このあたりの白山社はやはり戦国か ![]() | |
読み方 | はくさん-しゃ(だいとうろう) |
所在地 | 名古屋市中川区大当郎3丁目1505 地図 |
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | 旧村社・十四等級 |
祭神 | 菊理姫命(キクリヒメ) |
アクセス | 近鉄名古屋線「伏屋駅」から徒歩約27分 |
駐車場 | なし |
祭礼・その他 | 例祭 10月第1日曜日 |
神紋 | |
オススメ度 | * |
ブログ記事(現身日和【うつせみびより】) 大蟷螂村の白山社も今はピンク拝殿 |
大当郎(だいとうろう)の町名は江戸時代の大蟷螂村から来ている。大当郎だけでなく大蟷螂町としても残っている。
大蟷螂村の由来について津田正生(つだまさなり)は『尾張国地名考』の中でこんなふうに書いている。
「蟷螂の二字は俗字にして取にも足らず 正字大棟梁村の義なり 尤中古以降の地名にて始より字音なり梁をラウと唱ふるは東音也(東音とは日本制の字音をいふ) 永正六年の熱田講式に日本大棟梁の社と書たるをもてもしるべし 此村にも熱田大神を祀るか今日白山の宮あり」
蟷螂は昆虫のカマキリのことだ(蟷螂目)。なので、オオカマキリ村ということになる。
しかし、津田正生は蟷螂は当て字で、もともとは大棟梁から来ているといっている。
「永正六年の熱田講式に日本大棟梁の社と書たる」という部分はちょっと分からない。
永正六年は戦国時代の1509年で、ここでいう講式(こうしき)というのは、仏や高僧の業績をたたえる声明(しょうみょう)のことというよりも、熱田社に関する講会(こうえ)の記録みたいなものだと思う(国立国会図書館デジタルコレクション「熱田講式」で一部を読むことができる)。
「日本大棟梁の社」というのが何を意味しているのかもよく分からない。
いずれにしても、津田正生としては熱田社の宮大工の棟梁が住んでいたから大棟梁村と呼ばれ、それが大蟷螂に転じたといいたいようだ。
ただ、それなら何故、村で熱田社が祀られていなかったのかという疑問が残る。大蟷螂村にあったのは白山のみで熱田は今も昔もない。
別の説として、海を行く船の目印のために大きな灯籠を置いていたことから大灯籠と呼ばれ、後に大蟷螂になったというものもある。しかし、これもちょっと信じられない。江戸時代初期までは海からさほど遠くなかったとしても岬の先端というわけではなく、高台というわけでもない。海からの目印としてここに大きな灯籠を置いたとは思えない。
蟷螂村ではなく大蟷螂村だったのは何を意味しているのだろう。
いずれにしても、この白山社は大蟷螂村の氏神だった神社だ。
今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、集落の北西角に神社があったことが分かる。
『愛知縣神社名鑑』は、「創建は明かではない。明治5年、村社に列格した」と書くのみで詳しいことは分からない。
境内に由緒記の碑があり、そこには「寛文五年(1665年) 勧請」とある。
しかし、『寛文村々覚書』(1670年)には「白山壱社 地内三畝歩 前々除 中郷村祢宜 孫太夫持分」とあり、前々除ということは1608年の備前検地のときはすでに除地だったということだから、創建は少なくとも江戸時代以前にさかのぼるということだ。1665年創建はあり得ない。
『尾張徇行記』(1822年)にはこうある。
「白山社内三畝歩前々除 府志ニモ出タリ 祠官高羽氏書上ニ、境内三畝御除地、草創ハ不知、再建は寛文八申年也」
創建は不明としつつ寛文8年(1668年)に再建されたと書いている。そこからしても寛文5年創建はちょっと考えられない。
白山信仰の始まりは奈良時代、もしくはそれ以前とされるも、当初は修験の色合いが濃く、各地に白山社が建てられるようになるのはもっと後のことだ。
白山信仰が全国に広がったのは、南北朝時代の頃とされる。
戦国時代になると武将が自身の信仰の対象としたり、城の守り神として白山社を建てるようになった。戦国武将の白山信仰というものがどういうものだったのかがよく分からないのだけど、名古屋に残っている白山社はこの時代に建てられたものが多いのではないかと思う。
大蟷螂村の白山社もそうだっただろうか。
戦国時代後期になると、戦乱によって白山社の多くは荒廃してしまう。城の守り神だったものは廃城とともに捨て置かれる格好になったものも少なくない。
江戸時代になって荒れていた加賀の白山比咩神社(公式サイト)を建て直したのは、前田家だった。尾張における白山社の再建もそのことと無関係ではなかったかもしれない。特に中川区は前田家の本拠地だったということもあって白山社を大切にしようという気運が他の地区より強かったかもしれない。
捨て置かれていた白山社を再建したのが1665年(寛文5年)だったという可能性は考えられる。
拝殿はかわいらしくピンクホワイトに塗られている。中川区ではピンク拝殿をよく見た。何故ピンクにするのか。菊理媛に合わせてそうしているというわけでもないだろうから、神社の宮司さんの趣味なのか、氏子の希望だったのか。
境内由緒記の最後の改築が昭和52年(1977年)になっているから、現在の状態はこのときからだろうか。この頃ピンクが流行っていたかどうかは覚えていない。1977年といえば、ピンクレディーが「渚のシンドバッド」、「ウォンテッド」、「UFO」を発表して大ブームを起こした年ではある。とはいえ、そのことと白山社のピンク拝殿は、たぶん無関係だろう。
作成日 2017.11.4(最終更新日 2025.8.22)
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