丘陵地帯に村人が山の神を祀ったものか ![]() | |
| 読み方 | やま-じんじゃ(しもやま-ちょう) |
| 所在地 | 名古屋市瑞穂区下山町1丁目41-2 地図 |
| 創建年 | 1733年(江戸時代中期) |
| 旧社格・等級等 | 旧指定村社・十二等級 |
| 祭神 | 大山祇命(オオヤマツミ) |
| アクセス | 地下鉄名城線「瑞穂運動場東駅」から徒歩約9分 |
| 駐車場 | なし |
| 祭礼・その他 | 例祭 10月スポーツの日(旧10月21日) |
| 神紋 | |
| オススメ度 | * |
| ブログ記事(現身日和【うつせみびより】) しっとり落ち着いた下山町山神社 | |
下山町は瑞穂区の東エリアに当たる。
ここは瑞穂台地の上で、古くから人が暮らしていた土地だ。近くで瑞穂遺跡、大曲輪遺跡、下山古墳などが見つかっている。
丘陵地で起伏が激しく、下山町の他、密柑山町などの地名が残っている。北側にある上山の南にあるということで下山という地名がつけられたという。密柑山は文字通りミカン畑があったことから来ているとされる。
下山の山神社は、みかん山の山神社とも呼ばれているそうだ。
山神社の読み方はいつも迷う。山・神社という場合と、山神・社という場合があり、ここは山・神社(やま-じんじゃ)と読ませるようだ。
社伝では創建を江戸時代中期の享保18年(1733年)としている。9月6日という日付まで伝わっているようだからそのまま信じていいだろうか。
ちょっと分からなかったのが、ここは江戸時代の何村かということだ。
瑞穂区のエリアは江戸時代の村名でいうと、高田村、本願寺村、本願寺外新田、北井戸田村、本井戸田村、大喜村、中根村に分かれていた。
本願寺村は薬師寺のあったところでもっと西なので違う。井戸田はその南ではないかと思う。高田や中根、大喜は今も地名が残っているので除外するとどこも残らない。
明治になって村は合併し、古沢村、瑞穂村、弥富村になった。その中では弥富村に属していたと思う。
今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ても判断がつかないので、いったん保留とする。
起伏のある丘陵地ということで大規模な農作地には適さなかっただろう。ミカン畑を作るくらいだから、水田には向かなかったに違いない。
そういう丘陵地帯に山の神を祀ることは自然なことだっただろうし、納得できる。ただ、江戸時代の農村に住む人々が山の神として大山祇命(オオヤマツミ)を意識していたかといえばそれは疑問だ。もっと素朴で単純な山の神さんを祀っていたのではないか。
大山祇神社の総本社は瀬戸内海に浮かぶ大三島(愛媛県今治市)の大山祇神社(公式サイト)とされる。
静岡県三島市の三嶋大社(公式サイト)も大山祇命を祀る三島神社の総本社となっている(事代主神を祀る三島神社もある)。
いずれにしても下山の山神社はそういったところから勧請したものではなく、村人たちが山の神を祀っていたものがのちに大山祇命を祀る山神社として発展していったと考えられる。
『尾張志』(1844年)を見ると、山神社は各地にたくさんあったことが分かるのだけど、廃社になった山神社も多かったようだ。本願寺村の項を見ると、「山神ノ社廃址 中島という所にあり 山神ノ社廃址 飴屋という所にあり」とあり、江戸時代後期には山神社はちょっと廃れかけていたことが伺える。それだけ山林が減って耕作地として開かれていったということだろうか。
ここ下山の山神社はパワースポットという話があるようだ。地形的に気が集まりやすいところなんだとか。
出向いていったときはそういった予備知識はなく、個人的には特別なものは感じなかったのだけど、落ち着いた雰囲気のいい神社だとは思った。私は山神社の鎮まった空気感がけっこう好きなのだ。
作成日 2017.9.2(最終更新日 2026.3.17)

