ミヤズヒメ《宮簀媛》

ミヤズヒメ《宮簀媛》

『古事記』表記 美夜受比売
『日本書紀』表記 宮簀媛
別名  
祭神名 宮簀媛命・他
系譜 (父)乎止与
(母)眞敷刀婢命
(兄)建稲種命
(夫)倭建命/日本武尊
属性 尾張氏、尾張国造(とも)
後裔  
祀られている神社(全国)  
祀られている神社(名古屋) 氷上姉子神社(緑区)、松姤社(熱田区)、熱田神宮(熱田区)、成海神社(緑区)、七所社(岩塚)(中村区)、七所神社(笠寺町)(南区)、東ノ宮神社(瑞穂区)、八劔社(高須賀)(中村区)、八劔社(野並)(天白区)、十所社(城町)(西区)、熱田社(宝神町会所裏)(港区)
『古事記』では美夜受比売、『日本書紀』では宮簀媛と表記される。
 記紀では倭建命/日本武尊(ヤマトタケル)の妃として登場する。
 父は尾張国造で尾張氏代11代(12代とも)の乎止与命(オトヨ)、母は真敷刀俾(マシキトベ)、兄に尾張氏12代の建稲種命(タケイナダネ)がいたとされる。
 タケイナダネはヤマトタケル東征に副将軍として従い、帰りに駿河の海で没したと伝わる。
『日本書紀』は、ヤマトタケルが東征の帰りに尾張で尾張氏の女の宮簀媛をめとって何ヶ月が過ごし、五十葺山/膽吹山(いぶきやま)に荒ぶる神がいると聞き、草薙剣をミヤズヒメの元に置いたまま出向き、神の怒りに触れて病気になり、どうにか尾張まで帰り着いたもののミヤズヒメのところへは戻らず、伊勢を目指して途中の能褒野(のぼの)で亡くなったと書く。
『古事記』は、東征の行きに尾張国造の祖の美夜受比売(ミヤズヒメ)の家に入って婚姻の約束をして、帰りにもう一度立ち寄ったところ、ミヤズヒメは生理中で、そのことを互いに歌を詠み、それでも交わり、婚姻したとし、やはり草那芸剣をミヤズヒメのところに置いたまま伊服岐の山の神を討ちに行って神の使者と神を間違えて不調を来たしてしまう。この後、尾張に戻ったという記述はなく、伊勢方面へ向かい、能褒野で没したとする。
 記紀には熱田社創建に関しては何も書かれていない。ミヤズヒメが熱田の地に草薙剣を祀ったのが熱田社の始まりといった話は、『熱田大神宮縁起』などの縁起書や『尾張国風土記』逸文が伝えるものだ。
『尾張名所図会』は布曝女町(今の松姤社があるあたり)でヤマトタケルは川辺で布を晒しているミヤズヒメに出会い、氷上の里への道を尋ねたらミヤズヒメは耳が聞こえないふりをして答えなかったといった話を書き、『尾張志』はヤマトタケルの東征中、ミヤズヒメは門を閉じて誰とも会わず、誰の声も聞かずにヤマトタケルの無事の帰還を祈願したといったような話を紹介している。
 記紀においてミヤズヒメの子に関する記述はない。ただし、『古事記』は尾張国造の祖としていることからすると子孫はいたということで、実際は子供がいたのか、後に養子を取ったのか、タケイナダネと両親が亡くなった後に国造を継いだのだろうか。
 緑区の氷上姉子神社近くの火上山には元宮とされる場所があり、そこがミヤズヒメとヤマトタケルが数ヶ月を過ごした館があった場所という。実際訪れてみると、高いエネルギーを発している場と感じる。
 火上山の西の齋山(いつきやま)は、ミヤズヒメとヤマトタケルが契りを交わした場所という伝承がある。現在は齋山稲荷社があり、社は古墳の上に建っている。ここは古代の空気感を色濃く残す場所だ。
 氷上姉子神社近くにある玉根社もミヤズヒメに関係する社のようだ。
 熱田の松姤社は、とてもキラキラしていて、ミヤズヒメのいい思い出の残存記憶をとどめている場所なのかもしれないと思った。
 熱田区の熱田神宮、緑区の成海神社、中村区の七所社(岩塚)、南区の七所神社(笠寺町)、瑞穂区の東ノ宮神社、中村区の八劔社(高須賀)、天白区の八劔社(野並)、西区の十所社(城町)、港区の熱田社(宝神町会所裏)でミヤズヒメは祀られている。
 守山区の東谷山山頂にある尾張戸神社はミヤズヒメが創祀したという言い伝えがある。
 少し気になる話として、奈良県天理市の石上神宮(web)内にある出雲建雄神社の縁起がある。
 第40代天武天皇時代に、布留邑智(ふるのおち)という神主が夢の中で「吾は尾張氏の女が祭る神である。今この地に天降って皇孫を保じ諸民を守ろう」 と託宣を受けてそれに従い祀ったのが始まりという。
 現在、出雲建雄神社は草薙剣の荒魂を祀るとしている。

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