
| 読み方 | きんりゅう-おおかみ?(つきがおか) |
| 所在地 | 名古屋市千種区月ヶ丘3丁目 地図 |
| 創建年 | 不明 |
| 旧社格・等級等 | 不明 |
| 祭神 | 不明 |
| アクセス | 地下鉄名城線「自由ヶ丘駅」から徒歩約24分 |
| 駐車場 | なし |
| 祭礼・その他 | 不明 |
| 神紋 | |
| オススメ度 | * |
| ブログ記事(現身日和【うつせみびより】) 錦龍大神を訪ねるも詳細は不明 | |
千種区の月ヶ丘公園近くに小さい社があると教えてもらって出向いてみた。
てっきり公園内にあると思ったら公園の外だった。
公園から見ると一段高い場所にあって、公園側から行くことはできない。
壁をよじ登る以外に。
公園の前の道を少し東に進むと不二マンションというのがあって、そのマンションのものと思われる駐車場から入っていくしかない。
完全に私有地っぽいけど、お邪魔しますと心の中でつぶやきつつ、堂々と入っていった。
こういうときはコソコソしてはいけない。住民のような顔をして行くのが正解(?)だ。
自転車で入っていったのだけど。
社は駐車場の一角にあるのだろうという予測を裏切り、駐車場を抜けた先のスペースにあった。
この場所は何なんだと思う。
公園内でもなく、マンションの駐車場内でもない。
この社を祀るために用意された土地なのか、もともとこの場所にあってマンションや公園ができたことで取り残されるような格好になったのか。

駐車場からは一段低い土地に社はある。
それにしても立派なものだ。
道ばたにある小さな祠というレベルのものではなく、村の神社の本殿として充分通用する。
流造の銅板葺きで、脇には立派な彫刻も施されている。
作るとしたら数十万では無理だろう。
それほど古いものではないから、社自体は昭和くらいのものだろうか。
あるいは平成あたりに新しくしたものか。

社号標というのか社号塔というのか、これまた立派でお金がかかっている。
御影石っぽい石に「錦龍大神」と金色の浮き文字で掘られている。
読み方は”きんりゅう”だろうか。
”にしきりゅう”かもしれない。
”大神”といっているくらいだから、そのへんの小物の龍神ではない。
ネット上では情報がまったく得られず、地誌や地元の歴史関連書にもこの社について書いているのを見たことがない。
現地でも名前以外に手がかりはなく、ほぼお手上げ状態だ。
ChatGPTとGeminiにも訊いてみたけど、めぼしい情報が得られなかった。
今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、すぐ北に小さな溜め池が描かれている。
もしかするとこの溜め池の主である龍神を祀った社なのかもしれない。
溜め池は昭和7年(1932年)の地図までは描かれているものの、昭和12-13年(1937-1938年)の地図では消えている。
昭和7年の地図から分かるのは、その頃から区画整理が始まり、道路が通って、少しずつ民家が建ち始めたことだ。
それに伴って溜め池は埋められたのだろう。
西を通っている天満通(県道203号線から30号線)も途中までできている。
戦後すぐの昭和22年(1947年)まではほとんど変化が見られないのの、昭和40年代には一気に住宅地となって、民家が隙間なく建ち並ぶことになる。
月ヶ丘という町名ができたのは昭和34年(1959年)で、鍋屋上野町から独立する形で誕生した。
月の名所だったからというのだけど、確かにこのあたりは高台で月見するにはいい場所だっただろう。
丘陵地と谷地が連続する地形で、谷の狭い平地に溜め池を作って農耕地にしていた様子が今昔マップからも見て取れる。
不二マンションが経ったのが平成7年(1995年)で、月ヶ丘公園はその2年後の平成9年(1997年)ということなので、その頃には現在のような格好になったのだと思う。
それ以前についてはよく分からない。
マンションの建築に伴う土地買収で、ここにあった民家の庭神が家主に付いていかずに土地に残された可能性もあるだろうか。
上にも書いたように社は比較的新しいもので、江戸時代からずっとあったようなものではない。

社の前面は金網で保護されている。
供えられた榊も新しいから、日常的にお世話をしている方がいるということだ。
その方なら何か知っているだろうから、縁があればいいのだけど。
何か情報をお持ちの方はお寄せいただけるとありがたく思います。
作成日 2026.11.6
