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祝詞って何?

第6回 祝詞って何?

 現代の神職が読む祝詞は速すぎる。
 感覚的に分かるのだけど、古代の祝詞は今の10分の1倍速くらいだったと思う。
 試しにYouTube(web)の動画で祝詞を検索して聞いてみて欲しい。
 設定で0.25倍速(1/4)にできるのだけど、これでもまだ速すぎる。
 祝詞というのは一言ひとことに念を込めて神に捧げるものだから、一言一句読み飛ばすようなことをしてはいけない。
 忙しい現代にそんなゆっくり祝詞を読んではいられないといえばそうなのだろうけど、かつては一つの祝詞を何時間もかけて読んでいたはずだ。
 それが神職の仕事の根幹部分だったといってもいい。

 祝詞の起源をどことするかは難しい。定説のようなものもない。
 言ってしまえば日本語の始まりとともにあっただろうし、日本語は現在の日本人につながる祖先がどこかから(たとえば母星)持ってきた言語なので、最初からあったという言い方もできそうだ。
『古事記』、『日本書紀』がいう天岩戸開きの神話は、象徴的な物語として描いているけど、必ずある種の事実を元にしている。
 この話の元になっているのは紀元何年とか何世紀といったものではなく、もっと古い時代の話だ。縄文時代よりもずっと昔かもしれない。
 カミマツリの起源もまた、原初まで遡る。

 祝詞の定義についてはいろいろな人がいろいろなことを言ったり書いたりしていて、もっともらしくはあるのだけどどれも後付けの理屈のようなものだ。
 漢字で書くと祝いの詞(言葉)だし、音でいうとノリトは”宣(の)る”から来ているというのが一般的な解釈となっている。
 本居宣長はノリトゴト(宣説言)を略したものがノリトだといい、賀茂真淵は詔賜言(ノリタベゴト)を語源とすると主張した。
 祝詞以外にも、『古事記』の詔戸言(のりとごと)や『日本書紀』の諄辞(のりと)、『延喜式』の詔刀(のりと)、
『皇大神宮儀式帳』の告刀(のりと)、『令集解』の法刀言(のりとごと)といった表記があることから、詔(みことのり)から来ている可能性もありそうだし、”と”を”刀”としているのも何か意味がある。
 誰の説が正しい間違いというよりも、そういった意味合いを持つ詞(言葉)の総称をノリトといったのだろうと思う。

 ノリト(祝詞)から派生した、または類語と思われる言葉としては、”祈る”などもそうだろう。
 イノルは、イ・ノルで、”意”+”宣(の)る”から来ている。
 ”祝”に似ているけど正反対の”呪・ノロイ”は、もともとは”ノル(宣)”+”意”で、イノルをひっくり返して反対の意味としたとも考えられる。
 だとすると、”罵(ののし)る”なども由来は近そうだ。
 詔(ミコトノリ)は、”命”+”宣”もしくは”御言”+”宣”と考えられる。
 いずれにしても、これらの言葉は宣言するとか告げるといった意味だ。

 祝詞というと、一般的には神社で神職が社殿や参拝者に向かって読むものという認識だと思うけど、それだけではない。
 一般的な祝詞の他に、穢れを祓うためのものを祓詞(はらえことば)、例祭や地鎮祭、神葬祭などで読むものを祭詞(さいし)と呼んで区別している。
 御告文(おつげぶみ)は天皇が神祇を親祭するときに奏上する詞で、御祭文(ごさいもん)は勅使が神祇に奏上する詞をいう(天皇などの御陵で奏上される詞は策命文(さくみょうぶん))。
 寿詞(よごと)は天皇を寿(ことほ)ぐ詞だ。

 現在の祝詞は、『延喜式』(927年)の巻八に収録されている27編と、藤原頼長の『台記(たいき)』「別記」にある中臣寿詞(なかとみのよごと)が元になっている。
 これは平安時代に作られたものではなく、おそらくもっと古くに作られたものが伝わったものだ。
 中臣寿詞は天神寿詞(あまつかみのよごと)と称されていたもので、天神や天皇を寿ぐ詞だ。中臣氏が独占的に奏上するようになったことで中臣寿詞と呼ばれるようになった。

『日本書紀』には天命開別天皇(天智天皇)9年に「中臣金連宣祝詞」とある他、高天原廣野姫天皇(持統天皇)4年(690年)の天皇即位において物部麻呂(石上麻呂)が大盾を立て、中臣大嶋が天神寿詞を読み、忌部色夫知が神璽の剣鏡を奉ったとあり、持統天皇5年の大嘗祭でも中臣大嶋が天神寿詞を読んだといっている。
『延喜式祝詞』は、万葉仮名を用いた独特の文体・用語で書かれており(漢文も一編)、定型文として成立するまでにはいくつかの変遷があったと思われる。

 内容はというと、起句に始まり、由縁、神徳、祈願、感謝、結尾などで構成されている。
 この内、神などに対して奏上する祝詞は”と白(まを)す”で結ぶことから”申す型”(奏上体)といい、集まった人々に対して聞かせるものは”と宣る”で結ぶので”宣る型”(宣下体)といっている。

 古代の人たちにとって祝詞は、単に詞を読み上げるという行為というだけでなく、祝詞そのものを聖なるもの、あるいは祀る対象とも考えていたようで、『延喜式』神名帳には祝詞に関係すると思われる神社がいくつか載っている。
 左京二條の太詔戸命神、大和国の太祝詞神社、対馬嶋の能理刀神社や太祝詞神社などがそうだ。
 どこが元社なのかは分からないけど、左京や対馬の太祝詞神社は名神大社となっているので、この頃までに格式の高い神社となっていたことが分かる。

 そもそも、祝詞の目的や意義は何かといえば、一つには神様に気持ちよくなってもらおうということだったのだと思う。
 言うなれば神様接待だ。
 供え物や祭りなどもそれに当たる。
 思想的な背景を言えば、根底には言霊信仰があった。
 言葉には特別な霊力があって、言葉として発することでそれは実現する(良いことも悪いことも)と考えていたのだろう。
 実際、古代においてはその通り現実になったのかもしれない。
 神道の用語でいうと、”言挙げ(ことあげ)”ということだ。
 この世界は幽界(かくりよ)と現界( うつしよ)から成っているという考え方がある。
 記紀神話では天津神や天孫が現界を治め、国譲りをした国津神が幽界を支配するという言い方をしているけど、現界を”写し世”とするならば、根源的なのはむしろ幽界の方で、現界は幽界が写(映)っている姿なのかもしれない。
 見えない世界が幽界で、見えている世界が現界という言い方もできる。
 祝詞というのは、見えない幽界に向かって発して働きかけることで見えている現界を写し替えるという意図や目的があったのではないか。
 だとすれば、当然ながらその言葉は善なるもの、良いものでなければならない。
 祈りであり、願いであり、宣言であり、約束が祝詞ということだ。
 祝詞はもともと、神にだけ聞こえるように小さな声(微声)で奏上するものとされていたという。人が聞いてはいけないものだったということだ。
 そこにもまた、祝詞の本質が表れている。

 禊祓祝詞(みそぎはらえのりと)、または禊祓詞(みそぎはらえのことば)とも呼ばれる天津祝詞は祝詞の基本なので、これくらいは読んで覚えておいてもいい。神社の参拝のときに唱えてもいいといわれている。

 高天原に神留坐す(たかあまはらにかみつまります)
 神漏岐神漏美の命以ちて(かむろきかむろみのみこともちて)
 皇親神伊邪那岐の大神(すめみおやかむいさなきのおおかみ)
 筑紫日向の橘の小門の阿波岐原に(つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに)
 禊祓ひ給ふ時に生坐せる祓戸の大神等(みそぎはらいたまうときにあれませるはらえどのおおかみたち)
 諸々禍事罪穢を祓へ給ひ清め給ふと申す事の由を(もろもろのまがことつみけがれをはらいたまへきよめたまうとまおすことのよしを)
 天つ神地つ神八百万神等共に(あまつかみくにつかみやおよろづのかみたちともに)
 天之斑馬の耳振立て聞食せと(あめのふちこまのみみふりたててきこしめせと)
 畏み畏みも白す(かしこみかしこみもまおす)


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