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山神社(松原)


どこか古くさくて心地いい神社



松原山神社

読み方やまのかみ-しゃ(まつばら)
所在地名古屋市中区松原1丁目6-18 地図
創建年不明
旧社格・等級等村社・十五等級
祭神大山祇命(おおやまつみのみこと)
武速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
アクセス地下鉄鶴舞線「大須観音駅」3番出口から徒歩約9分
駐車場 なし
その他例祭 11月7日
オススメ度**

 雰囲気のある神社で境内の空気に古さを感じる。神社の創建はそれほど古くないのかもしれないけど、土地自体に歴史があるのかもしれない。
 ここからすぐ東、南北を走る伏見通の東には大須二子山古墳(地図)をはじめとした4つの古墳があったことが知られており、大須古墳群と呼ばれている。
 山神社の北、大須通を挟んだ北側にある白山神社地図)は、こんもりした小山の上に社殿があって古墳を思わせる。
 その北には竪三蔵通遺跡をはじめ、白川公園遺跡、旧紫川遺跡など、縄文時代以降の遺跡がある。
 山神社の南の古渡も歴史のある土地で、正木町遺跡や伊勢山中学校遺跡など、弥生時代の遺跡が見つかっている。
 山神社も小山の上に建っていて、ここも古墳なんじゃないかと思った。
 私が山神社の境内で感じた古くささといったものは、そういう歴史の積み重ねから来ているのだろうか。



『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は明かではないが享保年間(1716-1735)に既に鎮座す。古くは七本榎の森、又は七ツ石の社と呼んだ。明治5年村社に列格する。明治44年葺替え石垣を建造した。大正2年、境内神社の津島社、迦具土社を本社と合祀する。昭和20年3月空襲で社殿被災、昭和20年5月社殿復興改築した」
 七というキーワードがあるようだけど、由来は分からない。
 七ツ石というのは気になるところだ。石神だったのか、古墳の石室の石だったとも考えられる。



『寛文村々覚書』(1670年頃)の日置村の項はこうなっている。
「社五ヶ所内 八幡 山王 白山権現 山神 熱田祢宜織大夫持分 神明 当所 観福寺持分 社内弐町壱反弐畝廿四歩 前々除」
 この山神が今の山神社のことであれば、前々除となっているから、1608年の備前検地以前にはすでにあったということになる。



『尾張志』(1844年)にはこうある。
「山ノ神ノ社 日置白山社の東にあり大山祇命を祭るこの社辺なる小坂を三年坂といふ」
 神社の横の坂を三年坂といっていたようだ。どういういわれでそう呼ばれるようになったのかは分からない。



 江戸時代の人たちが山神を祀るとき、本当に大山祇命(オオヤマツミ)のことを思っていただろうか。
 神仏習合が当たり前だった江戸期の人たちにとって神社の祭神はどういうものという認識だったのか、その感覚を共有することができないのがもどかしい。
 江戸後期に尾張藩によって編さんされた『尾張志』では「大山祇命を祭る」と書いているのだけど、これは国学者的な立場からそうしたのか、神社側の言い分だったのか、庶民も含めた共通認識だったのか、そのあたりの判断が難しい。
 一般庶民にとって山神というのは、もっと漠然とした神だったのかもしれない。
 あるいは、我々が思う以上に日本神話で語られるような歴史が身分を超えて広く浸透していたと考えるべきなのか。



 境内には地蔵菩薩を祀った地蔵堂がある。それ自体は別に珍しいことではないのだけど、神と仏が同居している感じがこの神社の雰囲気に合っていていい感じだった。
 山神社が発している波動というか空気感は、安心感があって心落ち着くから、個人的に好きだ。
 この松原山神社は、ちょっと荒れているところがあるのだけど、それでも好感が持てる神社だった。




作成日 2017.8.3(最終更新日 2019.3.8)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

そこはかとなくいい感じの松原山神社

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