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カッパ《河童》

カッパ《河童》

『古事記』表記 
『日本書紀』表記 
別名エンコウ、カワタロウ、ガワタロ、ガタロ、カワコゾウ、カワコボウシ、ヒョウスベ、メドチ、スイジン、スイコ、他
祭神名 
系譜 
属性 
後裔 
祀られている神社(全国) 
祀られている神社(名古屋)鹽竈神社(西日置)内の無三殿神社

伝説上の生きものか妖怪か?

 河童を伝説上の生きものとするか、妖怪とするかは見解が分かれるところだ(人によっては確かに実在する生物と信じているだろうけど)。
 神として扱うことは稀なのだけど、まったくないわけではない。水神の落ちぶれたものとか、水神の使いという説もある。
 日本三大妖怪というと、一般的に天狗、鬼、河童が挙げられる。それくらい日本では馴染み深い存在となっている。
 起源についてはよく分かっていない。中国で水の神を河伯といったことから来ているという説があるものの、河童という言葉の初出は室町時代とされ、「カッパ」以外ににも地方によって多くの別名があることから、必ずしも中国の河伯が起源とはいえない。
「カッパ」という音に関しては、川(河)の「わらは(童)」から「かわわっぱ」と呼ばれたものが縮んで「かっぱ」になったというのが通説だ。
 その他の呼び名に、エンコウ、カワタロウ、ガワタロ、ガタロ、カワコゾウ、カワコボウシ、ヒョウスベ、メドチ、スイジン、スイコなどがある。
 ちなみに、雨合羽の合羽(かっぱ)は、ポルトガル語の capa(カパ)から来ているので、河童とは関係がない。東京の合羽橋商店街なども河童とは無関係だ(河童をマスコットにしているけど)。

特徴について

 子供のような体格、全身が緑色、短い嘴(くちばし)、背中には亀のような甲羅、手足には水掻き、いわゆるおかっぱヘアーで頭頂部には皿があるといった現在我々が抱いている河童のイメージはそれほど古いものではなく、江戸時代中期以降のものとされる。
 それまではいくつかのイメージで語られていて、共通したものではなかったようだ。
 室町時代中期の国語事典『下学集』(かがくしゅう/1444年)には、獺(カワウソ)が老いると河童(カワロウ)になるとある。
 カワウソは近年コツメカワウソが人気になってよく知られるようになったイタチ科の生きものだ。現代人がイメージする河童とはずいぶん違う。
 中国地方を中心とする西日本では猿に近い獣のイメージで語られることが多かった。大陸渡来の河童を猿猴(えんこう)と呼んでいた。猴(こう)は中国の猿のことで、ニホンザルより大きな猿をそう称していた。だから、河童は大きな猿といったイメージを抱いていたようだ。
 熊本県八代市街には河童渡来の碑が建っている。
 この地には第16代仁徳天皇の時代に河童が渡来したという伝説が残っている。
 その河童は球磨川周辺に棲みついて9000匹にまでなったので頭領は九千坊(くせんぼう)と呼ばれて暴れるようになったため、加藤清正と戦いになったという話があるので、河童ではなく渡来人の集団だったとも考えられる。
 東日本では、安倍晴明の式神だとか、役小角の護法童子だとか、飛騨の匠が仕事を手伝わせるために作った人形だなどといった話があり、これもやはり現在の河童のイメージとはかなり遠い。
 その後、江戸時代になって河童についての書物が出版され、現在の河童に対する共通イメージが形作られていった。

いいもの? 悪者?

 その生態については、良い面と悪い面の両方で語られる。
 人の尻子玉を抜いて食べるとか、いたずらをするなどとされる一方、人の仕事の手伝いをしたとか、薬の製法を教えたなどいった善良な部分もある。
 尻子玉というのは肛門内にあると考えられた臓器で、それを抜かれると腑抜けになるとされた。
 相撲が好きで子供とよく相撲を取るというのもよくいわれることだ。
 好物がキュウリというのも有名だ。これは水神に捧げる供え物だったことから来ているとされる。
 寿司のカッパ巻きはこれが由来となっている。
 頭の皿が乾くと死ぬというのもよくいわれることだけど、理由はよく分からない。
 江戸時代以降、川の生きものとされたことで、泳ぎや潜りが得意ということになった。
「河童の川流れ」や「陸へ上がった河童」なども江戸時代以降に作られた言葉だろう。
「河童の木登り」というのは苦手なことのたとえだけど、本来のイメージが猿なら木登りは得意だったはずで、河童は猿が苦手という話もあるので、途中で河童のイメージは大きく変わったということになる。
「屁の河童」は水中にいる河童の屁は大したことはないということから来ている。
 地方によっては、河童は秋になると山へ行って山童になるとされた。これは山の神が田の神にもなるという話と共通するものだ。

その正体とは

 その正体は水死体ではないかという説がある。間引きされた子供の水死体だとか、井戸に身を投げた女の遺体ともいう。
 膨張して緑色に変色した体が河童のイメージになっていったのではないかとするものだ。
 川で泳ぐことは危ないから親が子供に川には河童という怖い妖怪がいるから近づいてはいけないと嚇すために作られたイメージともいえる。
 外観からすると宇宙人のグレイではないかというのは、ある意味現実的な解答だ。
 柳田国男の『遠野物語』の中にも河童が出てくる。岩手県遠野市のカッパ淵は河童を目撃したという話が多いところで観光地化している。
 河童の足跡だとか、河童のミイラといった話にも事欠かない。そういった意味では、現代も河童は生きているといえる。河童をキャラクターにしているところも多い。

芥川龍之介と河童

 芥川龍之介の命日(7月24日)は河童忌と呼ばれている。これは自殺する直前に書いた小説が『河童』だったことから来ている。
 河童の国を見たという精神病患者が語る物語で、当時の社会を風刺した作品だ。河童の国ではいろいろなことが逆転している。
 芥川龍之介については以前、ブログに書いたことがある。
 ブログ記事

名古屋には河童を祀る社がある

 名古屋駅西の笈瀬本通商店街は、かっぱ商店街と呼ばれている。かつてここを流れていた笈瀬川に河童がいたという伝承があり、それが由来となっている。
 名古屋駅西一帯は伊勢の神宮領だったところで、そこを流れる川は御伊勢川と呼ばれ、のちに笈瀬川という字が当てられた。そのこともあって、誰も汚すことのないきれいな川だったという。
 そこに河童がいて、橋の上から川に向かって尻を見せると痔が治るという話があったらしい。
 その後、それを無三殿神として祀るようになった。もともとは川沿いに祠があり、昭和になって鹽竈神社(西日置)に移された。

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