結界を張っている?
読み方 | くまの-じんじゃ(くまのちょう) |
所在地 | 瀬戸市熊野町76番74番 地図 |
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | 旧無格社・十四等級 |
祭神 | 伊邪那美命(イザナミ) |
アクセス | 名鉄瀬戸線「瀬戸市役所前駅」から徒歩約16分 |
駐車場 | なし(スペースあり) |
webサイト | |
例祭・その他 | 例祭 10月15日に近い日曜日 |
神紋 | |
オススメ度 | * |
ブログ記事 |
何が隠されている?
『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
創建については明かではない。古くから産土神として信仰あつく、明治6年、据置公許となる
ここから分かることは少ない。
古くからの産土神といっているので、この地区の氏神だったということはいえそうだ。
この神社についてはさらっと流してもいいのだけど、少し引っ掛かるところがあって、それが気になり出すとそのままにはしておけなくなる。
熊野であるということが最大の理由だけどそれだけではなくて、神社がある場所というか、瀬戸村の他の神社との位置関係が気になっている。
石神社(西郷町)や山神社(東郷町)のところでも書いたように、かつての瀬戸村の神社は、北の深川神社を頂点に、南側の丘陵地に並ぶようにして建っていた。
東から山神、石神、秋葉(秋葉町)、御嶽神社(東権現町)、そして一番西にこの熊野神社という並びだ。
単に横並びというだけではなく、どの神社も集落から外れた丘陵地の突端近くに祀られているという共通点がある。
この配置は、深川神社が各神社を従えているようにも見えるし、見方を変えれば南側に結界を張っているようにも感じられる。
意図は分からないものの、たまたまこの配置になったとは考えづらく、何者かの意思があったように思えてならない。
特に熊野の場所が意味不明というか違和感がある。
今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見てもらうと分かる。
瀬戸村の西の外れで周辺には家もなく、田んぼと丘陵地の間の何もないところに鎮座している。
川向こうは上水野村だから、そちらとも関係はない。
どうしてこんなところに祀る必要があったのか。
現地を訪ねてなんで? と思ったのが、この神社のすぐ南に瀬戸警察署があることだ。瀬戸の中心からこんな離れた場所に警察署があるのを初めて知った。
現在の地図を見ると、更に気づくことがある。
警察署だけでなく、すぐ西隣は瀬戸税務署、その西に瀬戸簡易裁判所があり、神社の東には労働基準監督署と、瀬戸の官公庁がここに集まっている。
瀬戸市民の皆さんは、こんなところに役所が集まっていることを不思議に思っているんじゃないだろうか。
行くのは不便だし、警察署も駅周辺で起こった問題に素早く対処できない。
瀬戸は平地が少なくて鉄道を通したことでますます土地が足りなくなって丘陵地しかなかったということはあったかもしれないけど、それにしても中心から離れすぎている。
一つ考えられるのは、遺跡や大事な場所を隠して守るためにこういった公の建物を建てた可能性だ。
これはよくあるパターンで、宅地として開発されたときに掘り起こされていろいろ隠しているものが出てきたりしてやっかなので役所や学校を建てたり、規模が大きいところは公園や緑地にした。そうすると、勝手に掘り起こされなくなるし、地面の下には遺跡がそのまま残ることになる。
南側にある陶原小学校(とうげん)や水無瀬中学校(みなせ)は昭和になってからこの場所に移されたものだけど、開発が丘陵地にまで及んだときにここに移したとも考えられる。
そんなのは妄想だと笑うかもしれないけど、そういった裏事情をいろいろ聞いているので、まったく的まずれの空想とは思わない。
熊野神社があるのは熊野町で、それだけではなくその東は西権現町、東権現町で、これはかつて熊野権現と呼ばれていたことから町名になっている。それだけこの熊野神社の存在感が大きかったことを物語っている。
江戸時代の書に見る瀬戸村
江戸時代の瀬戸村についてはこれまで何度も書いてきているのだけど、直接このページを訪れた方のために引用だけしておくことにする。
『寛文村々覚書』(1670年)にはこう書かれている。
社四ヶ所 内 山神 社宮神 八王子 権現
社内壱町弐反七畝拾八歩前々除 右同人持分
山神は東郷町の山神社、社宮神は西郷町の石神社、八王子が深川神社のことで、権現がこの熊野神社のことだと思う。
「右同人持分」は深川神社社家の二宮氏のことで、現在も深川神社や関係神社は二宮氏が管轄している。
『尾張徇行記』(1822年)はこう書いている。
社四区覚書ニ山神・三狐子・八王子・権現社内一町二段七畝十八歩前々除
当村内熊野権現社内松林二段歩前々除、石神社内松林九畝十九歩前々除、山神社内薮五畝二十歩前々除、諏訪明神社内松林五畝二十歩前々除、今社廃ス、何レモ勧請ノ年曆ハ不伝卜也
いずれも前々除(まえまえよけ)となっているので1608年の備前検地のときはすでに除地になっていたということだ。
勧請についてはすべて不明とする。
気になったのは「今社廃ス」というのが直前の諏訪明神だけなのか、それとも全部がそうだったのかという点だ。
諏訪社は確かに現存していない。
『尾張志』(1844年)は深川神社以外の瀬戸村の神社が見当たらない。
祭神について
祭神は伊邪那美命(イザナミ)と『愛知縣神社名鑑』にある。
熊野社の祭神はバラバラで、伊弉諾尊(イザナギ)だったり、熊野三社の速玉男神(ハヤタマノオ)・事解男神(コトサカノオ)だったりする。
全国的な傾向は把握していないのだけど、尾張はイザナミが多い。
でも、どうしてイザナミ単独なんだろうと考えるとちょっと不思議な気もする。
紀伊の熊野にはイザナミを祀る花の窟神社(公式サイト)もあるし、不自然ではないものの、母系の色合いが濃いような感じがする。
神明鳥の訳とは?
鳥居の形式というのはあまり当てにならないというか意味がなかったりするのだけど、気になるといえば気になる。
大きく分けると伊勢の神宮に代表される神明鳥居と、それ以外の明神鳥居がある。
神明社でなくても神明鳥居のところはたくさんあるから、特に不自然というわけではないのだけど、瀬戸の神社は意外に神明鳥居が多い印象だ。八王子社も神明鳥居だった。
戦後の再建で伝統的な形式が守られなかったということがあるとはいえ、瀬戸の場合は意図的に神明鳥居にしているような気がする。
瀬戸の鳥居事情については、瀬戸市編をすべて書き終えたときにあらためて検証することにしたい。
ちょっと気になった旧地名
上に書いたように、熊野神社は熊野町にある。これは熊野神社から名前が付いたというのは分かるのだけど、昭和17年(1942年)に町名変更されるまでは西犬塚と森という町名だった。
犬塚とはどういういわれなのだろう。
犬塚は栃木、茨城、埼玉にもあって、そのまま取れば犬の塚という意味だけど、この犬は動物の犬ではないはずだ。
塚も普通なら墓の意味だけど、地名としてはそうとも限らない。
犬は英語でDOGで、これを反対から読むとGODになる。
熊野の”熊”は何度も書いているように”雲”から転じた可能性が考えられる。
クニの中心に雲があり、そこから八方向に伸ばしていった先が八雲となり、八雲から出ると出雲になる。
瀬戸のこのあたりは八雲の雲があった場所かもしれない。
開拓には尾張氏が深く関わっていて、それは神社にも表れている。
順慶寺のこと
熊野神社の250メートルほど東に順慶寺(地図)という寺がある。
江戸期の書には見当たらないのだけど、公式サイトがあって、そこに縁起が書かれている。
順慶寺の歴史は法悦信道大和尚が1590年頃書写山・円教寺で 15年間修業をされ、自ら刻んだ「慈母観世音菩薩」を本尊として小さな庵を開かれたことが始まりです。
十四世隨流貞芳尼大和尚の御苦労で昭和23年、善寿庵から善寿寺として改められました。
ただ、瀬戸ペディアはだいぶ違うことを書いている。
春日山 順慶寺。真宗大谷派。大正初期以来布教道場があったが、昭和7年(1931)に真宗大谷派公認布教場として権現説教場となり、その後春日山順慶寺の寺号で開山し、念仏聞法の道場として知られている。本尊としては阿弥陀如来を祠り、寺宝としては阿弥陀如来御木像、親鸞聖人御影像、中興蓮如聖人御影像等があり、年中行事としては正月元旦の修正会、春秋彼岸会法要、孟蘭盆会法要、報恩講等がある。
瀬戸ペディアの方が事実に近い感じがするのだけど、大正時代の布教道場と前身の善寿庵がつながるのかどうか。
どうして春日山だったのかも気になるところだけど、これ以上の情報は得られなかった。
公式サイトの内容で一番反応したのが法悦信道大和尚が1590年頃に書写山・円教寺で 15年間修業したという部分だった。
書寫山圓教寺(公式サイト)は兵庫県姫路市にある天台宗別格本山で、一度訪れたことがあって、すごくいいお寺だった。
映画『ラスト・ラムライ』のロケ地といえばなんとなく思い浮かべられるだろうか。
京都、奈良、鎌倉などでたくさんの寺院を巡っているけど、その中でも特に強い印象を残す寺だった。
姫路城とあわせて回ることをオススメします。
現地を訪ねて
参拝に訪れた日は今にも雨が降り出しそうな曇天ということもあって、神社全体の空気が重く、なんとなく暗く感じられた。
電球の明るさにたとえると40wくらいの感じだ。
明るい神社は100wくらいあるし、すごく暗いところは20wだったりする。
(LEDで育った世代には伝わらないかもしれない)
決して悪い神社ではないし、古く空気感もちゃんと閉じ込めている。
でも、なんというかよそよそしくて、何か隠しているような感じもある。
別に普通の神社ですよととぼけて見せているけど隠しきれないものがあるのが熊野社だったりする。
瀬戸市の中でも注目度の低い神社だろうけど、ここに熊野社があるということをちゃんと認識しておいた方がよさそうだ。
作成日 2024.11.13