
豊川稲荷から勧請したお宅稲荷か
読み方 | こどものみやーいなり(なかやまちょう) |
所在地 | 瀬戸市中山町1-29 地図 |
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | 不明 |
祭神 | 不明(吒枳尼天?) |
アクセス | 名鉄バス「にじの丘学園バス停」より徒歩約17分 |
駐車場 | スペースあり |
webサイト | |
例祭・その他 | 不明 |
神紋 | |
オススメ度 | * |
ブログ記事 |
これはお宅神社だと思う
グーグルマップにもマピオンにも載っているから、それなりの規模の稲荷社だろうと予測して出向いていったら、思いがけない佇まいに戸惑い、しばし立ち尽くした。
これは…お宅神社…なのか?
朱塗りの木造鳥居があって、狛犬がいるから神社っぽいのは間違いないのだけど、続く先にあるのは何かの建物だ。
隣に民家があって、それに付随する離れみたいな感じだ。
これ、入っていっていいのかなと思いつつ進んでみると、建物の入り口上部に「子供宮稲荷」と書かれた額が掛かっている。
どうやらこの中のようだ。

とりあえずここまで来たからには引き返せないとドアを開けて中に入ってみた。

これは…と思って眺めていると、隣の母屋の扉が開いて人がこちらに向かってくる気配がした。
あ、まずい、とがめられるかもと慌てて写真を撮ったら焦ってブレた。
急いで参拝してこの場を後にしようとしたら、家の方(奥さまか)が出てきて顔が合ってしまった。間に合わなかったか。
あ、どうもすみません、勝手に参拝させていただきましたと言うと、いえいえ、参っていただけてありがとうございますと言っていただけたのでホッとした。
入ってよかったんだと。
せっかくだから少しお話しさせていただけばよかったと後から思ったのだけど、このときは逃げるように立ち去ってしまって、かえって申し訳ないことをした。
wikiには「易占いあり」と書いてあるので、出てきた女性の方がやっているのかもしれない。
豊川稲荷からの勧請らしい
ネットにも情報はほとんどないのだけど、wikiに「豊川稲荷の分霊」とあり、幟にも豊川稲荷とあったのでそうなのだろう。
戦前までは一般家庭や企業レベルでもいろいろな神社から勧請して自宅や会社などで祀ることができたのだけど、現在それをやっているのは京都の伏見稲荷大社(公式サイト)など、ごく限られている。
自宅に稲荷を勧請する方法については南区菊住の白狐稲荷大明神のページに書いたので、興味がある方は読んでみてください。
愛知県豊川市にある豊川稲荷(公式サイト)でもやっているとは知らなかった。
豊川稲荷の場合は、御霊を入れてもらった神璽(御真体)を受ける形で、御真体は4万円、8万円、10万円の3つが用意されている。
高いか安いかはその人次第で、高い方が御利益があるかどうかは分からない。
でも、自宅に稲荷神を迎えることは意外と簡単だったりする。
どんな名前を付けるのも自由だし、賽銭箱を置いて賽銭を集めても違法ではない。申請すら必要ないというのはちょっと驚きだ。
年間20万円以上の賽銭があると納税義務が生じるのだけど、自宅稲荷はそんなに儲かるものではない。
子供宮稲荷という社名からして子供にまつわるものなのだろうけど、社名の由来は分からない。
一般的には子守宮のような社名の稲荷が多い。
愛知県豊田市の挙母神社(ころもじんじゃ/公式サイト)は子守大明神とも呼ばれ、境内社に子守天満宮と子守稲荷社がある。
奈良県吉野の吉野水分神社も子守宮と呼ばれているし、東京田園調布にある大天稲荷宮もかつては子守稲荷といっていた。
子守なら子供を守るだろうけど、子供宮というと子供そのものような気がしないでもない。
豊川稲荷と荼枳尼天
日本三大稲荷は地域によって違っている。
一番は京都の伏見稲荷大社で動かないとして、残りの2つはそれぞれが自称しているだけともいえる。
その中で豊川稲荷は三大に入ることが多いようだ。
他の候補としては、関東なら茨城県の笠間稲荷神社や埼玉県の箭弓稲荷神社、東北には岩手県の志和稲荷神社や宮城県の竹駒神社があり、中部だと岐阜県の千代保稲荷神社や長野県の鼻顔稲荷神社が、関西には大阪府の瓢箪山稲荷神社や奈良県の源九郎稲荷神社があり、中国地方には岡山県の最上稲荷山妙教寺や広島県の草戸稲荷神社、九州は佐賀県の祐徳稲荷神社などがある。
この中で異質なのは豊川稲荷と最上稲荷(さいじょういなり/公式サイト)が神社ではなく寺という点だ。
明治の神仏分離令を受けて神社になったところが多いのだけど、豊川稲荷と最上稲荷は神仏習合の形がそのまま残された。
豊川稲荷はもっぱら豊川稲荷としか呼ばれていないので寺なのか神社なのか分かっていない人も多いかもしれない。
現地に行ってみると寺なのに大きな鳥居があって、結局どっちなんだと思う。
正式名を円福山妙厳寺(えんぷくざんみょうごんじ)という曹洞宗の寺だ。禅寺と聞くと意外に想う人が多いんじゃないだろうか。
室町時代中期の1441年(嘉吉元年)に、曹洞宗法王派(寒巌派)の東海義易(とうかいぎえき)によって創建されたと伝わっている。
もともとは豊川近くの円福ヶ丘という高台にあったことで山号を円福山とし、元禄年間(1688-1704年)までに現在地に遷されたと伝わる。
戦国時代には今川義元が伽藍を整備し、徳川家康なども厚く保護した。
この妙厳寺で稲荷神を祀るきっかけになったのは鎌倉時代の禅僧の寒巌義尹(かんがんぎいん/1217-1300年)だったとされる。
南宋に渡った寒巌は、1267年(文永4年)に帰国する船上で吒枳尼天(ダキニテン)の加護を感得したことで護法神としたという。
妙厳寺を開いた東海義易は寒巌の6代目の法孫に当たり、寒巌自ら彫った吒枳尼天像を山門の鎮守として祀ったのだそうだ。
これは現在秘仏とされているのだけど、稲束をかついで宝珠を持ち白狐の背に乗る天女の姿をしているらしい。
豊川稲荷では豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)と呼んでいる。
来年令和8年(2026年)に72年ぶりのご開帳(11月1日から11月23日)が行われるので、実物を見るチャンスがある(令和12年にも大開帳が行われる)。
稲荷神というと農耕の宇迦之御魂神/倉稲魂命(ウカノミタマ)と認識されているのだけど、江戸時代まではそうではなかったし、中世は全然別の性格をしていた。
おそらく中世の人たちは稲荷神といえば吒枳尼天/荼枳尼天(ダキニテン)と思っていたのではないかと思う。
ダキニテンの起源ははっきりしないものの、ヒンドゥー教またはベンガル地方(インドやバングラデシュ一帯)の土着信仰から仏教に導入されたというのが通説となっている。
吒枳尼はダーキニーの当て字で、天が付くことから天部の仏ということだ(上から如来・菩薩・明王・天部)。
もとは裸で空を駆け回り生きた人間の肉や肝臓を食らう魔女(夜叉)だったとされる。
大日如来(盧舎那仏)の化身である大黒天の怒りを買って力を失い、代わりに半年先に寿命が尽きる人間のことが分かる予知能力を授けられて死んだ後に肝を食べることを許されたのだとか。
この予知能力にあやかろうと修験や密教の僧侶たちによって信仰されるようになる。
吒枳尼信仰自体は平安時代あたりからあったようで、空海によって伝えられた真言密教では閻魔天(えんまてん)の眷属(けんぞく)として胎蔵界曼荼羅にも描かれている。
その頃は手に短刀や屍肉を持つ姿だったのが、後に白狐にまたがる天女の格好になっていく。
修験や密教における信仰を経て、室町時代になると天皇の即位灌頂(そくいかんじょう)において吒枳尼天の真言を唱えるようになった。これは密教の秘儀とされる。
同様のことを平清盛も行っていたという話もある。
戦国時代になると城の守護神として祀られるようになるのだけど、そこからも分かるように、中世の稲荷神は農耕神ではなく戦の守護神と考えられていたようだ。
近世以降は戦神ではなく厄除けや病気平癒を祈る対象となっていった。
江戸でたくさんの稲荷が祀られたのも、おそらくは荼枳尼天だったのだろう。
吒枳尼天は人を選ばず願いを叶えると考えられていたため、遊女や博打打ちなども拝んだという。
豊川稲荷が全国区になったのは大岡越前こと大岡忠相のおかげもある。
大岡忠相が屋敷に豊川稲荷を祀った(1828年)のが今の豊川稲荷東京別院(公式サイト)だ。
大岡家はもともと三河の出身で、同じく三河の田原藩士だった渡辺崋山も信仰した。
皇族の有栖川家も帰依した。
江戸時代までは伏見稲荷本願所の愛染寺でも荼枳尼天が祀られていたのだけど、明治の神仏分離令で愛染寺は廃寺とされたので、現在の伏見稲荷では吒枳尼天を祀っていない。
一方で豊川稲荷や最上稲荷はそのまま残された。
ここでも荼枳尼天を祀っているのか?
瀬戸市中山町の子供宮稲荷がいつできたのかは分からない。
今昔マップで明治以降の変遷を辿ると、このあたりが宅地化されて民家が建つのは昭和以降のことだ。
稲荷の前の道は瀬戸村と赤津村をつなぐ旧道で、これは江戸時代にはあっただろう。元になる道は相当古いかもしれない。
その少し南の県道33号線が制定されたのは昭和29年(1954年)で、道自体はそれより前かもしれない。
今昔マップの途中が飛んでいるのでそのあたりはちゃんと把握できていない。
今昔マップには最後まで子供宮稲荷の場所に家が描かれないのだけど、戦後には違いないだろうと推測する。
もしかしたらわりと最近かもしれない。
子供宮稲荷の少し西にあるにじの丘学園は近くの小中学校を統合して誕生した小中一貫校で、2020年(令和2年)に開校した。
豊川稲荷が今でも吒枳尼天を祀っているという意識なのだとしたら、そこから勧請したのも吒枳尼天ということになる。
最上稲荷もそうなのだろうか。
名古屋の北区清水に最上稲荷という小さな社があり、私が把握している範囲では名古屋ではここが独立した最上稲荷としては唯一のところだ。
中区大須にある萬松寺(公式サイト)の白雪稲荷は荼吉尼天(吒枳尼天)を祀るとしている。
稲荷神は浮気を許さない神といういわれ方をすることがある。
強力な助力を得られる代わりに他の神を信仰すると災いがあるのだという。
ハイリスク・ハイリターンな神といういい方ができるかもしれない。
それは吒枳尼の本来の性質からも来ているといえるだろうか。
安易に稲荷神に願い事などはしない方がよさそうだ。
作成日 2025.3.2