全61巻、付図14枚にまとめた。

『尾張徇行記』(おわりじゅんこうき) ーーー 尾張藩の官吏だった樋口好古が藩内外を歩き回り、資料を集め、30年がかりでまとめた『郡村徇行記』全39巻のうち尾張八郡についての部分を尾張徇行記と呼んでいる。
 1792年(寛政5年)に書き始め、1822年(文政5年)に完成させた。
『寛文村々覚書』で江戸時代前期について、こちらで江戸時代中後期の尾張藩の様子を知ることができる。

尾張造(おわりづくり) ーーー 尾張地方特有の神社の建築様式。本殿、祭文殿、拝殿を回廊でつなぐ左右対称の様式が特徴。
 真清田神社(一宮市)、津島神社(津島市)、尾張大国霊神社(稲沢市)、高座結御子神社(熱田区)、氷上姉子神社(緑区)などが今も尾張造を継承している。
 かつては熱田社も尾張造だったが、明治になって神明造に建て替えた。

『尾張國内神名帳』(おわりのこくないじんみょうちょう) ーーー 尾張国内の神社一覧表。社名と神階が記されており、『延喜式』神名帳から漏れた神社も収録されている。
 熱田社の神宮寺、妙法院の座主が神事のときに読み上げるために作成されたという説がある。
 成立は平安時代末頃と見られる。

『尾張名所図会』(おわりめいしょずえ) ーーー 尾張藩士で学者でもあった岡田文園と枇杷島橋の橋守役8代目で青物問屋の野口梅居がまとめた尾張国の名所案内。挿絵は尾張藩士で画家の小田切春江やその師匠の森高雅が担当した。
 尾張の名所、古跡、風俗、名産品、神社仏閣などを豊富な絵入りで紹介した。全13巻。
 1838年(天保9年)から3年をかけて執筆され、1844年に前編7巻が刊行されたものの資金不足に陥り、後編6巻は明治13年に愛知県の資金援助を受けて刊行された。

御師(おし/おんし) ーーー 特定の寺社に所属した下級神職のこと。御祈祷師を略したもので、信者の祈祷をしたり、参詣の世話などを行った。
 平安時代に神社に所属する社僧のことを指したが、後に神職のこともそう呼ぶようになった。
 熊野三山、石清水八幡宮、賀茂神社、日吉大社などから始まり、鎌倉時代以降は伊勢神宮、富士講、出雲大社などで盛んになった。
 江戸時代になると御師が全国を回って布教活動を行うようになり、参拝に訪れた人たちの宿舎を提供するなどした。
 明治になると廃止例が出され、御師の制度は急速に廃れていった。
 一般的には「おし」といい、伊勢神宮だけは「おんし」といった。

陰陽道(おんみょうどう) ーーー いんようどうとも。古代中国の五行思想(万物は火・水・木・土・金の5つから構成されている)と陰陽思想(すべては陰と陽とがあわさって成り立っている)をベースに、日月や十干十二支などの要素を取り込み、日本で独自の発展を遂げた思想または制度。
 仏教や儒教などのように中国から6世紀頃入ってきたのが始まりとされる。
 陰陽道は天文道、暦道などとともに陰陽寮で教えていたもののひとつで、陰陽寮は国の機関の一つだった。陰陽道にたずさわる者は陰陽師と呼ばれる国家公務員のような立場といえる。
 平安時代までに政治と深く結びつき、様々な吉兆を占ったりした。安倍晴明はとくによく知られている。
 賀茂家と安倍家に二分され、賀茂家が途絶すると安倍家の宗家、土御門家が引き継いだものの、いったんは途絶え、江戸時代に再興されて庶民にまで浸透していった。
 明治政府によって廃止されるも、今も一部で続いているとされる。

 

鏡餅(かがみもち) ーーー 正月飾りの餅のこと。歳神(年神)への供え物。
 昔の鏡(古墳などから発掘される丸い青銅製のやつ)をかたどったものとされ、餅を八咫鏡、ダイダイ(橙)を八尺瓊勾玉、串柿を天叢雲剣に見立てたのが始まりという説もある。
 天武天皇の頃には原型があり、『源氏物語』に出てくることから、平安時代までには一般的なものになっていたと考えられる。

神楽(かぐら) ーーー 神事で神に奉納するために奏される歌や舞のこと。
 アマテラスの天の岩戸隠れのとき、アメノウズメが舞い踊ったことが起源とされ、平安時代までには形式として完成されたと考えられている。
 宮中で行われる御神楽とそれ以外の里神楽に分けられる。
 本来は巫女に神を下ろして(招魂)、生きている人の魂振、鎮魂のために行ったものだったのが、やがて形式化して元々の思想や意味が失われ、神に対する奉納になった。

門松(かどまつ) ーーー 松や竹を使った正月飾りで、家の門の前に置くことから門松と呼ばれるようになった。年神を迎えるための合図(依り代)の意味合いがあるとされる。
 12月13日以降に飾り、9のつく日は「苦」につながるので避け、12月30日や31日は一夜飾りとして好まれない。一般的に1月15日(小正月)までを松の内とするも、近年は1月7日までとするところが多い。

神棚(かみだな) ーーー 家庭内や事務所などで御札を祀るための棚。神社の社殿を模している。
 鎌倉時代から室町時代にかけて、伊勢の神宮の神官などが神符を配布し、それを納めるために棚をしつらえたのが始まりとされる。江戸時代になって各神社の御師が神符を広く配るようになり、神棚が一般化した。
 一枚扉の一社造の場合、神宮大麻を一番手前に、その後ろに氏神(産土神)、その後ろに崇敬神社の御札を納め、三枚扉の三社造の場合は、中央に神宮大麻、向かって右に氏神、左に崇敬神社の御札を納める。

神世七代(かみのよななよ) ーーー 日本神話で天地開闢(てんちかいびゃく)のとき生まれた七代の神のこと。
『古事記』では、
国之常立神(くにのとこたちのかみ)
豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)
『日本書紀』では、
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)
泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)
大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)
面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)

官社(かんしゃ) ーーー 律令制において神祇官(じんぎかん)の神名帳に記載され、祈年祭(としごいのまつり)、月次祭(つきなみのまつり)、新嘗祭(にいなめさい)などを行った神社。
 いわゆる式内社のことで、官社とされて神名帳に載せられた神社とそうでなかった神社とをどういう基準で区別していたかは分からない。『延喜式』(927年)の頃すでに存在していたにもかかわらず官社とされなかった神社を式外社(しきげしゃ/しきがいしゃ)と呼んでいる。
 明治以降は官幣社と国幣社を官社といった。

勧請(かんじょう) ーーー 勧め請うという仏教用語から転じて神社の神の分霊をあらたに設けた社に祀ることをいうようになった。
 もともとは仏に対して人々を救ってくれるように請願するという意味で、高僧を迎えるときも勧請といった。

神主(かんぬし) ーーー 主というくらいだから神社で一番上の宮司のことと思いがちだけど、神職全般を指す呼び名と考えていい。
 宮司 – 権宮司 – 禰宜 – 権禰宜 – 出仕が階級(職級)となっているところが多い。

『寛文村々覚書』(かんぶんむらむらおぼえがき) ーーー 尾張藩二代藩主の光友が尾張8郡のそれぞれに村の調査を命じ、提出された調査結果をもとにまとめた村勢調査の総称。
 調査は明暦年間(1655-1658年)から始まり、寛文年間(1661-1673年)に成ったことから寛文村々覚書と呼ばれる。成立は1670年頃(1672年とも)とされる。
 後に尾張藩主導で編まれた『張州府志』や『尾張志』、『尾張徇行記』などは寛文覚書を参考にしている部分が多い。

官幣社(かんぺいしゃ) ーーー 古くは神祇官から、明治以降は皇室から幣帛を奉った社格の高い神社で、大社・中社・小社・別格の4つに分けられていた。天皇や皇室に関係する祭神を祀る神社が大部分を占める。
 第二次大戦後の昭和21年(1946年)に廃止された。

旧社格(きゅうしゃかく) ーーー 古代律令制における一宮制や総社などの社格制度や明治の近代社格制度で定められた社格のこと。
 第二次大戦終結後に廃止された。
 →近代社格制度

教派神道(きょうはしんとう) ーーー 国家神道とは別に、明治時代に教派として国から認められた新宗教団体のこと。
 神道大教、黒住教、神道修成派、神宮教、出雲大社教、扶桑教、實行教、神道大成教、神習教、御嶽教、神理教、禊教、金光教、天理教の14教派で、神宮教が明治32年(1899年)に解散したため、一般的に神道十三派と呼ばれる。戦後に大本教が加わった。
 復古神道系、山岳信仰系、禊系、儒教系、純教祖系に分類される。

近代社格制度(きんだいしゃかくせいど) ーーー 明治維新後、『延喜式』にならってあらたに定めた神社の社格制度。
 官社、諸社、無格社に分け、伊勢の神宮は別格ということで社格を持たなかった。
 官社は神祇官が祀る官幣社と国司が祀る国幣社に分けられ、それぞれ大・中・小の社格が定められた。
 諸社は県社(府社)、郷社、村社に分類され、それ以外は無格社とされた。
 第二次大戦終結後、すべての神社は建前上平等ということになり、社格制度は廃止された。

宮司(ぐうじ/みやづかさ) ーーー その神社の長。大きな神社では大宮司・小宮司や権宮司などが置かれる。
 神社本庁に加盟している神社は必ず一人宮司を置かなければならないと決められており、宮司はいくつもの神社を兼務することが多い。その場合、普段常駐している神社を本務神社、それ以外と兼務神社という。

草薙剣(くさなぎのつるぎ) ーーー 素戔嗚尊(スサノオ)が八岐大蛇 (やまたのおろち) を退治したときに尾から出てきたとされる天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)の別名。
 スサノオによって天照大神(アマテラス)に献上され、瓊瓊杵命(ニニギ)が天降るときにアマテラスが授け、当初は宮中で祀っていたものを倭姫命(ヤマトヒメ)が八咫鏡(やたのかがみ)とともに預かり、伊勢の神宮に置かれていた。
 日本武尊(ヤマトタケル)が東征の際、伊勢に立ち寄り、ヤマトヒメより授かる。ヤマトタケルが火攻めにあったとき、天叢雲剣で草を薙ぎ払って難を逃れたことから草薙剣と呼ばれるようになったとされる。
 ヤマトタケルは東征の帰りに尾張で宮簀媛(ミヤズヒメ)を妃とし、伊吹山の賊を退治するとき剣を置いていって命を落としたことからミヤズヒメが火上山で剣を祀り、ミヤズヒメが熱田に移して剣とヤマトタケルを祀る熱田社を創建したと伝わる。
 668年に沙門の道行が熱田社から盗み出して新羅に渡ろうとして嵐に遭い取り戻され、宮中で祀っていたところ天武天皇の病気の原因が草薙剣の祟りという占いが出たため、熱田社に送られたとする。
 熱田神宮の御神体であり、天皇の正統性を示す三種の神器のひとつでもある。なお、宮中にあるものは形代(レプリカ)とされる。
 江戸時代、草薙剣とされる剣を熱田社の神官たちがこっそり見たという話が伝わっている。赤土に埋められた状態で、長さは80センチほど、全体は白かったということで、もしそれが本物であれば白銅剣と考えられる。

国津神(くにつかみ) ーーー 高天原の天津神に対して葦原中国(地上)の神々のこと。地祇(ちぎ)ともいう。
 出雲の大国主(オオクニヌシ)、三輪山の大物主(オオモノヌシ)、山神の大山祇(オオヤマツミ)、海神の綿津見(ワタツミ)などが代表的な国津神といえる。
 須佐之男(スサノオ)はもともと天津神だったのが高天原を追放されて地上に降りたので国津神となった。
 しかし、天孫降臨の瓊瓊杵命(ニニギ)やその一行は高天原から地上に遣われた神々なので天津神に属する。

国造(くにのみやつこ/こくぞう) ーーー 古代における地方長官の役職。軍事権、裁判権などを持っていた。
 大化の改新(645年)の後は祭祀を司る名誉職となり、8世紀以降に廃止された。
 ただし、出雲大社は今も出雲国造84代の千家尊祐氏が宮司を務めている。

熊手(くまで) ーーー 棒の先にかぎ爪のついた木や鉄などを扇状に取り付けたもの。
 もともとは葉などをかき集めるための農機具だった。
 同型のものが武器として使われたこともある。
 金運や幸運をかき集めるという意味を込めて縁起物とされ、11月の酉の市などで売られる。

境内(けいだい) ーーー 境界の内側という意味で、神社だけでなく寺院でも境内は使われる。
 神聖な場所で軍事などは不介入とされるも、芸能一般には広く開放され、芝居小屋や見世物などの興行はしばしば行われてきた。

ケガレ(穢れ) ーーー 清浄ではない状態、不浄であること。罪穢れという言葉があるように、罪を犯すことも穢れとされた。神道においては死、病気、出血、出産なども穢れとされる。
 穢れは禊ぎ、祓えによって清浄になると考えられてきた。
 気が枯れること=気枯れとする思想もある。
 単なる汚れとは別の概念。

潔斎(けっさい) ーーー 神事や祭事の前に酒や肉を断ち、男女の交わりを避け、沐浴などして心身を清めること。
 精進潔斎という場合の精進は、一定の期間、行いを慎み身を清めることをいう。または肉食を断ち、雑念を払って修行に専念すること。

皇紀二千六百年(こうきにせんろっぴゃくねん) ーーー 神武天皇が即位したとされる辛酉の年を紀元前660年とし、そこから数えて2600年目に当たる昭和15年(1940年)に国内で様々な記念式典が行われたことから、皇紀二千六百年といえば紀元二千六百年記念行事を指すと考えていい。
 橿原神宮をはじめ、国外に北京神社、南洋神社(パラオ)、建国神廟(満州国)などがこの年に創建された。その他、神社などに皇紀二千六百年の記念碑が数多く建てられた。
 2月11日の建国記念の日も神武天皇が即位した日ということで祝日に定められている。かつては紀元節といっていた。

合祀(ごうし) ーーー 神社の祭神を別の神社に移してあわせ祀ること。本殿で一緒に祀る本殿合祀、境内社として移す境内合祀がある。
 合祀という名のもとに取りつぶされた神社は多い。
 →神社合祀令

講社(こうしゃ) ーーー 同じ神仏を信仰している人が作る団体。結社。
 講は寺で仏典などを読み合わせたりする購読、講義の講のことで、平安時代以降、民間にも広まり、信仰団体を指す言葉になった。
 有名神社の講の他、御嶽講、伊勢講、富士講などがよく知られる。

豪族(ごうぞく) ーーー 一般的には地方に住み、土地や財産や兵力などを所有する力のある一族のことをいった。
 ヤマト王権成立後は律令制度の中に組み込まれ、大和などに勢力を持ち、臣(おみ)や連(むらじ)などの姓を持つ氏族を中央豪族、国造や縣主に任ぜられ、直(あたい)や君(きみ)などの姓を与えられた氏族を地方豪族と呼んだ。
 尾張氏は地方豪族でありながら連の姓を与えられた例外的な存在といえる。

国史現在社(こくしげんざいしゃ) ーーー 『延喜式』神名帳に載らなかったものの六国史に記述がある神社が391社あり、それをいう。国史見在社とも。
 石清水八幡宮、手向山八幡宮、白髭神社など。

国弊社(こくへいしゃ) ーーー 奈良時代まで神祇官より祈年祭に幣帛を受ける神社を官社といい、平安時代に入ると神祇官から幣帛を受ける官幣社と国の国司から幣帛を受ける国幣社とに分けられた。

『古語拾遺』(こごしゅうい) ーーー 斎部広成(いんべのひろなり)が書いた歴史書。平安時代初期の807年(大同2年)に成立したと考えられている。
 伊弉冉・伊弉冉の国生みから始まり奈良時代の天平年間(729-749年)までの歴史を簡単に記している。
 忌部(斎部)氏は古代ヤマト朝廷において中臣氏とともに祭祀を担当していた。しかし、大化の改新(645年)以降、祭祀に関する主要な職を中臣氏が独占するようになったため、祖とする天太玉命から続く忌部(斎部)氏の伝承を書いて忌部の正統性を主張しつつ中臣独占による弊害を訴え、平城天皇に献上したとされる。
『古事記』、『日本書紀』に書かれていない内容があることから貴重な史料とされる。
 なお、題名は後世の人間がつけた。

『古事記』(こじき) ーーー 日本最古の歴史書とするのは間違いで、”現存する”日本最古の歴史書とすべき。『古事記』以前にも『天皇記』、『国記』、『帝紀』、『旧辞』などがあり、それらをもとにして『古事記』や『日本書紀』は書かれた。
 なお、『古事記』は正史ではないため、現存する最古の正史といった場合は『日本書紀』になる。
 天武天皇の発案で712年(和銅5年)に太安万侶が編纂して元明天皇に献上したとされる。
 同じ時期に『古事記』と『日本書紀』がどうして編さんされることになったのかはよく分かっていない。『古事記』は国内向きで『日本書紀』は海外向けといわれたりもするけど、それほど単純な話ではない。
 神代から推古天皇までの歴史を紀伝体で書いており、異なった時代に何人かの手によって書かれたものをつなぎあわせたという説もある。
 推古天皇(在位593-628年)で終わっていることも謎のひとつとなっている。その後の舒明、皇極、孝徳、斉明、天智、(弘文)、天武、持統、文武天皇について何故書かなかったのか? 記事自体は23代の顕宗天皇で終わっており、未完だった可能性もある。
 他にも様々な疑問点があり、偽書説も消えていない。
 興味深い説として、『古事記』は天武朝で編さんが始まった正史で、『日本書紀』は天智朝の持統・藤原不比等が編さんした正史だったというものがある。
『古事記』についての記述は奈良時代の書にはなく、完成から100年も経った平安時代になって世に出ることになる。それも長らく忘れ去られる状態となり、江戸時代に入って本居宣長が古事記注釈書の『古事記伝』を書いて再び日の目を見ることになった。

御朱印(ごしゅいん) ーーー 朱印という言葉が示すように印を押してもらうことが本来の目的だったのが、最近は印よりも墨書をしてもらうことがメインとなっている傾向が見られる。絵を描く御朱印が人気になったりもしている。
 もともとは写経を納めた際の受付印だったという説が有力で、室町時代末頃に始まったとされる。江戸時代中頃には現在のように庶民が寺社の御朱印集めをしていた。

御神体(ごしんたい) ーーー 古来、神は物に宿ると考えられていた。モノはカミのことでもあった。
 自然物では岩、山、木などが、加工物では鏡、剣、玉などが御神体とされた。
 御霊代(みたましろ)ともいう。

御神木(ごしんぼく) ーーー 日本では古くから木を神聖視していたと考えられる。人間よりも長生きの樹木に尊敬の念を抱くのは昔も今も変わらない。
 神社の境内に神聖な木を植え、社を木で囲んで鎮守の杜とし、木によって結界を作った。鳥居が本来木で作られているのもこの思想に基づいていると考えられる。

御成敗式目(ごせいばいしきもく) ーーー 鎌倉幕府が1232年(貞永1年)に制定した武家による武家のための法律。執権の北条泰時が評定衆とともに作った。51ヵ条から成る。
 第一条「可修理神社専祭祀事」は、「神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添ふ」から始まる。
 神は人が敬うことによって威を増し、人は神の徳によって運を得るという意味だ。
 供物は絶やさず、昔からの祭りや習慣をおろそかにしてはいけない。地頭や神主はこのことをよくよく理解しなければならない。神社の修理を怠らず、小さな修理は自分たちで行い、大きなものは幕府に届け出るようにと続く。
 御成敗式目は江戸時代まで武家の法律の手本とされた。

言霊(ことだま) ーーー 古代より日本人は言葉に霊力が宿ると考えてきた。言葉に発したものは実現するため、よい言葉を使ってよい結果を導こうとする一方で悪い言葉が悪いことを引き起こすということで避けた。
 祝詞や和歌などもこの思想に基づいている。
 現代でも結婚式のときや受験生に言ってはいけないとされる言葉があるのは、言霊思想が残っているためだ。

御霊信仰(ごりょうしんこう) ーーー 非業の死を遂げた者が怨霊とならないように御霊として祀る信仰のこと。魂を慰め鎮めることで逆に力に換えようという日本独自の考え方でもある。そのための御霊会なども行われた。
 奈良時代後期から平安時代にかけて盛んとなり、祇園信仰や天神信仰へと発展していった。

権現(ごんげん) ーーー 仏や菩薩が仮の姿で現れること。権は仮にという意味。
 神仏習合が進んで本地垂迹説が起こると神は仏や菩薩の権化(ごんげ)であるとされ、神号のひとつとなった。
 熊野権現や徳川家康が死後に東照大権現とされたことなどはよく知られている。
 明治になって廃止された。

祭祀(さいし) ーーー 古語の「マツリ」が起源とされる。タテマツル(奉る)から来たという説や服従を意味するマツラフ(服う)から来たなど、諸説ある。
 神社の例祭やお祭りなども、もともとは神マツリから始まっている。

賽銭(さいせん) ーーー 古くは米を神前に供えたものが金銭になったもので、米を撒く「散米」が語源とされ、散銭とも書く。金銭を供えるようになったのは中世以降のこととされる。賽銭箱が置かれるようになったのは江戸時代からのようだ。
 賽は神仏へのお礼参りという意味で、本来はお返しだったのが、いつからか願い事に対する先払いのようになった。
 なお、賽銭に決まりはなく、1円でも1万円でも違いはないという。金額が大きくなって喜ぶのは神社の人だけだ。

祭文殿(さいもんでん) ーーー 神事や祭事のときに神仏に対して読み上げる祈願を祭文といい、のちに修験者や山伏などによって芸能化した。
 尾張造において、拝殿と本殿の間に祭文殿が置かれ、回廊によって本殿を取り囲む。
 祭文殿で神事や祈祷が行われる。

榊(さかき) ーーー モッコク科サカキ属の常緑小高木。きへんに神と書くように古代から神聖な木とされ、神事に使われた。
 サカキの語源は、神域と人間界の「境の木」から来ているという説、常緑樹であることから常に「栄える木」を意味するという説、神聖な木という意味の「賢木」が転じたとする説などがある。
『古事記』の天岩戸隠れの場面では、天児屋命(アメノコヤネ)と太玉命(フトダマ)が占いをして、賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛をかけ、フトダマが御幣として奉げ持ったと書かれている。
 なお、真榊(まさかき)は、緑・黄・赤・白・青の五色絹の幟の先端に榊を立てたものをいい、神事の時に祭壇の左右に立てる。

三十番神(さんじゅうばんしん) ーーー 一ヶ月30日を30柱の神に毎日交代で守ってもらおうという神仏習合の思想。
 最澄が比叡山に祀ったのが始まりとされ、平安時代から鎌倉時代にかけて流行った。のちに日蓮宗、法華宗が重視した一方、吉田神道がうちが始めたと主張した。
 明治の神仏分離令で神社で祀るのは禁じられたものの、わずかに三十番神社が残る。日蓮宗の寺には三十番神の神像を今も祀っているところがある。

三種の神器(さんしゅのじんぎ/みくさのかむだから) ーーー 日本神話においては天孫降臨の際に天照大神(アマテラス)が瓊瓊杵尊(ニニギ)に授けた鏡、玉、剣のこととする。
 のちに皇位の正統性を示すものとして八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)のこととされた。
 崇神天皇によって鏡と剣は宮中から出され、それぞれの形代(レプリカ)が作られた。オリジナルの八咫鏡は伊勢の皇大神宮に置かれ、草薙剣は熱田神宮の御神体となっている。八咫鏡の形代は宮中三殿の賢所にあり、オリジナルの八尺瓊勾玉は草薙剣の形代とともに皇居の吹上御所にある剣璽の間に安置されている。

参道(さんどう) ーーー 鳥居から社殿に向かうまでに歩く道、寺の場合は門から本堂までの通り道のこと。広くいえば、寺社へ向かうための街道や門前町なども含めて参道と呼ぶ。
 参道は産道、宮は子宮に通じ、鳥居は女性の足を象徴するという説がある。産道を通って宮へと戻り、再び出てくることで再生復活を意味するということだ。もちろん定説ではないのだけど面白い発想だと思う。

山王神道(さんのうしんとう) ーーー 平安時代末から鎌倉時代にかけて天台宗の比叡山延暦寺で生まれた神道の流派。真言宗の両部神道に対して天台宗の神道を山王神道と呼んだ。
 日枝山の山岳信仰、神道、天台宗が合体したもので、日吉大宮権現は釈迦の垂迹とされ、神仏分離令以降は大山咋神とされた。
 江戸時代に天海が山王神道をもとに独自の山王一実神道(さんのういちじつしんとう)を唱えた。

式内社(しきないしゃ) ーーー 平安時代中期に官社として認められ、『延喜式』(927年)の神名帳に記載された3132座、2861社のこと。
 長い歳月の中で神名帳に書かれた神社がどこのことか分からなくなり、勝手に式内社を名乗る神社も少なからず現れた。現在式内社を称している神社も確実といえるところは一部しかない。可能性のある神社が複数ある場合は論社、または比定社と呼ぶ。

式年遷宮(しきねんせんぐう) ーーー 式年は一定の決まった期間ごとということで、遷宮は宮を遷すことことをいう。なので、壊れたり老朽化した社殿をその都度建て替えたり神社を遷すことを式年遷宮とはいわない。
 伊勢の神宮の20年ごとが最も有名だけど、神宮だけのものではなく、上賀茂神社(21年ごと)や鹽竈神社、穂高神社などでも行われる。かつては香取神宮、鹿島神宮、宇佐神宮、春日大社、諏訪大社なども行っていた。出雲大社の60年ごとの修理は式年遷宮とは呼ばない。
 常に新しくて清浄であることを尊ぶ常若(とこわか)の思想から来ているとされるも、何故行われるようになったかは諸説ありはっきりしない。伊勢の神宮は685年に天武天皇が制度化し、次の持統天皇の690年に行ったのが最初とされる。

紙垂(しで) ーーー 注連縄や玉串などについている白い紙を切ったもの。雷が落ちると稲がよく育つという考えから稲妻をイメージしているともされる。かつては木綿(ゆう)が使われたが、現在はほぼ紙が使われる。
『古事記』の天岩戸隠れの場面で「白丹寸手(しらにきて)」「青丹寸手(あをにきて)」として登場していることから、古代からあったと考えられる。
 語源は垂れる(しだれる)と同じ意味の垂づ(しづ)からとされる。
 祓うという意味と結界を表す意味がある。
 折り方、切り方の吉田流、白川流、伊勢流といった種類がある。

注連縄(しめなわ) ーーー 神聖な場所と俗世の境界を示す縄。標縄、占縄、七五三縄などとも書く。
 藁(わら)を撚って作ることが多く、紙垂を垂らす。
 アマテラスが天岩戸に隠れて出てきたとき、太玉命(フトダマ)が尻久米縄で戸をふさいだことが起源ともいう。

社号標(しゃごうひょう) ーーー 神社の入り口などにある神社名を刻んだ石柱のこと。社標ともいう。

修験(しゅげん) ーーー 山に入って修行、苦行を重ね、超自然的な力を得ようとすること。その人を修験者または山伏と呼び、その道を修験道という。
 修験道の開祖は飛鳥時代の修験者、役小角(えんのおづぬ)とされる。

授与所(じゅよしょ) ーーー 神社で御札や御守りを参拝者に授与する場所。
 社務所とごっちゃになりがちだけど、社務所は神社の事務仕事をする場所で、授与所は文字通り授与する場所なので、同じではない。ただ、授与所と社務所が同じ建物に入っている場合も多いので、混同してしまうのは仕方がない。

除地(じょち/よけち) ーーー 江戸時代に幕府や藩から年貢や諸役を免除された土地のこと。主に寺社の土地で、由緒ある寺社は除地とされたところが多い。除地とされなければ寺社でも他の土地と同様に年貢地となった。

神宮寺(じんぐうじ) ーーー 神仏習合時代、神社に建てられた寺院のこと。社僧(別当)が神社祭祀を仏式で行った。
 奈良時代に気比神宮に神宮寺が置かれたのが文献上の初見。
 宮寺、別当寺、神護寺などともいう。

神社合祀令(じんじゃごうしれい) ーーー 明治末に明治政府が主導して行った神社の合併、整理政策。国の経費削減のために20万社あった神社のうち7万社が取りつぶされた。このときに失われた記録や祭祀も多い。
 最も被害が大きかったのが三重県で、1万社余りあった神社が1,000社程度まで減らされてしまった。
 逆に国に対抗して神社を守ったのが京都で、1割減程度にとどまった。
 民俗学者の南方熊楠らが立ち上がり反対運動が行ってようやく静まった。

神社本庁(じんじゃほんちょう) ーーー 全国の8万社ほどの神社を包括する民間の宗教法人。明治5年の神宮教会設立に始まり、明治8年に結成された神道事務局などが母体になっている。
 終戦後、政治と宗教が分離されることになり、大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会の3団体が中心となって神社本庁が設立された。
 神社本庁に加盟するメリットとデメリットがあり、有名神社でも加盟していないところがけっこうある(伏見稲荷大社、石清水八幡宮、上賀茂神社、下鴨神社、北野天満宮、日光東照宮、靖國神社など)。近年も富岡八幡宮などが離脱した。
 名古屋では半分くらいの神社が神社本庁に加盟していない。そこから推測すると、全国の神社は8万社どころか15万社くらいはあるのではないかと思う。

神職(しんしょく) ーーー 誰でも明日から神職になれるわけではなく、基本的には皇學館大学か國學院大學の神道学科を卒業しなければならない。高卒からの場合は四年制、大卒者は一年制となっている。
 例外として地方の神社庁が年に二回行っている神職養成講習会(一か月間休みなし)に参加するか、何校かある神職養成所に二年間通うという方法がある。

神職階位(しんちょくいかい) ーーー 神社本庁が定めている階級制度。直階(ちょっかい)、権正階(ごんせいかい)、正階(せいかい)、明階(めいかい)、浄階(じょうかい)がある。
 神道で重んじられる「浄明正直」から来ている。
 直階は一般の神社の禰宜および権禰宜になるために必要な階位。
 権正階は一般神社の宮司もしくは別表神社の権禰宜になるために必要な階位。
 正階は別表神社の禰宜になるために必要な階位。
 明階は別表神社の宮司および権宮司になるために必要な階位。
 浄階は長年神社界に貢献した人に与えられる名誉階位。
 試験で昇格するわけではなく、長年の実務経験と研修によって昇格する。

神職身分(しんしょくみぶん) ーーー 神職には特級、一級、二級上、二級、三級、四級という身分の区分がある。
 装束で履いている袴(はかま)の色で見分けることができる。
 三級、四級は浅葱色(水色)、二級は紫色の無地、二級上は紫色に紫色の紋入り、一級は紫色に白色の紋入り、特級は白色に白色の紋入り、若手で上下白の無地は出仕(見習い)。
 これは神社本庁が定めているものなので、神社本庁に加盟していない神社の場合ははっきり決まっていないのかもしれない。

新撰姓氏録(しんせんしょうじろく) ーーー 企画だけされて実現しなかった『氏族志』のやり直しということで新撰の姓氏録と呼ばれる。
 京と機内に住む1182の氏族を、皇別(天皇から別れた一族)・神別(ニニギの天孫降臨に従った一族の子孫)・諸蕃(渡来系氏族)に分類して出自を明らかにした古代氏族名鑑。
 嵯峨天皇の勅命により編さんされ、815年(弘仁6年)に朝廷に献上された。
 全30巻と目録1巻から成るも、抄録本しか現存していない。

神像(しんぞう) ーーー 仏をかたどったものが仏像であるように、神をかたどったものを神像という。
 もともと神に姿形はなかったのが、中世になって神仏習合が進むと神像が彫られるようになった。
 快慶作とされる手向山八幡宮の神像など国宝に指定されているものも数点ある。国宝指定の神像は平安時代のものが多い。
 明治の神仏分離令以降、神像は廃った。

神田(しんでん) ーーー 奈良・平安時代に神社の諸費用に充てるために設置された田のこと。中世の荘園制度以降は年貢を免除された神社所有の田を神田と呼んだ。

神道(しんとう) ーーー 神教ではなく神道であるように、文字通り神の道ということ。惟神の道(かんながらのみち)とは「神と共にある」の意味。
 一神教のように教祖もおらず、教典もなく、教えといったものもない。祭祀を重視し、浄明正直(浄く明るく正しく直く)の態度をよしとする。
 神道とは本当に宗教なのか? 神道を外国人に説明するのは難しい。というか、たぶん理解できない。

神道五部書(しんとうごぶしょ) ーーー 『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記(あまてらしますいせにしょこうたいじんぐうごちんざしだいき)』・『伊勢二所皇太神宮御鎮座傳記(いせにしょこうたいじんぐうごちんざでんき)』・『豊受皇太神御鎮座本紀(とようけこうたいじんごちんざほんき)』・『造伊勢二所太神宮寶基本紀(ぞういせにしょだいじんぐうほうきほんき)』・『倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)』の五書のこと。
 奈良時代以前の成立としながら実際は鎌倉時代以降に書かれたものと考えられ、伊勢の外宮の度会氏が書いた偽書ともされる。

神道十三派(しんとうじゅうさんぱ) →教派神道

神仏習合(しんぶつしゅうごう) ーーー 日本古来の神(道)と外来の仏(教)を融和させた信仰。神仏習合が日本人本来の信仰のあり方と考えるのは必ずしも正しくない。日本人の信仰の本質は縄文時代以来1万数千年続いた自然崇拝にある。神仏習合は538年(または552年)の仏教伝来から明治の神仏分離令まで約1300年続いた流行に過ぎない。
 神仏習合時代も、神社の建物と寺院の建物は区別され、僧侶が神事を行ったり神社を管理したりということはあっても、神職と僧侶は別という意識はあった。神仏習合はミックスジュースではなくミックスサラダのようなものというたとえがある。

神仏分離令(しんぶつぶんりれい) ーーー 明治元年(1868年)に神と仏とをはっきり分けるとした明治政府が行った政策。神仏判然令ともいう。
 寺院と神社を分離し、神社から仏教的な要素を取り除き、権現や明神号などは禁止され、神社の社僧は還俗して神職になったりした。このとき仏像が壊されたり教典が捨てられたりといった廃仏毀釈運動が起こった。

神明造(しんめいづくり) ーーー 伊勢の神宮は特別に唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と呼び、それに準ずる神社社殿の建築様式。弥生時代の高床倉庫が発展したものと考えられている。
 掘立柱、切妻造、平入という特徴を持ち、本来屋根は萱葺(かやぶき)だったが、現在はほとんどが板葺や銅葺になっている。
 江戸時代までは神明造はわずかだったのが、明治以降一気に増えた。

神紋(しんもん) ーーー 家の紋が家紋、神社の紋は神紋。神社にゆかりの深い紋だったり、社家の紋が神紋とされたり、パターンは様々。天満宮の梅紋はよく知られている他、桐や菊、三巴などがよく使われている。

正中(せいちゅう) ーーー 神社における正中は一般的に参道の中央のことで、ここは神様の通り道だから避けて端を歩くのが礼儀とされる。しかし、神様が本殿から気ままに出歩くはずもなく、本殿を出るのは祭事のときの渡御くらいだ。
 それに、参道は正中を外して作っていることが多いので、真ん中を歩くことが絶対的なタブーというわけではない。いつ誰が正中を歩いてはいけないなどを言い出したのかよく分からない。
 ただ、礼儀作法として真ん中を歩かないことは間違いではないので、どうしても真ん中を歩かなければいけないとき以外は避けて歩くのが無難。本殿に自分が神様として納まっているところを想像してみれば分かる。あいつ、真ん中歩きやがって、ちっ、とか思うかもしれない。

摂社(せっしゃ) ーーー 明治の近代社格制度のひとつ。本社で祀られている神と関係が深い神を祀る境内社を摂社、それ以外と末社として区別した。本社祭神の妃神、御子神、荒御霊や地主神を祀る社をいう。古くは所摂社ともいった。

遷座(せんざ) ーーー 神仏を他の場所に移すこと。神様のお引っ越し。天皇にも用いることがある。

『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ) ーーー 平安時代に成立したと考えられる歴史書。全10巻で天地開びゃくから推古天皇までの歴史が書かれている。
 序文に推古天皇の命で聖徳太子と蘇我馬子が622年に完成させたとあることから、かつては日本最古の書として重要視された一方、偽書ともされた。
 現在は序文こそ後付けとされるものの、本文については再評価されている。
『古事記』、『日本書紀』にないことも書かれており、第五巻の「天孫本紀」に尾張氏と物部氏の系譜を詳しく載せていることから、物部系の人物が編さんしたとも考えられている。
 著者の有力候補としては平安時代初期の明法博士である興原敏久(おきはらのみにく)や平安時代中期の矢田部公望(やたべのきんもち)などが挙げられる。

創祀(そうし) ーーー 社を建てることが創建、祭祀を始めることが創祀。祀は神をまつるという意味。
 創建された時代が新しいからといって神社の歴史が浅いとは言い切れず、たとえ創建が奈良時代あたりだったとしても創祀が飛鳥時代やそれ以前であればその神社の歴史は古いということになる。ルーツを辿れば弥生時代や縄文時代までさかのぼる神社も必ずある。

総社(そうしゃ) ーーー 惣社とも書き、その地域の神社の祭神を集めて建てた神社のこと。神社の百貨店のようなもの。
 律令制において、国司は任地におもむいたとき、決められた神社を順番に回るという仕事があった。それは大変ということで平安時代になって総社神社が建てられた。
 尾張国の総社は稲沢市の尾張大国霊神社(国府宮神社)。

大嘗祭(だいじょうさい/おおにえのまつり) ーーー 公式には天皇が即位して初めて行う新嘗祭で、卜定で決まった悠紀(ゆき)と主基(すき)で収穫された新穀を天神地祇(てんしんちぎ)に供え、これを食すことで神と一体となる儀式と説明される。
 しかし、その内容の一部は絶対秘とされ、なにやら秘密の儀式が執り行われているのではないかともいわれる。「宗教色の強い儀式」とは何なのか? 前天皇から次期天皇へ天皇魂を移す儀式ともいい、これを経て天皇は現人神(あらひとがみ)になるとされる。

高天原(たかあまはら) ーーー たかあまはら、たかあまのはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら。どれが正しいのかよく分からない。
 天津神が住む天上界。
 イザナギがイザナミのいる黄泉の国から逃げ戻ってきて禊ぎをしたとき生まれたのがアマテラス、ツクヨミ、スサノオで、このうちのアマテラスが高天原を支配するように命じられた。
 日本神話は何らかの史実を反映するものだろうから高天原は地上界のどこかの地方にあったという地上説もある。

託宣(たくせん) ーーー 神が人に乗り移ったり夢の中に現れて自らの意志を人間に伝えること。神託ともいう。

山車(だし) ーーー 山の形を模したものを曳いたり担いだりするもので、屋根付きのものは屋台として区別する。ただし、形状に関係なく地方ごとに呼び名があり、その区別は必ずしも厳密ではない。
 曳山、山鉾、山笠、車楽(だんじり)、屋台など、地域によって呼び名が違う。ユネスコの無形文化遺産登録名が「山・鉾・屋台行事」だったのもそういう理由からだ。

玉垣(たまがき) ーーー 神社の神域と外界を区別するために設けられた垣のこと。古くは樹木で囲む柴垣だったと考えられている。近年は石やコンクリートが主流となっている。
 玉垣の「玉」は神聖なとか美しいといった意味の言葉で、瑞垣、斎垣なども同様の言葉だ。神社によっては玉垣、瑞垣を区別しているところがあり、伊勢の神宮の場合は一番内側を瑞垣、その外を内玉垣、外玉垣と呼び、一番外側を板垣としている。

玉串(たまぐし) ーーー 榊の枝に紙垂や木綿(ゆう)をつけたもの。

茅輪神事(ちのわしんじ) ーーー 素盞鳴(牛頭天王)に由来する夏越の祓(なごしのはらえ)行事。
 ある男が旅の途中で宿を探していたとき、裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は断り、貧しい暮らしをしていた兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は泊めてあげた。実はそれはスサノオで、後に再び蘇民将来の家を訪ねたとき、疫病が流行ったら茅で輪を作って腰につけておくと病気にかからないと教え、その通りになったため、蘇民将来と書いた紙を家に貼る風習が生まれ、茅の輪くぐりが神事となっていった。

『張州雑志』(ちょうしゅうざっし) ーーー 尾張藩9代藩主の宗睦の命を受けた尾張藩士の内藤正参が安永年間(1772-1780年)から調査を始め、正参が1788年に没したのを受けて、協力していた赤林信定がまとめ、1789年に完成した尾張の地誌。全百巻本。
 内藤正参は東甫と名乗る狩野派の絵師でもあったため、絵も多く収録されている。

手水舎(ちょうずや) ーーー ちょうずしゃ、てみずや、てみずしゃともいう。参拝者が手や口を漱ぎ清めるための水盤を置く建物。かつて川や海で行っていた禊ぎを簡略化したもの。

勅祭社(ちょくさいしゃ) ーーー 例祭などに際して天皇が勅使を派遣して勅祭を行う神社のこと。古くは二十二社、明治時代は二十九社あり、戦後は十七社があった。現在は十六社となっている。
 賀茂別雷神社、賀茂御祖神社、石清水八幡宮、春日神社、氷川神社、熱田神宮、出雲大社、橿原神宮、明治神宮、鹿島神宮、香取神宮、近江神宮、平安神宮、靖国神社、宇佐神宮、香椎宮。朝鮮神宮は廃社となった。

鎮守神(ちんじゅがみ) ーーー 一定の区域や建物などを守護する神。もともとその土地や場所にいた地主神とは区別されていて、地主神を抑える形で祀られたのが鎮守神だった。近年は産土神、氏神などと混同されている。

月待ち(つきまち) ーーー 特定の月齢の日に講の仲間が集まって供え物をして飲食をしながら月の出を待ち、月を拝む行事。信仰からやがて仲間同士の寄り合いのようになっていった。
 十五夜、十三夜などの他、二十二夜講、二十三夜講などもあり、二十三夜塔などを神社に建てたものが残っている。

津田正生(つだまさのり) ーーー 江戸時代中期の1776年、尾張国海東郡根高村生まれ。尾張藩士ではなく、学者でもない、在野の郷土史家ながら、この時期の尾張国を代表する地誌、神社研究者のひとり。実家は酒屋で、自身は六合庵という茶席を開いていた。
 代表作は『尾張国地名考』で、著作は多数。神社調査研究書『尾張神名帳集訂考』(通称『尾張国神社考』)では立場にとらわれない自由な発想で尾張国の神社を論じた。

妻入り(つまいり) ーーー 建築用語で棟と平行する側を平(ひら)、棟と直角の側を妻(つま)といい、妻側に出入り口がある建物を妻入りと呼ぶ。屋根の三角形の方に出入り口がある建築。住吉造や春日造などが妻入りの代表的なもの。

等級(とうきゅう) ーーー 明治の近代社格制度が廃止された後に定められたもので格式とは違う。神社本庁ではなく各都道府県の神社庁が定めており、特級から15等級まである。等級は氏子の数や規模によって決められる。神社側の自己申告で上がるものの、上納金が増えるので上げるほどいいというわけではない。

道祖神(どうそじん) ーーー 道ばたの神または仏。集落の出入り口などに置かれることが多かったことから、集落に外から悪いものが入ってこないようにという思想から生まれたと考えられる。古くはサイノカミと呼ばれた。道ばたにあったことから、後に旅人守護とも考えられるようになった。石像や石碑が多い。奈良県明日香村の道祖神や長野県安曇野の男女二体の道祖神はよく知られている。

灯籠(とうろう) ーーー 灯りの籠(かご)から灯篭と呼ばれるようになった。もともとは木や紙で灯りを囲ったものが原型とされる。
 仏教伝来とともに日本に伝わり、初めは寺院に置かれるようになり、やがて神社でも作られるようになった。
 神社では石灯篭が多く、金属製の吊下灯篭もある。

十種神宝(とくさのかんだから) ーーー 『先代旧事本紀』に登場する10種類の神宝。ニギハヤヒ(饒速日命)が天降るとき天神御祖(あまつかみみおや)から授けられたとする。
 沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死返玉(まかるかへしのたま)、足玉(たるたま)、道返玉(ちかへしのたま)、蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物之比礼(くさぐさのもののひれ)。
『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』などでは天津神の証とされる「天津瑞」や「天表」、「天璽」が十種神宝に当たるとされる。
 石上神宮の布留御魂神は十種神宝の剣とされるも、その他の神宝とともに明確には伝来していない。

鳥居(とりい) ーーー 神社において俗世と神域を分ける門のようなもので、馴染み深いものでありながら起源は定かではない。もとを辿れば中国の門柱から来ているという説やインドの門から来ているともいう。鳥が居ると書くことから鳥の止まり木をかたどったものという説もある。
 2本の門柱と笠木、島木、貫などから成る。
 大きく分けると神明鳥居と明神鳥居があり、その他、両部鳥居、春日鳥居、住吉鳥居、三輪鳥居などがある。

直会(なおらい) ーーー 神事のときに供えられた御神酒や神饌を神事が終わった後に一同で飲食する行事。神と同じものを取り込むことで力が得られるという思想に基づく。
 平常に直るという意味の直り合い(なほりあひ)が語源とするのが通説ながら、その由来ははっきりしない。

名古屋十社家(なごやじっしゃけ) ーーー 江戸時代に名古屋を代表する有力社家10家のこと。
 筆頭が東照宮(名古屋)の吉見家で、日ノ出神社家、洲崎神社家、朝日神社家、泥江縣神社家、赤塚神社家、村木町白山社家、冨士浅間神社家、広井浅間社家、上宿山神社家の十家をいう。

和魂(にぎみたま/にぎたま/にきたま) ーーー 神霊の荒々しい面を荒魂(あらみたま)、平和な面を和魂といって区別した。たとえば雨は恵みをもたらす一方で災害も引き起こす。恵みをもたらす面を神の和魂、災害を起こす面を荒魂と考えると分かりやすい。本来、神を祀る場合は、荒魂を鎮めるという意味と和魂に感謝するというふたつの意味があった。

二十二社(にじゅうにしゃ) ーーー 社格のひとつ。国家の重大事や天変地異が起きたときなどに朝廷から奉幣を受けた神社で、平安時代後期に定められ、制度化された。
 神宮(伊勢神宮)、石清水八幡宮、賀茂別雷神社・賀茂御祖神社、松尾大社、平野神社、伏見稲荷大社、春日大社、大原野神社、大神神社、石上神宮、大和神社、廣瀬大社、龍田大社、住吉大社、日吉大社、梅宮大社、吉田神社、廣田神社、八坂神社、北野天満宮、丹生川上神社中社・丹生川上神社上社・丹生川上神社下社、貴船神社。

『日本書紀』(にほんしょき) ーーー ”現存する”日本最古の正史。舎人親王らの編で720年(養老4年)に成立。全30巻。神代から持統天皇までの歴史を漢文の編年体で記している。系図1巻は失われた。
 帝紀、旧辞などの他、各氏族の記録や国外の史料などを参照に書かれており、異伝が多いのも特徴。
 本来、『日本紀』(にほんぎ)だったものが平安時代あたりに『日本書紀』とされるようになったと考えられるも、どうして書が入ったのかはよく分かっていない。
 別の説として中国の『漢書』などにならって『日本書』として編さんしたものの中の「紀」に当たるということで日本書・紀が『日本書紀』になったというものもある。

禰宜(ねぎ) ーーー 宮司の下、権禰宜(ごんねぎ)の上の役職。古くは宮司の下、祝(はふり)の上だった。
「労ぐ」(ねぐ)が名詞化したもので、神を祈ぐ(ねぐ)ところから来ている。かつてはもっぱら祭祀を司る役職だった。
 初めて禰宜を置いたのは伊勢の神宮とされる。

根の国(ねのくに) ーーー 『古事記』では「根之堅洲國」(ねのかたすくに)・「妣國」(ははのくに)、『日本書紀』では根国(ねのくに)・「底根國」(そこつねのくに)と書かれる。
 地下世界の黄泉の国のこととされる一方、遠い彼方の世界という解釈もある。いずれにしても死者の世界ということではなさそうだ。

祝詞(のりと/しゅくし) ーーー 神を称え、祈願の言葉を述べる文(言葉)。言霊思想による。
『古事記』では詔戸詞(のりとごと)、『日本書紀』では諄辞と書かれる。宣之言、宣処言、宣呪言とも表記し、天子の宣り説く(のりとく)言葉が起源と本居宣長は書いた。
 現存する最古のものは『延喜式』(927年)に収録されている27編。
 中臣祓詞とも呼ばれる大祓詞(おおはらえことば)、祓詞(はらえことば)、天津祝詞(あまつのりと)などが代表的なもの。

拝殿(はいでん) ーーー 本殿の前にあり、参拝者が拝礼をしたり、神職が神事を行うための建物。拝殿の前で拝礼を行う他、拝殿の内側で神職に祈祷をしてもらう昇殿参拝がある。

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく) ーーー 明治元年の神仏分離令を受けて国内で起こった仏教排除運動。神社と寺院を分けるのに伴い、多くの仏像や教典などが破棄され、本堂ごと取り壊された寺院も少なくない。
 廃仏は仏を廃すること、毀釈は釈迦の教えを毀(き)するという意味。
 来日して日本美術の紹介や保護に尽力したアーネスト・フェノロサの講義を聞いて感銘を受けた岡倉天心は、日本美術としての仏像を見直すという観点から仏教保護運動を行った。

破魔矢(はまや) ーーー 魔除けの縁起物として正月に寺社で授与される他、初節句のときに贈ったり新築の家の上棟式で立てられたりもする。
 もともとは正月の射礼(じゃらい)神事が由来とされ、このときの矢を浜矢といい、そこから魔を破るという意味の破魔の字が当てられたと考えられている。

祓(はらえ/はらい) ーーー 罪や穢れを払うために行う神事。修祓(しゅばつ)ともいう。
 人に限らず、土地や家に対しても行う。
 禊(みそぎ)は祓の一部。
 祓戸の神に祈り、榊、大麻、塩湯などを使って払う。

備前検地(びぜんけんち) ーーー 1608年に幕府の代官頭だった伊奈忠次が尾張国で行った検地のこと。伊奈忠次の役職が備前守だったことから備前検地と呼ばれる。
 尾張国における検地は信長やその後を継いだ信雄が行った他、秀吉が全国規模で行った太閤検地がよく知られている。
 伊奈備前守は、1590年の伊豆国に始まり、1591年の武蔵国、1594年の相模国、1603年の遠江・駿河国などでも検地を行っている。
 1608年の尾張国の検地の2年後に61歳で死去した。

日待ち(ひまち) ーーー 夜から集まって日の出を待ち、翌日の日の出を拝む行事。正月の他、5月、9月にも行われ、次第に飲食が主目的の宴会になっていった。

百度石(ひゃくどいし) ーーー 百度参りのための目印として寺社の境内に建てた石(石柱)。百度参りは平安時代後期に始まり、江戸時代に流行した。百度石と社殿(本堂)の間を百往復して願い事をした。

平入り(ひらいり) ーーー 建築用語で棟と平行する側を平(ひら)、棟と直角の側を妻(つま)という。平側に出入り口がある建物を平入りと呼んでいる。屋根の面が見えている側に出入り口があれば平入り。神明造が代表的。

富士講(ふじこう) ーーー 富士山信仰の仲間が集まって作った結社(講)。
 戦国時代から江戸時代にかけて富士山麓の人穴(静岡県富士宮市)で修行した角行藤仏行者によって創設されたとされる。
 江戸を中心に関東で流行し、集まってオガミをし、定期的に代表者が富士登山を行った。また、盛り土をして富士山に見立てる富士塚も多く作られ、そこに登って富士登山の代わりとした。

風土記(ふどき) ーーー 『古事記』、『日本書紀』が編さんされていた時代の地方誌。713年(和銅6年)に元明天皇が詔を出し、各国が地元の産物や地勢、由来、伝説などをまとめて提出した。
 完全な状態で伝わっているのは『出雲国風土記』のみで、常陸、播磨、豊後、肥前のものが現存する。その他、20国余りの逸文がある。

分霊(ぶんれい / わけみたま) ーーー ある神社の祭神の霊を他に分けること。神道の考えでは神霊は無限に分けることができて、元の神霊と分霊は同じものとし、減ることも増えることもないとする。ロウソクの火を分けるイメージにたとえられる。

弊殿(へいでん) ーーー 参拝者が幣帛(へいはく)をささげる社殿。拝殿と本殿の間に設けられている。通常、祈祷や神事のとき以外に弊殿前まで行くことはない。

幣帛(へいはく) ーーー 神に捧げる供物の総称。帛は布を意味し、古代においては貴重だった麻などを捧げたことから幣帛と称されるようになった。
 布帛の他に衣服、武具、神酒などの神饌も幣帛とされ、金銭の場合は幣帛料という。

別宮(べつぐう) ーーー 本社(本宮)の別の社(宮)。摂社、末社などの総称ではあるのだけど、たいていの場合、別宮というと本社に次ぐ位置づけの重要神社を指す。伊勢の神宮の場合、内宮の別宮は荒祭宮など10社、外宮は多賀宮など4社などがそれに当たる。名古屋では熱田神宮の別宮として八剣宮がある。

別表神社(べっぴょうじんじゃ) ーーー 戦後の昭和21年(1946年)に国と神社が切り離され、近代社格制度が廃止になったことで伊勢の神宮をのぞくすべての神社は平等とされた。しかし、それでは都合が悪い面があるということで、神職の扱いに関する規定を特別に設け、「別表に掲げる神社」として記載したことから別表神社と呼ばれるようになった。
 それまでの社格とは違い、神職の人事に関する規定ではあるのだけど、一種の社格のようになっている。
 名古屋では熱田神宮愛知縣護国神社若宮八幡社(栄)がこれに当たる。

扁額(へんがく) ーーー 一般的に建物や門などに掲げられる横長の額のことと定義される。ただ、縦型の扁額もたくさんあるので横長という定義が絶対ではない。扁という字に横額という意味があるのだけど、扁は戸と冊があわさって出来ている文字なので、戸や門戸に掲げる額という意味を持っている。
 中国が発祥で、朝鮮半島を経由して日本に入ってきたと考えられる。
 神社では鳥居や拝殿に掛けられていることが多い。

棒の手(ぼうのて) ーーー 棒術や剣術、薙刀術などが発展した伝統芸能で、愛知県とその周辺では棒の手と呼ぶ。尾張旭市、長久手市、豊田市、春日井市、小牧市、みよし市などが盛んで、各流派がある。
 オマント(飾り馬)奉納の際に警護役として鉄砲隊とともに棒の手隊が従う警固祭りなどもあり、神社の祭礼で奉納されることが多い。

本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ) ーーー 仏教側から見た神仏習合の思想で、仏や菩薩を本地とし、神を垂迹とする説。垂迹とは人々を救うために仏が神の姿を借りて現れることをいう。
 平安時代に始まり、鎌倉時代に整備された。神社の祭神に対する本地仏が定められ、それは江戸時代も続き、明治の神仏分離で衰退した。

本殿(ほんでん) ーーー 神の依り代としての御神体を納めるための建物。祭神の部屋。基本的に宮司以外は立ち入ったり開けたりしない神社が多いはず。

前々除(まえまえのぞき?) ーーー 読み方がよく分からない。
 1608年、名古屋城築城前の尾張国で伊奈備前守忠次が行った検地を備前検地といい、そのとき以前より除地(よけち/のぞきち)だった土地を前々除と呼んだ。備前検地のときに除地となったところは備前検除という。
 古くて由緒のある寺社の土地は江戸時代以前から除地とされていたところが多く、江戸期の書に前々除とある神社は戦国時代以前からあった神社と考えていい。

末社(まっしゃ) ーーー 本社に祀られている神と関係が深い神を祀るのが摂社、そうではない神を祀るのが末社として区別される。明治の近代社格制度で制定され、戦後社格制度は廃止されたものの、摂社・末社の区分はそのまま続いた。

巫女(みこ) ーーー 自らが依り代となり神がかりとなって託宣などをする儀式を巫(かんなぎ)といい、それを行う女性を巫女と呼んだと考えられる。
 関西ではイチコ、東北ではイタコと呼ばれた。
 天岩戸隠れのとき、アマテラスを外に出すために舞ったアメノウズメ(天鈿女命)が起源とされ、邪馬台国の卑弥呼も巫女だったのではないかとされる。
 古来より祈祷をしたり占いを行ったり神楽を舞ったりするのが役目だったが、明治以降は神社で神職の補佐をする役割に変わっていった。神職とは違って資格は必要ない。

神輿(みこし/しんよ) ーーー 祭礼のとき御旅所などに渡御する際、神霊(または依り代)を乗せて運ぶ輿(こし)。
 貴人が乗る御輿が由来とされ、四角形の他、六角、八角があり、屋根の上に鳳凰(ほうおう)や葱花(そうか)が載る。
 平安時代以降に広まったとされる。

ミシャクジ ーーー 長野県諏訪地方発祥ともされる民間信仰の神。中部地方や関東にも見られる。
 サグジ、ミサグチ、シャグジ、サングウジなど、読み方は多様で、社宮司、射宮司、石神、射軍神、作神など、表記も一定ではない。
 その実体は謎で、起源についても諸説ある。

瑞垣(みずがき) →玉垣

瑞穂の国(みずほのくに) ーーー 日本国の美称。瑞々しい稲穂が実る国という意味から。

禊(みそぎ) ーーー 罪や穢れを洗い清めるために川や海の水につかる行為。祓(はらえ)の中のひとつといっていい。
 日本神話において、イザナミが黄泉の国から戻ってきたとき筑紫日向の橘の小戸の檍原で禊をしたのが起源とされる。
 神社を参拝する際の手水は禊ぎを簡略化したもの。
 水滌(みずそそ)ぎ、身清(みすす)ぎ、身削(みそ)ぎから来ているという説がある。
 水に流すという言葉の語源もここにある。

明神(みょうじん) ーーー 神の尊称のひとつ。仏教側から見た神の呼び名。もともとあった社格・神階としての名神から転じたとも考えられている。
 稲荷大明神、春日大明神などがよく知られる他、豊臣秀吉は死後に豊国大明神の神号が与えられた。

流鏑馬(やぶさめ) ーーー 馬を疾走させながら鏑矢(かぶらや)を射て三ヶ所の的に当てる競技。現在は神事として奉納されることが多い。
『日本書紀』に書かれている馬的射が流鏑馬のこととすると起源は古い。平安時代には宮廷行事として定着し、鎌倉時代に武士の間で流行した。戦国時代に一時廃れ、江戸時代中期に吉宗が復活させた。
 辟邪の弓(へきじゃのゆみ)神事が元になっているとされ、矢馳せ馬(やばせうま)が転じて「やぶさめ」となったという。
 小笠原、武田、三浦の3流派がある。
 名古屋市内で流鏑馬を行っている神社はなく、愛知県内では豊川市の砥鹿神社で5月4日に行われる。

遙拝所(ようはいじょ) ーーー 遙拝とは、遠く離れた所から拝むことをいい、そういった場所を遙拝所と呼んでいる。簡単には行けないところが多いのは当然といえば当然で、伊勢の神宮の遙拝所や御嶽山の遙拝所などがある。
 遙拝所だったところが神社に発展した例もある。

吉田神道(よしだしんとう) ーーー 室町時代後期に京都の吉田神社の神職を務める吉田兼俱(よしだかねとも)が完成させた神道の一派。正式には元本宗源神道(唯一宗源神道)という。
 両部神道や山王神道の本地垂迹説に対して神道主導の反本地垂迹説の立場から仏教、道教、儒教の思想を取り入れ、総合的な神道説をとなえた。
 江戸時代には広く浸透し、吉田家は全国の神社の指導的立場にまで上り詰めた。

六国史(りっこくし) ーーー 奈良時代から平安時代かけて編さんされた歴史書、6書の総称。『日本書紀』、『続日本紀 』、『日本後紀』、『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』を指す。
 天皇の勅命による国史で、漢文体・編年体で記されている。

両部神道(りょうぶしんとう) ーーー 天台宗がとなえたのが山王神道で、真言宗がとなえた神仏習合の思想を両部神道という。
 胎蔵界の大日如来の垂迹(すいじゃく)を神宮内宮の天照大神、金剛界の大日如来の垂迹を外宮の豊受大神とし、両部は一体となっているということを基本思想とする。
 江戸時代に入り廃った。

例祭(れいさい) ーーー 神社で行われる年に一度の最も重要な祭り。常例によって行われる大祭ということから例祭と呼ばれるようになったのは近世のこととされる。かつては大祭(おおまつり)などと呼ばれていた。例大祭というのは俗称で、正しくは例祭という。
 神社の大切な日や春の田植え祭、秋の収穫祭など、決まった日に行われていたものが近年は関係者や参列者の都合優先で土日に行われることが多くなった。

若宮(わかみや) ーーー 本宮の祭神の分霊をあらたに祀った社を若宮という例は若宮八幡などに見られる。
 ただし、若宮といった場合、多くは非業の死を遂げた人を御霊として祀った社のことをいう。祟らないように神の子として祀り、魂を慰めた。
 災害を鎮めるために人柱となった霊を若宮として祀ることもあった。
 巫女や祝 (はふり)などによって若宮信仰が広がったとされる。

和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう) ーーー 平安時代中期に編まれた辞書。単なる辞書にとどまらず百科事典的な内容となっている。承平年間(931-938年)に勤子内親王(きんしないしんのう)が命じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した。十巻本と二十巻本がある。和名抄と略されることが多い。

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