ククリヒメ《菊理媛神》
ククリヒメ《菊理媛神》 |
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『古事記』表記 | なし |
『日本書紀』表記 | 菊理媛神 |
別名 | 菊理姫 |
祭神名 | 菊理媛命・他 |
系譜 | 不明 |
属性 | 白山の神・仲介役 |
後裔 | |
祀られている神社(全国) | 白山比咩神社をはじめとする各地の白山神社 |
祀られている神社(名古屋) | 白山神社(新栄)(中区)白山神社(市場)(守山区)、白山神社(大須)(中区)、榊森白山社(中区)白山社(名塚)(西区)、白山神社(小幡)(守山区) |
『古事記』には出てこず、『日本書紀』神生みの段の一書(第十)にちらっと登場する。 黄泉の国に去った伊弉冉尊(イザナミ)を追いかけていった伊奘諾尊(イザナギ)は、イザナミの変わり果てた姿を見て驚き逃げ出し、泉平坂(よもつひらさか)で追いつかれて口論になる。 イザナギは妻を失って悲しかったのは私の心が弱かったせいだと言うと、泉守道者(ヨモツチモリビト)は、私とあなたはすでに国を生んでこれ以上何を生むものがあるでしょう、私は帰らずここにとどまりますというイザナミの言葉を取り次いだ。 ここで菊理媛神(ククリヒメ)が登場して何かを言った。するとイザナギはこの言葉を聞いて善いことだと言い、黄泉の国を去ったという。ククリヒメが何を言ったかについては書かれていない。 ふたりの間を取り持ったことから「ククリ」という名を持つようになったと考えられ、一般的には「括り」の意味だとされる。菊の花の古名を久々(くく)といったことから菊の字が当てられたともいう。 白山の神、白山比咩神(シラヤマヒメ)と同一視されるようになった時期や経緯についてはよく分かっていない。加賀国一宮の白山比咩神社(web)の創建は古く、『延喜式』神名帳(927年)にも載っている。古くは伊奘諾尊・伊弉冉尊を祭神としていたようで、平安時代後期に大江匡房が書いた『扶桑明月集』の中で白山の祭神を菊理媛としたのが初出とされる。 白山は霊場となり、中世には神仏習合した。仏教系の社でも白山神は祀られ、白山大権現、白山妙理菩薩などとも呼ばれた。 現在の白山比咩神社は、主祭神を白山比咩神=菊理媛神とし、伊奘諾尊・伊弉冉尊をあわせて祀る。全国の白山神社もそれにならったところがけっこうあるのだけど、明治の神仏分離令での経緯がやや複雑で、必ずしも三柱を祀っているわけではない。菊理媛神単独だったり、伊奘諾尊・伊弉冉尊だったり、伊奘諾尊または伊弉冉尊のみだったりする。 名古屋では中区の白山神社(新栄)や白山神社(市場)のように古墳の上に白山を祀る例がある。白山神社(大須)も古墳っぽい。 中区の榊森白山社や西区の白山社(名塚)、守山区の白山神社(小幡)など、古い時代の創建とされる白山社も何社かある。 その他、寺の鎮守から分離したものや、別の神社に合祀された白山をあわせると名古屋には白山社が多かったことが分かる。 |