尾治多那久摩連命がいてもいなくても ![]() | |
| 読み方 | まつおか-じんじゃ |
| 所在地 | 名古屋市熱田区森後町8-6 地図 |
| 創建年 | 不明 |
| 旧社格・等級等 | 旧無格社・十五等級 |
| 祭神 | 尾治多那久摩連命(おわりたなくまむらじのみこと?) |
| アクセス | JR東海道本線「熱田駅」から徒歩約5分 地下鉄名城線「神宮西駅」から徒歩約3分 |
| 駐車場 | なし |
| 祭礼・その他 | 例祭 10月17日 |
| 神紋 | |
| オススメ度 | * |
| ブログ記事(現身日和【うつせみびより】) 松岡神社に鴻の巣があったのは遠い昔のこと | |
熱田神宮(公式サイト)の少し北の高台にある神社。南側は崖になっている。
JR熱田駅と地下鉄神宮西駅の中間にあって、交通量の多い道沿いにそれはある。
車で横を通ったことがある人はけっこう多いかもしれない。私も存在は以前から知っていたのだけど参拝に訪れたのはこのときが初めてだった。
松岡神社というから、熱田区にありがちな地名が冠された神社かと思いきやそうではなかった。このあたりは松岡ではなく森後(もりご)という。熱田の杜の北側にあることから森後と呼ばれ、それが地名となったとされる。熱田の森の後ろ側ということだろう。
かつては御座主、あるいは鴻の巣とも呼ばれていた。
座主(ざす)は、天台宗の一番上の位の人を指す言葉で、天台座主のことだ。
熱田神宮は天台宗との関わりが深く、神仏習合時代は天台宗の座主が祭祀などにも関わっていた。天台宗の龍泉寺(公式サイト)は熱田社の奥の院とも呼ばれていた。
鴻の巣の鴻(こう)は雁(ガン)の一種のヒシクイ(菱喰)のことで、冬になると日本に渡ってくる渡り鳥だ。その鴻の巣が松岡社にあったことからそう呼ばれたらしい。
『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「社伝に第十二代景行天皇の皇子、日本武尊東征の際尾張国より随従した尾張氏の末裔尾治多那久摩連命各所に転戦武功をたてられたが上総の国筑波山麓で戦死せらる同地に埋め松樹を植えてめじるしとした。尊、尾張に帰るや功績を追慕し遺品を納めて一社を創立する。その後熱田神宮の末社となる。又松岡氏一族の祖霊として永く祭祀する。明治初年に至り附近住民の懇請により氏神として移譲され、明治40年10月26日、無格社に公許あり、昭和20年5月17日の空襲により、社殿、社務所を焼失した。戦後都市区画整理事業に伴い境内を整備した」
日本武尊(ヤマトタケル)の東征に従った尾張国の尾治多那久摩連命は、各地で武功を挙げる活躍を見せるも、上総国の筑波山の麓で戦死したため、そこに松の木を植えて目印として、尾張に戻ってきたときに日本武尊は尾治多那久摩連命を祀る社を創設したという社伝が残るということのようだ。
しかし、ところどころおかしな点がある。日本武尊に従ったといえば初代尾張国造ともされる乎止与命(ヲトヨ)の息子、建稲種命(タケイナダネ)が知られている。
尾治連姓を賜ったのは応神天皇の大臣になった弟彦の時代で、建稲種命の孫の代ということになり、日本武尊とは時代が合わない。
それと、上総国(かずさのくに)は今の千葉県の中央から南側で、筑波山は茨城県の中央やや北寄りに位置している。上総の国に筑波山麓は存在しない。
そもそも、尾治多那久摩連命とは何者なのかが分からない。尾張氏の系図にそういった名前は見当たらない。
日本武尊の東征に従って武勲を挙げたというのであれば、尾張氏当主ではなく有能な武人だったということだろうか。
『尾張志』は松岡ノ社としてこう書いている。
「大宮の北東鴻ノ巣といふ地にあり社人松岡氏祖霊を祭るよしいへり府志に社説曰日本武尊東征之従士而有功故祭之とあり」
府志は尾張藩最初が編さんした『張州府志』(1752年)のことで、日本武尊東征に従って功を立てた士をここに祀るといった内容だ。人物名は書かれていないものの、江戸時代にはそういう話が定着していたようだ。
松岡神社の松岡は、『愛知縣神社名鑑』でも「松岡氏一族の祖霊として永く祭祀する」としているように、この神社を守ってきた松岡氏に由来すると考えられる。
尾張、三河の松岡氏は、熱田社の神官の松岡真人(まつおかまひと)を祖とするという説がある。
後にこの神社は熱田社の末社になっていることからしても、松岡真人かその子孫がこの神社に関わっている可能性がありそうだ。
松岡の名字の由来は、文字通り岡の松から来ているとされる。社伝がいうところの尾治多那久摩連命を埋めた山の麓に松の木を植えて目印としたということは松岡とつながってくるだろうか。あるいは松岡氏が自分の名字の由来として松の木を植えたという話を後付けしたか。
熱田社のすぐ北側に鎮座するのは何か特別な意味が込められていただろうか。
「明治初年に至り附近住民の懇請により氏神として移譲され」(『愛知縣神社名鑑』)とあるから、松岡家が個人宅で祀っていたものを明治になって住民に開放したということのようだ。
日本武尊は架空の人物で、神話で描かれる話はすべて作り話だという人がいるけど、尾張国における日本武尊の足跡にはある種のリアリティーがある。
もちろん、すべてが本当にあったなどと信じているわけではない。ただ、宮簀媛(ミヤズヒメ)と草薙剣の話にしても、東征に副将軍として従った建稲種命のことにしても、それらがすべて無から有を生み出した絵空事とは思えない。
現に草薙剣を祀るとする熱田神宮があり、元宮ともいえる氷上姉子神社や建稲種命を祀る内々神社(うつつじんじゃ/公式サイト)がある以上、神話の元となるような出来事が実際にあったとしか考えられない。
松岡社の祭神の尾治多那久摩連命という名前の人物が実在したかどうかは分からない。日本武尊東征がなかったとしても、そういった人物がいて、何かしらの出来事があったからこそ、こうして神社が建ち、物語が伝わってきたに違いない。
熱田社の実質的な創建がたとえ7、8世紀だったとしても、千年を超える時間は重い。日本武尊が実在したとかしないとか、草薙剣が本物かレプリカかなどといった話ではない。
道ばたにあるちっぽけな神社でも、数百年の歴史があり、多くの人が関わり、守り伝えてきたという事実がある。
そのことに思いをはせることは無駄ではないと思う。
作成日 2017.8.16(最終更新日 2026.3.3)

