道があって集落ができて神社が建つ
今日の1ページは千種区茶屋が坂の三十番神社。
三十番神社や三十番神信仰などというものは神社サイトを始めるまでまったく知らなかった。知らなかったことは他にもたくさんあるのだけど、三十の神が毎日交代で守るという発想が素敵で、けっこう衝撃を受けた。三十番神のフィギュアが欲しいと思った。
三十番神社がここと中志段味以外にも名古屋にあるんだろうか。港区にはなさそうだから、あるとすれば緑区のまだ回っていないところか。
神社を知る上で地形が大事ということはこれまでに何度も書いているけど、古い街道を把握しておくことが大事ということも何度も書いておきたい。
江戸時代までの村は現代のようにまんべんなく家が広がっているわけではなく、集落というようにある場所に集まって固まっていた。
道があって集落ができたわけで、その逆はあまりなかったはずだ。たいてい道沿いに集落はあった。
神社は必ずしも集落の中にあったわけではないけれど、基本的に道がつながっているところにあったはずだ。山の上とかでもない限り。
どの時代にどの道があってそれはどこからどこに通じていたかを知っていることが重要だ。でも、それを知ることは意外と難しい。完璧な道が描かれた古地図などといったものはない。時代がさかのぼればさかのぼるほど道の実態を知ることは難しい。
古東海道、鎌倉街道、美濃路、飯田街道、佐屋街道、塩付街道、稲生街道など、名古屋にはたくさんの重要な道があった。それらすべてを頭の中の地図に描けるようにならなくてはいけない。