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内田町神社


名前以外分からない小さな神社



内田町神社

読み方うちだちょう-じんじゃ
所在地名古屋市熱田区神戸町 地図
創建年不明
旧社格・等級等不明
祭神不明
アクセス地下鉄名城線「伝馬町駅」から徒歩約10分
駐車場 なし
その他 
オススメ度

 内田町にあるから内田町神社なんだろうと思ったら、神社があるのは隣の神戸町(ごうどちょう)だ。神社ができたときはここも内田町だったのか、内田町から移されてそのまま名前が残ったのか。今も内田町の人たちが管理しているのだろうか。
 この神社について分かることは何もない。いつ誰が建てたのか、祭神は何なのかも、調べがつかなかった。推測するための手がかりもない。分かっているのは名前だけだ。



 東海道の宮の渡しがあった場所から少し北へ入った住宅地の中にある。神社左手には市営神戸荘、右手には家屋や店舗などが並んでいる。
 かつてこのあたりに西浜御殿があった。神社西の神戸荘1号棟や神戸公園があるあたりだ。
 御殿というのは大名をもてなすための別荘のようなもので、尾張藩は東浜御殿と西浜御殿のふたつの御殿を持っていた。
 東浜御殿は尾張藩初代藩主の義直によるもので、1624年(または1634年)に七里の渡しの東側の海を埋め立てて建てられた。海に突き出した四角い出島のようになっていて、歌川広重が描いた浮世絵「宮 熱田濱之鳥居」の中で左端に一部姿を見せている。
 対して西浜御殿は2代藩主の光友が1654年に作らせたものだ。
 東西65メートル、南北59メートル、1,475坪というから、けっこうな規模のものだ。
 西浜御殿の北には熱田奉行所があった。
 御殿の正殿は幕末の安政年間(1854-1859年)に売却され、残りの建物は明治6年に取り壊されてしまったため、遺構は残っていない。豪華絢爛なものだったようだけど、はっきり描かれた絵図なども残っていない。
 明治天皇も何度か宿泊したという。



 内田町は昭和14年(1939年)に熱田内田町より成立した。
 もともと内田町は明治6年(1907年)に横浜の内田なんとかという人が土地を払い下げられて町を作ったことに由来するという。
 だとすると、内田町神社ができたのは必ずしも昭和14年以降というわけではなく、案外古い可能性もある。ただ、明治以前ということはないだろう。現実的に考えると昭和に入ってからではないかと思うけどどうだろう。



 社の造りは一応、神明造風ではある。神明社系かもしれないし熱田社系かもしれない。町内神社としては秋葉社とも考えられる。このあたりは秋葉社が多いところだ。
 隣の神戸荘の人たちは知っているかどうか。古くから住んでいる方に訊ねれば何か教えてもらえるかもしれない。




作成日 2017.5.26(最終更新日 2019.9.2)


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