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ククリヒメ《菊理媛神》

ククリヒメ《菊理媛神》

『古事記』表記なし
『日本書紀』表記菊理媛神
別名菊理姫
祭神名菊理媛命・他
系譜不明
属性白山の女神
後裔不明
祀られている神社(全国)白山比咩神社をはじめとする各地の白山神社
祀られている神社(名古屋)白山神社(新栄)(中区)白山神社(市場)(守山区)、白山神社(大須)(中区)、榊森白山社(中区)白山社(名塚)(西区)、白山神社(小幡)(守山区)

『古事記』には登場せず

『古事記』には出てこず、『日本書紀』神生みの第五段の一書第十(第五段の一書は第十一まで)にちらっと登場する女神。
神生みの中で伊弉冉尊(イザナミ)は火神の軻遇突智(カグツチ/火産霊)を生んだことが原因で命を落とし、それに怒った伊弉諾尊(イザナギ)はカグツチを斬った後、イザナミを追いかけて黄泉の国へと向かった。
イザナミに追いついたイザナギは、悲しくてここまで来たというと、イザナミは私を見ないでといった。しかし、それに従わずに見てしまったためイザナミは怒って恥じ入り、ケンカになってしまう。
帰ろうとするイザナギに対して、私の心を見られてしまってあなたの心も見てしまったとイザナミはいい、別れを切り出す。
するとイザナギは突然、負けない! と言って唾(つば)を吐いた。
その唾が速玉之男(ハヤタマノオ)となり、次に掃(はらえ)の神の泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)が生まれたといっている。
このときの場所を泉平坂(よもつひらさか)といい、イザナギは妻を失って悲しいと思っていたけどそれは自分の心が弱いだけだったといい、泉守道者(黄泉の道の番をしている人)がイザナミに言葉を促すと、私はあなたと国を生みました。今更何を生めるでしょう。私はここを去りませんと言い、そこへ突然、菊理媛神(ククリヒメ)が現れて何かを言うとイザナギはいいことを聞いたと、その場はなんとか収まったのだった。
この後半部分は原文では以下の様になっている。

吾、與汝已生国矣、奈何更求生乎。吾則當留此国、不可共去。
是時、菊理媛神亦有白事、伊弉諾尊聞而善之。

これに続くの以下の文だ。

乃散去矣、但親見泉国、此既不祥

イザナギが黄泉の国を去ったときに親しい心持ちだった理由はつまびらかではないということをわざわざ書いている。
意訳すれば、死んだイザナミを黄泉の国まで追いかけていったイザナギは口喧嘩になり、そこへどこからともなくククリヒメが現れて何かを言うとイザナギは納得して機嫌良く帰っていったということになる。
このときククリヒメが何を言ったかについては明らかにされていない。

一書第六でも黄泉の国訪問について詳しく書いていて、一般的にはこちらの話がよく知られているのだけど、第十とはだいぶ印象が違っている。
黄泉の国でイザナギとイザナミは話し合いをしたものの、すでに黄泉の国の食事をしていて(黄泉竈食)帰ることができないといい、見ないでほしいというイザナミの言葉を聞かなかったイザナギは変わり果てたイザナミの姿に驚き逃げ出し、追いかけっこの末に口論となり、泉津平坂を岩で塞いでどうにかイザナギは逃げ帰ることができた、というのがここでの内容となっている。
『古事記』の黄泉の国訪問の話もこれに近い。
『先代旧事本紀』も基本的な展開としてはほぼ同じなのだけど、『先代旧事本紀』は菊理媛神を登場させている。
「是時菊理媛神亦有白事矣 伊弉諾尊聞而善之散去矣」となっているので、『日本書紀』第五段一書第十のほぼ丸写しだ。

以上が『日本書紀』と『先代旧事本紀』から知ることができるククリヒメのすべてということになる。
それがどうして白山の神とされて神社で祀られるようになったかが問題だ。

神道系白山と仏教系白山がある

現在、ククリヒメを祀る神社として最も知られているのが白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ/石川県白山市/web)だ。
全国の白山神社はここから勧請されたものが多いとされるのだけど、白山信仰は複雑で、理解することはそう簡単ではない。
まず山としての白山(はくさん/2702m)に対する山岳信仰があった。
白山は富士山や御嶽山のような独立峰ではなく最高峰の御前峰をはじめ、剣ヶ峰、大汝峰の三峰を中心とした周辺の山峰の総称をいう。
県域でいうと、富山県、石川県、福井県、岐阜県の4県にまたがっている。
白山の開山は奈良時代初期の717年(養老元年)、泰澄(たいちょう)によるものとされる。
泰澄が初めて白山に登り、妙理大菩薩を感得して平泉寺を建立したと伝わる。
これが現在の平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ/福井県勝山市/web)につながる。
白山に対する信仰がいつ頃生まれたのは定かではないものの、もしかすると縄文時代やそれ以前に遡るかもしれない。中世には修験場としての性格が強くなり、どちらかというと仏教寄りの色合いが強まっていくことになる。
一方で神社としての白山比咩神社も古く、『延喜式』神名帳(927年)では小社ながら加賀国一宮で、853年には従三位、859年には正三位になっていることからも、古くから格式の高い神社とされていたことがうかがえる。
社伝によると創祀は第10代崇神天皇時代に遡り、舟岡山に”まつりのにわ”が置かれたことを始まりとしている。
現在の祭神は白山比咩大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊となっており、白山比咩大神を菊理媛神を同一とする(公式サイトでは菊理媛尊単独のような書き方をしている)。

菊理媛を白山の神としたのは、大江匡房(1041-1111年)年が『扶桑明月集』(『二十二社註式』に引用)の中で書いたのが最初といわれているも、実際にそういう認識が広まったのは室町時代以降と考えられる。
つまり、平安時代はまだ白山の神は菊理媛ではなかったということだ。おそらく女神という認識は早くからあって、誰かを当てはめとすれば伊弉冉(イザナミ)だったのではないかと思う。
ただ、白山信仰の複雑なところは白山神社の祭神にも現れていて、白山比咩大神(菊理媛神)、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三柱としているところは岐阜県(美濃国)が多く、福井県(越国西)は伊弉冉尊のみ、石川県(越国東)は菊理媛としているところが多いことからすると、白山神社といっても必ずしも源流を同じにしているわけではないことが推測できる。
名古屋の白山神社は菊理媛神単独もしくは主祭神としているところがほとんどで、伊弉諾尊、伊弉冉尊の影は薄い。
中世の神仏習合から明治に神仏分離を経て、その様相は更に複雑化した。
泰澄の平泉寺は明治の神仏分離令のときに平泉寺白山神社という神社として存続することとなり、現在は伊奘冊尊を祀るとしている。
白山の神は菊理媛という認識が必ずしも間違っているわけではないけど、こういった変遷があったということは知っておくべきだと思う。

織田家は白山権現を信仰していた?

話がいきなり飛ぶけど、織田信長の一族は白山権現を信仰していた形跡がある。
信長の家はもともと越前国二宮の劔神社(つるぎじんじゃ/福井県丹生郡/web)の神官家だったとされ、信長の弟の信行は父から受け継いだ末森城に白山権現を勧請しているし、信長は桶狭間の戦いに向かう途中、榎白山に立ち寄って戦勝祈願をしたと伝わる。
来日した宣教師のルイス・フロイスは著書『日本史』の中で、信長が語ったこととしてこんなことを書いている。
「予は伴天連らの教えと予の心はなんら異ならぬことを白山権現の名において汝らに誓う」
キリスト教の教えと自分の考えは何も変わらないことを白山権現の名にかけて誓うといったというのだ。
信長の思う白山権現がどういう神だったのかは定かではないものの、白山の神を強く意識していたのは間違いなさそうだ。
信長の頭の中に菊理媛神がいたかどうか。
室町時代の武将は『日本書紀』を読んでいたのかどうかも気になるところだ。

名古屋の白山神社は古い

名古屋に現存する白山神社は古いものが多く、古墳の上に祀るところが少なくないという特徴がある。
中区の白山神社(新栄)白山神社(市場)がそうで、白山神社(大須)も古墳っぽい。
その他、中区の榊森白山社や西区の白山社(名塚)、守山区の白山神社(小幡)なども古い神社だ。
寺の鎮守から分離したものや、別の神社に合祀された白山をあわせると名古屋には白山社が多かったことが分かる。

ククリヒメとは何者か

菊理媛の名は、イザナギ・イザナミふたりの間を取り持ったことから”ククリ”という名を持つようになったと考えられ、一般的には「括り」の意味だとされる。
また、菊の花の古名を久々(くく)といったことから菊の字が当てられたともいう。
(個人的には後世のこういう解釈をあまり信じていない)
ククリ-ヒメというのはおそらく本名ではなく通称のようなものだろう。そういう意味でいえば、括りの媛という解釈は間違いではない。
記紀が伝える神話が事実そのままではないのは明かとしても、何らかの事実に基づくとすると、イザナギ・イザナミのいざござや仲違いに類することが実際にあって、それを取りなした女性がいたのではないか。
『日本書紀』は説明不足が甚だしいだけど、ククリヒメがイザナギに何かをいって、それでイザナギは黄泉の国に悪い印象持たずに帰っていったけど、その理由はよく分からないという言い草は、言外に何かを匂わせている。はっきり書けなかった理由があったのか、記紀の編集者たちも気になりつつ真相を突き止められなかったのか。
ずっと後年とはいえ、白山の神がククリヒメとされたことには何らかの根拠がある。誰かの個人的な思いつきでそこまで信仰が広がることはないし、定着することもなかったはずだ。
白山とイザナミには何らかの強いつながりがある。そちらが最初で、ククリヒメはその後付けのようにも思える。
ククリヒメのククリが本当に括るから来ているとすれば、一括りにするという意味でイザナギとイザナミを括ったことが由来かもしれない。
結びつけるという意味なら”ムスヒ”という言葉の方がふさわしいから、ムスヒヒメとでもされていただろう。括ると結ぶとでは意味が違う。
大きな意味でイザナギ・イザナギを括ったのであれば、それはふたりよりも目上の長老的な女性という方がイメージに合う。
イザナギ・イザナミの親についてははっきりしないものの、神代七世の六世代目でいうと、淤母陀琉神/面足尊(オモダル)、阿夜訶志古泥神/綾惶根尊(アヤカシコネ/アヤカシキネ)がそれに当たる。
イザナギよりも先に黄泉の国にいて、争っているふたりの前に突然現れて、二言三言でイザナギを黙らせることができたとしたら、それはイザナギのお母さんしかいないのではないか。イザナギとイザナミは兄と妹ともされるから、それならふたりのお母さんということになる。
だから、”ムスヒ”ではなく”ククリ”だったのだと思うけどどうだろう。

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