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天神社(中切町)


意外と古い天神か?



中切天神社

読み方てんじん-しゃ(なかぎり-ちょう)
所在地名古屋市中切町4丁目26 地図
創建年不明
旧社格・等級等無格社・十五等級
祭神菅原道真(すがわらのみちざね)
アクセス地下鉄鶴舞線「庄内通駅」から徒歩約45分
駐車場 なし
その他例祭 3月25日
オススメ度

 かつて矢田川と庄内川に挟まれた狭い土地に、福徳村、中切村、成願寺村があり、川中三郷と呼ばれていた。
 福徳八龍社中切神明社、中切天神社は東西に並んで小高い丘の上にある。矢田川が今よりも南を流れていたとき、これらの神社は右岸(北側)の堤防にあったからだ。
 川中の地形は水害が多すぎるということで、昭和5年(1930年)から昭和7年(1932年)にかけて矢田川の付け替え工事が行われ、北の庄内川に沿うように流路を変えられた。
 そのあたりの変遷は今昔マップを見ると分かる。
 その結果、川中三郷は矢田川の南側となり、水害は少なくなった。神社はそのまま堤防だった場所に残されることになったため、高台の上に建つ格好となった。
 成願寺の六所神社は、矢田川の付け替え工事にともなって現在地に移された。



『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は明かではないが、宝暦七年(1757)庄内川の洪水を避けて白山神社に移った記録あれば、それ以前の鎮座は明かである。明治6年、据置公許となる。昔から疫の病気に霊験ありと伝える」



 江戸時代中期の1757年に白山神社に移された記録があるというのだけど、中切村に白山社はなかった。白山社があったのは隣村の福徳村だから、そこに一時的に移されたということだろうか。
『尾張徇行記』(1822年)では、1763年(宝暦13年)に水難除けに春日、八龍、八幡を白山社に移したと書いている。しかし、現状では福徳にも中切にも白山社はない。



『寛文村々覚書』(1670年頃)の中切村の項にはこうある。
「社三ヶ所 内 神明 熊野権現 天神 社内八畝歩 堤外永符之内 前々除」
 前々除は、1608年に行われた備前検地のときすでに除地(年貢免除地)になっていたということを意味する。そのときはすでにこの天神社があったということだ。
 1757年に天神を福徳村の白山社に移したというのが事実だとすれば、その後のどこかの時点でもう一度独立させて中切に祀ったということだろうか。そのあたりについては情報がないため分からない。
 熊野権現は今の中切にはないので、どこかに合祀されただろうか。



『尾張志』(1844年)は、「神明社 八明社 下條中切村にあり」と書いている。
 下條中切村が中切村のことだと思うのだけど、ここでは天神がない。ということは、このときはまだ天神は白山に移されたままということか。
 しかし、白山社には熊野社と富士社の末社があると書くだけで天神については記述がない。
 八明社というのはどこのことをいっているのだろう。ひょっとするとこれが天神のことだろうか。



 祭神が菅原道真となったのはいつのことだったのか。
 非業の死を遂げた菅原道真が祟り神とされて天神と結びつけられたのは道真が死んでそう経っていないときだったようだけど、一般的に天神といえばもっと素朴な天の神という意味だった。
 津田正生などは近頃は天神社というと道真を祀るとしているところが多いけど本来はそうじゃないのにと嘆いている。菅原道真が学問の神とされるのは江戸時代に入ってからで、天神イコール菅原道真という認識で天神社を建てるようになったのもそれほど古い時代のことではない。



 この天神社は、安食重頼や山田重忠が崇敬した神社という話がある。情報源が定かではないのでにわかには信じがたいのだけど、それが本当であれば平安時代末にはすでにあったことになる。
 安食重頼(あじきしげより)は源満政から七世孫と伝わる武将で、福徳、中切、成願寺一帯は古くから安食荘と呼ばれ、安食一族が支配していた。
 1132年に起こった墨俣合戦で活躍し、1176年に65歳で没したとされる。
 山田重忠も源満政の子孫で、1221年に起きた承久の乱に参戦して戦死しているから、安食重頼から少し後の人だ。
 いずれにしてもふたりは平安時代末に生まれた人たちということで、この神社絡みでふたりの名前が出てくるということは無視できない。
 中切の天神社や神明社がそこまで古いかというと疑問だけど、逆にいうと、名のある源氏の武将一族がこの地をおさめていて神社のひとつもなかったのは不自然ということもいえる。
 天神社、神明社の前身ともいうべき神社は確かに平安時代にあったのではないか。
 ただしそれらは、菅原道真を祀る天神社でも、天照大神を祀る神明社でもなかったはずだ。



『愛知縣神社名鑑』の「昔から疫の病気に霊験ありと伝える」という一文も気になる。
 古くは茄子天神と呼ばれ茄子(ナス)を供えて病気平癒を祈願したという。いつからそういう話になったのかは分からないけど、こういう話が伝わっていること自体、古い神社であり、もとの祭神が菅原道真ではなかったことの間接的な証といえるのではないだろうか。
 神社は世相を映す鏡であり、流行にも左右され、時代と共に変化して今に至っている。そのうちのどこが本当でどこか嘘ということはなく、初めの祭神と現代の祭神が違ったからといってそれは間違っているということではない。
 今は菅原道真を祀る天神社だ。合格祈願や学業成就をお願いするにはいい神社ということになる。
 京都の北野天満宮(web)や福岡の太宰府天満宮(web)まで行かなくても、近くに道真さんはいる。




作成日 2018.1.13(最終更新日 2019.1.14)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

安食氏と関わりがあったのか中切の天神社

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