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アメノミナカヌシ《天御中主神》

アメノミナカヌシ《天御中主神》

『古事記』表記 天之御中主神
『日本書紀』表記 天御中主尊
別名  
祭神名 天之御中主神・他
系譜 造化三神(高御産巣日神・神産巣日神)
属性 別天つ神・造化三神
後裔 伊豆国造・服部連、中臣氏
祀られている神社(全国) 秩父神社(千葉県)・千葉神社(千葉県)・八代神社(熊本県)などの妙見信仰の神社、水天宮(福岡県)、水天宮(東京都)などの水天宮系の神社、彌久賀神社(島根県出雲市)、東京大神宮(東京都)、近代の神社
祀られている神社(名古屋) 参神社(中区)

『古事記』と『日本書紀』の違い

『古事記』では天之御中主神、『日本書紀』では天之御中主神と表記される。
 その扱いについて、共通する部分と違っている部分がある。

『古事記』では序文に続く本文の最初のところでいきなり名前が出てくる。
 原文は以下のようになっている。

 ”天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神。”

 なんとも微妙な言い回しで、これをどう解釈するかについては、いくつかの説が出されている。
 天を高天原、地を葦原中国と考えたとき、天地が初めて起こったときなのか、天と地が初めて分かれたときかで解釈が分かれる。
 どちらにしても宇宙創成には触れず、すでに世界はそこにあり、初めて現れた神がいたというのが『古事記』の書き出しとなっている。
 微妙な言い回しというのは、後半部分もそうで、高天原に”成った”神の名前は天之御中主神という書き方をしていることだ。 
 ”於高天原成天之御中主神”のように高天原に成ったのは天之御中主神としてもよさそうなのに、どうしてその神の名前は天之御中主神といった回りくどい表現をしたのだろう。
 続く原文は”次高御產巢日神、次神產巢日神”となっており、最初から次までの期間がよく分からないのもモヤモヤする。次々と現れたのか、時間をおいてなのか、次の世代といった意味なのか。
 原文を続けて読んでみると、”此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也”となっていて、ここもよく分からない。”獨神”や”隱身”は何をいわんとしているのだろう。
 一般的な解釈としては、対の神がいない純粋な陽の気の男神とされる。陽の気が男神で、陰の気が女神というのは何を根拠にしているのか。

 天御中主神・高御產巢日神・次神產巢日神は”造化三神”(ぞうかさんしん)と呼ばれる。これは序文の”參神作造化之首”から来ている。
 また、続いて生まれた宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)と天之常立神(アメノトコタチノカミ)の五柱を”別天つ神”(ことあまつかみ)と『古事記』はいっている。
 これら五柱の神はすべて獨神で隱身したと『古事記』はいうのだけど、よく分からないというのが実際のところだと思う。

『日本書紀』の本文はまったく違うことを書いている。
 少し長いけど引用すると以下の通りだ。

 ”古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。
 及其淸陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。
 故天先成而地後定。然後、神聖生其中焉。
 故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物。狀如葦牙。
 便化爲神。號国常立尊。至貴曰尊。自餘曰命。並訓美舉等也。下皆效此。
 次国狹槌尊。次豊斟渟尊。凡三神矣。
 乾道獨化。所以、成此純男。”

 天と地が分かれる前、陰と陽もはっきりしていなかったのが、だんだん定まってきたとき、天地の中に葦の芽のようなものが生まれ、それは国常立尊(クニノトコタチ)だといっている。
 つまり、『日本書紀』は最初の神を天御中主ではなく国常立としているということだ。
 続いて国狹槌尊(クニノサツチ)、次に豊斟渟尊(トヨクムヌ)が生まれたとし、”凡三神矣。乾道獨化。所以、成此純男。”と書く。
 ” あめのみちにて ひとりなす”、”このゆえにおとこのかぎりをなせり”という言い回しになっている。
 ”乾”は乾坤一擲の天のこと(”坤”は地のこと)で、直訳すると天の道を成したのは純粋な男神だったということになるだろうか。
 ちょっとよく分からない部分もあるのだけど、考えても分からないので先へ進みたい。

『日本書紀』において天御中主神が出てくるのは一書第四で、以下のように書かれている。

”一書曰、天地初判、始有倶生之神。號国常立尊。次国狹槌尊。
 又曰、高天原所生神名、曰天御中主尊。次高皇産靈尊。次神皇産靈尊。”

 天地が初めて分かれたとき、始めに”倶生”した神は国常立尊(クニノトコタチ)で、次に国狹槌尊(クニノサツチ)だった。
 また曰く、高天原に”生神名”は天御中主尊、次に高皇産靈尊(タカミムスビ)、次に神皇産靈尊(カミムスビ)であると。
 この異伝の立場を採ると、なるほどそういうことかと納得する。”高天原”に最初に現れた神が天御中主で、続いて高皇産靈尊、次に神皇産靈尊で、それ以前の天地がまだ定まっていなかった頃に国常立尊と国狹槌尊が生まれたと理解すればいいということだ。『古事記』はその前段階の部分を書いていなかっただけといえばそうともいえる。

 これら以外の記述はないので勝手に解釈するしかないのだけど、記紀を読む限りにおいては、天御中主は何もしていない。天地も創造していないし、高天原の支配もしていない。誰の親でも子でもなく、独りで現れてただ消えただけだ。
 これを宇宙の中心の神といえるだろうか? どう拡大解釈してもそんなことはいえない。
 天御中主=宇宙の根源神という考え方が出てきたのはもっと後世のことだということが分かる。

 

『古語拾遺』では

 ついでに『古語拾遺』(807年)を見ておくと、ここではまた違った天地開闢の話が語られている。
 まずいきなり伊奘諾(イザナギ)と伊奘冉(イザナミ)が出てくる。
 ”開闢之初 伊奘諾伊奘冉二神 共爲夫婦 生大八州国 及山川草木”
 天地開闢したときに伊奘諾と伊奘冉は夫婦になって国生みをしたというのだ。
 かなり大胆な言い伝えというか、思い切った独自性を発揮している。
 国生みに続いてすぐに日の神、月の神、素戔嗚神を二神は生んだとする。
 次の段で、”天地割判之初 天中所生之神 名曰 天御中主神 次 高皇産靈神 次 神産靈神”と書く。
 天と地が初めて分かれたときに天の中に天御中主神が生まれ、次に高皇産靈神、神産靈神としているので、これは『古事記』とほぼ同じと見ていいだろう。
 ここでいう”天”は宇宙といった広い意味ではなく高天原のことを指していると解釈していいと思う。

 

 天御中主の後裔

 以上のように天御中主は観念的な神という位置づけで、そもそもは具体的な信仰対象ではなかったと推測できる。
『延喜式』神名帳(927年)に天御中主を祭神とした神社は見当たらないことからもそういえる。
 ただ、『新撰姓氏録』(平安時代初期)で、伊豆国造・服部連遠祖の天御桙命(アメノミホコ)を天之御中主神の十一世孫としており、まったく存在感がなかったわけではなさそうだ。
『尊卑分脈』(南北朝時代から室町時代初期)では中臣氏族の遠祖として天之御中主神の名が見える。
 中世以降に天御中主を系譜に取り込んだのかもしれないけど、完全に空想の産物とはいえないのではないだろうか。

 

 伊勢神道で祭り上げられる

 そんな天御中主が俄然存在感を出してきたのは、鎌倉時代に成立した伊勢神道によるところが大きい。
 伊勢の外宮(web)の度会行忠らがとなえた伊勢神道において、天御中主は豊受大神(トヨウケ)と同体の根源神に位置づけられた(国常立も同様)。
 古くから伊勢の地にいたとされる渡会氏は、皇室の神である天照大神を祀る内宮に比べて外宮の地位が低いことに納得できなかったのだろう。
 内宮を管理するために後からやってきた荒木田氏に対する対抗心もあっただろうか。
 天照大神より上位の神はないかと探して見つけたのが造化三神の最初の神である天御中主だった。
 これはいけると思ったのかもしれないけど、豊受大神は実は天御中主のことなのだという主張はどう考えても無理がある。誰も異を唱えなかったのだろうか。
 しかし、中世において伊勢神道は広く受け入れられ、発展していくことになる。
 それは神仏習合や両部神道、元寇などの時代背景が深く関わっているのだけど、ここでは深掘りしないことにする。
 いずれにしても、伊勢神道の思想は近世の国学者たちにも影響を与えることになる。

 

 平田篤胤と天御中主

 次に鍵を握る人物は、近世を代表する国学者の一人、平田篤胤(ひらたあつたね)だ。
 復古神道を唱えた平田篤胤は、天之御中主神を最高位の究極神に位置づけた。
 平田篤胤について書こうとするとそれだけでとても長くなってしまってうので略歴だけにしておく。
 江戸時代後期の1776年に出羽久保田藩藩士・大和田祚胤(おおわだとしたね)の子として生まれ、20歳のときに脱藩して江戸に出た後、備中松山藩士・平田篤穏(ひらたあつやす)の養子となる。本居宣長没後に門人を自称し、国学者として多くの著述を残した。
 平田篤胤は、始原神としての天御中主が頂点にいて、その下に高皇産靈神・神産靈神、更に下に天照大神で、その下に天皇という構図を思い描いていたようだ。
 その思想は現代にもつながっていて、もし平田篤胤がいなければ天御中主に対する信仰は残っていなかったかもしれない。

 

 妙見菩薩との習合

 もう一つの流れとして、天御中主と妙見菩薩と習合についても触れないといけない。
 ただ、これもここで書くには長すぎるので、妙見菩薩のページを参照ください。

 

 天御中主神を祀る神社

 現在、天之御中主神を祀る神社はだいたい三系統に分類することができる。
 ひとつは妙見信仰系、もう一つが水天宮の系統で、あとは教派神道・新宗教系だ。
 妙見信仰で有名なのは熊本県の八代、大阪の能勢、福島の相馬などで三大妙見といった呼ばれ方もする。北辰一刀流で知られる千葉氏や秩父神社なども妙見信仰系だ。
 妙見の神社としては鹿児島県鹿児島市と霧島市の天之御中主神社、熊本県の八代神社(web)、千葉県の千葉神社(web)、岩手県の九戸神社(web)などがそれに当たる。
 大阪の能勢妙見山(web)は日蓮宗との関わりが深い。
 水天宮(web)はもともと久留米藩主の有馬家が信仰していたもので、江戸で有名になり(web)、安産の神とされ、明治の神仏分離の際に祭神を天御中主神とした。
 水天宮についてはアントクテンノウ《安徳天皇》のページを参照してください。
 東京大神宮(かつての日比谷大神宮/web)は、天照皇大神と豊受大神の他に天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神を祀っている。
 これは明治に大教院の神殿(旧八神殿を移築)で造化三神を祀っていたためで、広くいうと教派神道系の神社はこの系統といっていいと思う。
 兵庫県は天御中主神を祀る神社が何故か多く、少なくとも40社以上ある。理由はよく分からない。
 島根県出雲市の彌久賀神社(web)や松江市の高宮神社などが主祭神として祀っているのは、出雲大社(web)の古い信仰から来ている可能性がある。
 古代の杵築大社が高層建築だったのは別天津神の祭儀と関係があるのではないかとする説がある。

 名古屋では天御中主を主祭神として祀っているところはなく、實行教の神社である中区の参神社で高皇産霊神、神皇産霊神とともに名を連ねているだけだ。

 

 ミナカヌシはいたのか

 天御中主とは一体何なのか?
 単に想像上の始原神なのか。あるいは何らかの象徴か。もしくはモデルとなる人物がいたのか。
 案外実在した一個人ではないかという気もする。
 天の一族の遠い祖先にひとりのおじいちゃんがいて、その人がミナカヌシその人という可能性もある。
 あるいは、遙か昔に遠い星から地球にやってきた一人の異星人の伝承かもしれない。

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