江戸時代の人の信仰心とは

 今日の1ページは東区芳野の稲荷社(義市稲荷)
 竹腰家の屋敷に祀られていたからといって竹腰正信が勧請したとは限らない。でもやっぱり当主である正信の意に反して祀るということはないだろうから、正信自身が祀ったのだろうか。でも、なんで稲荷だったのだろう。『愛知縣神社名鑑』が書いている1628年創建というタイミングも、なんとなくしっくり来ない。
 兄弟社というか姉妹社というか、近くに社宮司社がある。そちらも竹腰家に関係があるようなのだけど、義市稲荷以上によく分からない神社だ。それはまた明日書くことにしたい。

 東区の残りで主だったところとしては、社宮司社と赤塚の神明社くらいだろうか。小さなところはもう少しある。
 東区は名古屋城の城下の中心だったにもかかわらず神社が少ない。残らなかったのか、もともと少なかったのか。
 須佐之男社が多いというのはひとつの特徴としてある。これらのすべてが牛頭天王を祀る天王社だったのか、もしくはスサノオを意識したものだったのかは分からない。
 江戸時代といっても267年間もあるから人の心や信仰は歳月とともに変化しただろうけど、もう少し江戸時代の人たちの信仰心を理解できたらと思う。実感としてよく分からないことが理解不足につながっている。
 過去の人たちの気持ちに寄り添わなければ歴史は分からない。

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