ブログ
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消えた10年前の参拝記憶
今日の1ページは名東区平和が丘の平和ヶ丘神社。 近くは何度も通っているのに幹線道路から少し入った奥にあるのでなかなか行く機会がなかった。 と思っていたのだけど、別件で過去の写真データを探しているときにこの神社を撮った写真が出てきた。10... -
最初の一歩に辿り着ければ
今日の1ページは東区赤塚の神明社。 神社の前は数え切れないくらい通っているのに、これまで2回くらいしか行ったことがなかった。しかも、撮ったはずの写真がない。過去データを探しても見つからず、もう一度行って撮り直すことになった。雨降りだった... -
名前のない神社はたくさんあった
今日の1ページは東区芳野の社宮司神社。 社宮司という名前の神社のすべてが民間信仰のミシャクジから来ているわけではない。民間信仰といってもそれは多種多様で、実態はよく分からないものも多い。社宮司という名前を後から当てただけということもあ... -
江戸時代の人の信仰心とは
今日の1ページは東区芳野の稲荷社(義市稲荷)。 竹腰家の屋敷に祀られていたからといって竹腰正信が勧請したとは限らない。でもやっぱり当主である正信の意に反して祀るということはないだろうから、正信自身が祀ったのだろうか。でも、なんで稲荷だ... -
道があって集落ができて神社が建つ
今日の1ページは千種区茶屋が坂の三十番神社。 三十番神社や三十番神信仰などというものは神社サイトを始めるまでまったく知らなかった。知らなかったことは他にもたくさんあるのだけど、三十の神が毎日交代で守るという発想が素敵で、けっこう衝撃を... -
天武天皇時代の名古屋の神社は
今日の1ページは西区名塚の白山社。 天武天皇と尾張国との関係性がよく分からない。 大海人皇子のとき大友皇子との戦いで尾張氏は兵を出して大きな貢献をしているはずなのに、天武天皇として即位してから尾張氏はあまり優遇されいるような感じがない...