日本の母ではないのか?
伊弉冉神/伊邪那美命(イザナミ)はイザナギとセットで語られることがほとんどで、単独で注目されることは少ない。 その分、イザナミの存在というか立ち位置がよく分からないともいえる。 日本国や日本人にとって大いなる母といった存在なのに、そういう扱いをされてこなかった。アマテラスの母という扱いも受けておらず、母ですらないのかもしれない。 知っているようでよく知らないイザナミについて、あらためて『古事記』、『日本書紀』を読んでみることにする。
『古事記』が語るイザナミ神話
造化三神から神世七代の誕生などについては伊弉諾神(イザナギ)の項に書いたのでここでは繰り返さない。 二神は天津神から国作りを命じられ、授かった天の沼矛(ぬぼこ)で海を掻き回して淤能碁呂島(おのごろじま)が出来上がった。 そこに降り立った二神は夫婦となり、国生みを始めるも最初は上手くいかない。 水蛭子(ヒルコ)は葦で作った船に乗せて流し、次に生まれた淡島(あはしま)も子の数に入れなかった。 天に戻って天津神に相談して布斗麻邇(太占)をしたところ、女の方が先に声を掛けたのがいけなかったということになり、地上に戻って国生みをやり直すことになる。 どうして女が先に声を掛けることがよくないのかという理由については語られない。 男のイザナギから先に声を掛けて国生みを再開し、生まれたのが淡道之穂之狭別島(あはじのほのさわけのしま)で、次に伊予之二名島(いよのふたなしま)だった。 一般的にこれは、淡路島と四国のことと解釈されている。 その後、本州や島々を生んで国土を完成させ、続いて神生みを行うことになる。
神生みで最初に生まれたのが大事忍男神(オオコトオシオ)だった。 しかし、この神を知っている人はほとんどいないのではないかと思う。イザナギとイザナミが生んだ実質的な初神にもかかわらず注目されることもなく、神社の祭神になることもなく、その正体もよく分からない。 続いて石土毘古神(イワツチビコ)、石巣比売神(イワスヒメ)、大戸日別神(オオトヒワケ)、天之吹男神(アメノフキオ)、大屋毘古神(オオヤビコ)、風木津別之忍男神(カザモツワケノオシオ)、大綿津見神(オオワタツミ)、速秋津日子神(ハヤアキツヒコ)、速秋津比売神(ハヤアキツヒメ)が生まれたと書くのだけど、なじみの薄い顔ぶれとなっている。 その後の日本神話の中で出てくる神としては、海の神の大綿津見神や祓神の速秋津比売神くらいだ。 続けて多くの神が生まれ、合計35柱になった。 そして結果的に最後となった火の神である火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤオ)を生んだときに負った火傷が元でイザナミは命を落とすことになる。 この神の別名として火之炫毘古神(ヒノカガビコ)と火之迦具土神(ヒノカグツチ)を挙げていて、今はカグツチとして知られている。
イザナミを失って嘆くイザナミからも神が生まれ、イザナミを出雲国と伯耆国の境にある比婆山(ひばのやま)に葬ったと『古事記』は書いている。 悲しみと怒りが収まらないイザナギは、イザナミの死の原因となったカグツチを十拳剣で斬り殺してしまう。”頸を斬った”とあることが何を意味しているのか。何かの暗示とも思える。 カグツチの血から多くの神が生まれていることも何かを表していそうだ。
死んだイザナミが忘れられないイザナギはイザナミを追って黄泉の国を訪れる。 入り口で迎えたイザナミに、イザナギは一緒に帰ろうと声を掛ける。 それに対してイザナミは、すでに黄泉の国の食べ物を食べてしまった(黄泉戸喫/よもつへぐい)ので帰れないと答える。 ただ、せっかく来てくれたので黄泉の国の神に相談してみますといい、絶対にのぞかないでと念を押した。 しかし、こういう場合たいていのぞいてしまうもので、櫛の歯に火をともしてこっそりのぞいたイザナギが目にしたのは、体に蛆がわいて、多くの雷を身にまとっているイザナミの姿だった。 怖くなって逃げ出すイザナギと、それを追いかける黄泉の国の神たち。 最後はイザナミ自身も追いかけて黄泉比良坂(よもつひらさか)で追いついた。 入り口を塞いだ千引岩を挟んでイザナギとイザナミは言い合いになる。イザナミがおまえの国の民を一日1,000人殺すといえば、イザナギはそれなら一日1,500人生んでみせると言い返した。 こうして二人は喧嘩別れした格好となった。日本初の離婚だ。 黄泉比良坂の場所について『古事記』は出雲の伊賦夜坂(いうやさか)だといっている。 汚れた場所に行ってしまったとイザナギは筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(あはぎがはら)で禊ぎ祓いをし、ここでも多くの神々が生まれている。 そして最後に生まれるのが三貴紳とされる天照大御神(アマテラス)、月読命(ツクヨミ)、建速須佐之男命(スサノオ)だった。 つまり、『古事記』はイザナギが三貴紳を単独で生んだとしている。それでいうと、イザナミはアマテラスたちの母ではないということになる。 ただ、矛盾するのだけど、この後スサノオは海原の統治を命じられたにもかかわらず泣いてばかりいて、理由を尋ねると亡き母のいる根の国に行きたいといい、追放されてしまったといっている。だとすると、スサノオはイザナミを母としているということだ。
以上のように、イザナギ・イザナミの物語は『古事記』に書かれた話を元に語られることが多く、そういうものだと認識している人がほとんどかもしれない。 しかし、『日本書紀』では違っている点がいくつかあり、そのあたりもしっかり把握しておく必要がある。
『日本書紀』は少し違っている
第二段、第三段で『古事記』同様、神世七代の神が生まれたとし、一書でイザナギとイザナミの両親について書いている。 とりあえずここは後回しにして、国生みについて見ていく。 第四段の本文は、国生みの最初の部分で、天之瓊矛(あめのぬぼこ)を掻き回して磤馭慮嶋(おのごろじま)が出来、女のイザナミから声を掛けたのはよくなかったのでやり直し(天津神への相談はなし)、淡路洲が生まれるも不快なものだったため吾恥(あはじ)と名づけたと書く。 『古事記』との違いはこの後すぐに大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)が生まれとしている点だ。実質的に最初に誕生したのは本州だったということが言いたかったのだろう。 続いて伊予二名洲(いよのふたなしま)が生まれたとする。 第四段一書は最初に蛭子(ヒルコ)が生まれるも葦の船に乗せて流し、上手くいかないので天津神に相談して太占を行ったことなどが語られ『古事記』とほぼ同じ内容になっている。 一書の第二から第十まではどれも短く、磤馭慮嶋を生む場面の細かい違いや国生みの順番の違いなどで、重要と思えるものはない。
第五段本文は神生みが語られるのだけど、それに先だって海や川、山や草木を生んだといっている。これも『古事記』との違いだ。 その後、いきなり三貴紳を生んだことになっている。 日の神である大日孁貴(オオヒルメ・またの名を天照大神(アマテラス)、天照大日孁尊(アマテラスオオヒルメ))、月の神(またの名を月弓尊(ツクユミ)・月夜見尊・月読尊)、蛭子、素戔鳴尊(スサノオ・またの名を神素戔鳴尊(カムスサノオ)・速素戔鳴尊(ハヤスサノオ))が生まれたとする。 ここでも蛭子は不具で天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)で流したとしているのだけど、それよりも重要なのはイザナギとイザナミが揃って三貴紳を生んだことになっている点だ。 スサノオはここでも泣いてばかりいるので根の国に追放されてしまったといい、それをしたのもイザナギとイザナミだったと書いている。イザナミは死んでいないので亡き母が恋しい云々という理由ではない。 イザナギが禊ぎのときに単独で三貴紳を生んだという話は不自然で、二神が生んだとする方が違和感がないのだけど、『古事記』と『日本書紀』で証言が食い違う場合、『古事記』が本当のことを言っている可能性が高いので、それをどう捉えればいいのかということになる。 伝承ではイザナギが生んだということになっていたものを『日本書紀』が設定を変えたのではないかという推測ができる。
イザナミがカグツチを生んで死んでしまい、カグツチを斬り殺して黄泉の国へ行き、戻ってきて禊ぎ祓えをしたといった物語は第五段の第十一まである一書の中で分けて語られている。 火の神カグツチを生んだことでイザナミが死んでしまった(焼け焦げてとある)ことについては一書第二から第五で書かれている。 ここは細かい違いでさほど問題はない。 見逃せない点としては、一書第五でイザナミを紀伊国熊野の有馬村に葬ったとあることだ。『古事記』との違いについては後述とする。 一書第六は、イザナミがカグツチを生んで死んだことからイザナギの黄泉の国訪問と禊ぎ祓えのこと、イザナギが単独で三貴紳を生んだことなど、『古事記』と同じ伝承を元に書かれたと思われる。細かい部分の違いはあるものの、大筋は同じといえる。 一書第七から第十一まではカグツチから生まれた神の違いや黄泉の国訪問のバリエーションなどで、特に問題となる部分はない。
『古語拾遺』や『先代旧事本紀』では
『古語拾遺』(807年)は、天地開闢の後、最初に現れた神を伊奘諾伊奘冉二神とし、国生みから三貴紳を生むまでをごく簡潔に記している。 斎部広成(いんべのひろなり)の興味の対象は主に神祇氏族の本分なので、それ以外については『古事記』、『日本書紀』の短いまとめ記事になっている。
『先代旧事本紀』(平安時代初期)は、作者がおそらく『古事記』と『日本書紀』を両方参照して書いていて、それをあわせたような記事になっている。 イザナギ・イザナミの話の分量は多く、話の展開は『古事記』に近い。 ただ、大きな矛盾があって、最初にイザナギとイザナミが協力して三貴紳を生んだと書いておきながら、イザナギが黄泉の国から戻ってきて禊ぎをしたときにもう一度三貴紳が生まれたと書いている。理由はよく分からない。
イザナミの系譜について
イザナギのところでも書いたのだけど、イザナミの両親は誰かということを再検討してみる。 第二段の一書第一に、イザナギとイザナミは青橿城根尊(アオカシキネ)の子としている。 青橿城根は神世七代の第六世代神である面足尊(オモタル)・惶根尊(カシコネ)の惶根のこととされる。 男神ではなく女神の子とした理由はよく分からない。 一書第二では国常立尊(クニノトコタチ)の子の天鏡尊(アメカガミ)の子の天万尊(アメノヨロズ)の子の沫蕩尊(アワナギ)がイザナギを生んだとしている。ここではイザナミの名は出てこない。 沫蕩尊は第六世代神の男神である面足尊のこととされる。 第三段の一書第一では、面足尊と惶根尊の次に伊弉諾尊と伊弉冉尊が生まれたとするだけで親が誰かは書いていない。 『古事記』はイザナギ・イザナミの系譜について触れていない。 二神は本当に面足と惶根の子なのだろうか。
イザナギ・イザナミの後裔についてはよく分からない。『新撰姓氏録』(815年)にも『先代旧事本紀』にも記述はないと思う。 記紀の内容からすれば、多くの神々を生んでいるのだから後裔がたくさんいてもおかしくないのに、我が一族はイザナギの後裔だなどと自認している氏族はいない。 天皇家もイザナギ・イザナミを特別大事にしているふうはない。天皇の守護神を祀るとされる八神殿の神にも入っていない。 イザナギ・イザナミは象徴的な存在で人ではないといえばそうなのかもしれないけど、それでも家柄としてイザナギやイザナミの後裔はいるのではないかと思う。それを公にできないとしたら、何か理由があるはずだ。
イザナミが葬られたのはどこか
イザナミを葬った場所を、『古事記』は出雲国と伯耆国の境にある比婆山(ひばのやま)といい、 『日本書紀』は紀伊国熊野の有馬村といっている。 『先代旧事本紀』は比婆山あるいは紀伊有馬村と書いているので、ふたつの伝承があったのだろう。 比婆山は今の島根県との堺に近い広島県庄原市にある標高1264 mの山で、イザナミの伝承地として比婆山熊野神社がある。 かつて島根県側の安来市伯太町にある比婆山久米神社(web)がイザナミ伝承地とされていた時代があった。 一方の紀伊有馬村(熊野市有馬町)には花の窟・花窟神社(はなのいわや/web)があり、こちらの方がよく知られている。 イザナミの伝承地が熊野と結びついているのは偶然ではなく必然で、古くは”雲ノ”だったものが熊野に転じた(と聞いている)。 花窟神社では伊弉冉尊(イザナミ)と軻遇突智尊(カグツチ)を祀っていてイザナギは祭神とされていない。 花窟が神社とされたのは近世以降のことで、それまではイザナミの墓所という認識だったようだ。
イザナギゆかりの地である淡路島の伊弉諾神宮(web)や滋賀県犬上郡の多賀大社(web)でイザナギとともに祀られている。 それとは別に、イザナミを主祭神として祀る神社もある。 徳島県美馬市にあって式内の論社とされる伊射奈美神社(二社あり/web)や福岡県福岡市の飯盛神社(web)などがそうだ。 沖縄総鎮守とされる沖縄県那覇市の波上宮(なみのうえぐう/web)も伊弉冊尊(イザナミ)を主祭神として祀る神社で、どうやら熊野信仰と関係があるようだ。 琉球(沖縄)の歴史は本土とはだいぶ違っているので、琉球の古い信仰がどこかの時代で熊野信仰と習合したと考えられる。 ただ、縄文時代くらいまでさかのぼれば本土の縄文人と琉球の縄文人は根っこが同じだろうから、古い雲の社信仰から発している可能性もある。
名古屋にもイザナギ抜きでイザナミを主祭神として祀る神社がある。 代表的なのが緑区熊の前の熊野社(徳重)で、ここは神ノ倉とも呼ばれる聖地で、最初からイザナミを祀っていたと考えていい。 もう一社は守山区川村町の川島神社で、『延喜式』神名帳(927年)の山田郡川嶋神社の論社とされる。 もともとの祭神は大苫辺命(オオトマベ)で、後の時代に熊野社と呼ばれていたことからイザナミが祀られるとされたのかもしれないけど、この地もイザナミと何か関係がありそうだ。
イザナギ・イザナミに立ち返る
イザナギが日本の父ならイザナミは日本の母と言える存在なのに、これまでそういう扱いをされてこなかったことをとても不思議に思う。 『古事記』、『日本書紀』でも、国生みと神生みの話にあれほど紙面を割いておきながら、舞台から退場した後はまったく存在感がなくなってしまう。イザナギが履中天皇記でちらっと出てくるだけだ。 もっと後々も影響力を持っていてもよさそうなのにそうではない。 記紀の編集者たちが意図的にそうしたのか、ただ単に役割を終えたらそれまでと考えられていたのか。 日本国の始まりはイザナギ・イザナミだと私は思っている。そう考えることで日本の歴史は必ずしも天皇中心で進んできたわけではないことに気づく。 多くの神々がいて、それぞれの役割を果たし、氏族たちが命をつないで今がある。それぞれの一族にはそれぞれの歴史がある。 アマテラス中心の歴史観からイザナギ・イザナミ中心の歴史観に立ち返ったとき、日本人は忘れていた大切なことに気づくのではないかと思う。
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