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狐塚稲荷社(北新町)

狐塚って何?

読み方きつねづか-いなり-しゃ(きたしんちょう
所在地日進市北新町狐塚 地図
創建年不明
旧社格・等級等
祭神不明
アクセス名鉄バス「岩藤」より徒歩約7分
駐車場なし
webサイト
例祭・その他不明
神紋
オススメ度
ブログ記事

グーグルマップのこと

 北新町狐塚の田んぼの中にある稲荷社。
 マピオンには表記がなく、グーグルマップに載っている。
 グーグルマップは小さな神社まで載せてくれていることが多くて助かるのだけど、マピオンを見慣れている私はどうにも見づらくてグーグルマップをメインのマイマップにする気になれない。
 グーグルマップが見づらいと感じるのは、色分けが少ないのと、各境界線がないことが主な理由だ。
 その点、マピオンは豊富な色使いで区分けされているし、市町村の細かい境界線も描かれているので分かりやすい。
 ただ、ポイントにピン打ちできるのもグーグルマップだけで、そういう用途ではグーグルマップを使うしかない。
 グーグルマップがマピオン寄りにデザイン変更してくれるのが一番都合がいいのだけど。

 それはそうと、グーグルマップの狐塚稲荷社の住所登録が間違っている。
「岩崎町阿良池67」ではなく、「北新町狐塚」が正しい(細かい番地までは分からない)。
 岩崎町阿良池67は牧製作所の住所だ(牧さんだ)。
 ネット情報も間違ってそのまま載せているところがある。
 こういう間違いはグーグルマップに報告すれば訂正されるのだろうか。

 北新町の前身は岩崎村の枝邑(支村)の北新田で、北新田村から北新町になった。
 そのあたりの詳しいことについては北新町の八幡社のところで書くことにする。

名前以外の情報はない

 この稲荷社については、地誌や史料、ネットにもほぼ情報がなく、まったく分からなかった。
 分かるのは名前だけで、連立鳥居の上に「狐塚稲荷社」と書いた額がある。

 社は南向きなのだけど、入り口鳥居が北向きにあるので入って左に90度二度方向転換して180度回って社に向かう格好になる。
 ちょっと不思議な感じがする。
 社の前には小さな朱塗りの鳥居があり、花が供えられていたので日常的にお世話をしている人がいるようだ。
 道ばたの小さな祠などは放置されたままのところが少なくないので、こういう光景を見ると安心する。

江戸時代から変わらない

 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、稲荷社があるのは田んぼの中ということが分かる。
 今もこの場所は変わらず田んぼで、変わったことといえば田んぼを仕切るように農道が通ったことくらいだ。
 地図には神社を示すような印はなく、田んぼの真ん中なので元から今の場所にあったとは思えない。
 ただ、それなら創建は明治以降かといえばそうとも断定できない。近くに祀られていたのを明治以降に今の場所に移したかもしれないからだ。
 1968-1973年(昭和43-48年)の地図でも神社沿いの東西の道は描かれていない。
 次の1976-1980年(昭和51-55年)の地図でようやく東西の道が現れる。
 決めつけるのはよくないけど、今の場所に稲荷社が祀られたのはこれ以降かもしれない。
 最後まで鳥居の記号が書かれることはない。

【追記】
 ネット情報によると、1961年(昭和36年)の航空写真で畑の中に稲荷社が確認できるそうだ。
 ということは、今の場所ではないにしても、そのときまでには稲荷社はあったことになる。

狐塚とは?

 素直に考えれば、江戸時代前期に北新田を開拓した人たちが田んぼの守り神として稲荷を祀ったのが始まりということになるだろうけど、そう決めつける根拠もなく、ただの推測でしかない。
 昭和になって創建された神社の可能性もある。

 それにしても狐塚の社名がどこから来ているのかは気になるところだ。
 稲荷だから狐はそのままとして、塚は何を意味しているのか。
 文字通りなら墓だろうけど、このあたりは古墳を造るような場所ではない。
 北新田川と岩崎川が合流する手前で、高台でもない。
 名前の通り狐の塚ということもあるのか。
 日進には狐にまつわる昔話がいくつか伝わっている。
 あるいは狐は何かの象徴や暗示で、何らかの出来事が下敷きになっているのか。

 今のところ書けるのはこれくらいで、あらたに何か情報を得られたら追記します。

【追記】 2025.5.27

『日進町誌』に元禄8年(1695年)の岩崎村の検地帳に狐塚が載っているとあった。
 三河の寺部あたりからこの地にやってきた人たちが北新田を開発したのが1648年(慶安元年)で、八幡社創建が1657年なので、それからほどなくして狐塚稲荷が祀られたのかもしれない。

作成日 2025.5.26(最終更新日 2025.5.27)


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