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御嶽神社(米野木)

けっこう立派な御嶽社

読み方おんたけ-じんじゃ(こめのき)
所在地日進市米野木町北畑 地図
創建年1859年?(安政6年)
旧社格・等級等不明
祭神大名持命(オオナモチ)
少彦名命(スクナヒコナ)
アクセス名鉄バス「宮西」より徒歩約6分
駐車場なし
webサイト
例祭・その他不明
神紋
オススメ度
ブログ記事

岩崎御嶽社より前?

 米野木の神明社の裏山にある御嶽社。
 神明社から道が続いていて、本殿裏から5分ほど歩いたところにある。
 南の本亮院からも行くことができる。

 わりと広めの境内地に建物や霊神碑、石碑などが建っている。
 あまり人が訪れるようなところではなさそうだけど、荒れた感じはない。
 立派な鳥居もあって、ちゃんとしたといういい方は失礼だけど、しっかりした神社だ。
 奥の院のようなところもある。
 岩崎御嶽社との関係は分からないのだけど、”心”がついた御嶽マークの石碑があったから、心願講の人たちが関わっている御嶽社だろうか。

 史料にもネットにも情報がほとんどなくて、ほぼ唯一といえそうなのが『日進町誌』で、こんなことが書かれている。

御嶽神社(大名持命・少彦名命)は神明社の東北の丘陵端(海抜約八〇)に鎮座しており、安政六年の創祀と言われている。

昭和二十一年四月、氏子霊社を創建し、米野木地区戦歿者の霊を祀った。

 情報元が分からないのだけど、創建(創祀)を安政6年といっており、これは1859年に当たる。
 けど、本当だろうかという気持ちがないではない。
 というのも、岩崎の御嶽社の創建が1860年(万延元年)といわれているからだ。
 どちらも本当だとすると、岩崎の御嶽より米野木の御嶽の方が一年早いことになる。
 あり得ないことではないのだけど、この一年の違いは何を意味しているのか。
 岩崎御嶽社についても、明心と明寛が夢のお告げを受けて木曾から御嶽大神を勧請して創建したという社伝を個人的にはちょっと疑っている。

 木曽御嶽山と御嶽教について少しだけ復讐しておくと、それまで厳しい潔斎を行わないと登ることが許されなかった木曽の御嶽山を一般に開いたのが尾張の覚明と武蔵の普寛とされる。
 1785年(天明5年)に覚明が黒沢口を、1792年に普寛が王滝口のルートを確立した(公認はそれぞれ1792年と1799年)。
 この後、御嶽山信仰が広く一般に広がり、信者による講社が作られ、各地に御嶽社が建てられるようになる。
 なので、古代からあったであろう木曽御嶽山信仰と覚明、普寛以降の御嶽教信仰は別物と考えた方がいい。
 もちろん、古い御嶽信仰の延長線上に御嶽教はあるのだけど、現存する御嶽社は江戸時代の後期以降に建てられた御嶽教のものがほとんどだと思う。
 中には古い御嶽信仰が形を変えたものもあるかもしれないけど。

 分かることはこれくらいで、もう書けることがない。
 あらたに情報が得られたら追記します。

作成日 2025.6.15


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