ヒカミウバノミタマ《火上老婆霊》
ヒカミウバノミタマ《火上老婆霊》 |
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『古事記』表記 | なし |
『日本書紀』表記 | なし |
別名 | 火高里之大老婆、大老婆公、老姥神様 |
祭神名 | 火上老婆霊 |
系譜 | 宮簀媛命の母神(?) 尾張大印岐の妻(?) |
属性 | 火高の里の地主神 |
後裔 | |
祀られている神社(全国) | |
祀られている神社(名古屋) | 朝苧社(緑区) |
緑区にある朝苧社の祭神。 氷上姉子神社の東、標高約30メートルの姥神山(うばかみやま)と呼ばれる山の中に社はある。 現在は国道23号線や高速道路によって分断されてしまっているけれど、氷上姉子神社の元宮があった火上山と東の姥神山、西の齋山(齋山稲荷社)は連続する地域と考えられていたはずだ。姥神山の東南の麓には弥生時代から古墳時代にかけての石神遺跡(石神白龍大王社)がある。 今でこそ姥神山山中の小社となっているものの、かつては氷上姉子神社の第一摂社として重要視されていたという。 江戸時代中期の1745年に書かれた『氷上山之図』によると、姥神山全体を境内地として、天神、山神、山王などの社があったようだ。 火上老婆霊の正体については諸説ありはっきりしない。火上の地主神とされたり、宮簀媛命の母神とされたりする。では、真敷刀俾命(マシキトベ)なのかというと、どうも違うようだ。 火高里之大老婆や大老婆公、老姥神様などと書かれたり呼ばれたりしていたようで、いずれにしても老婆のイメージで語れる。そのため、年老いたミヤズヒメのことではないかという説もある。 『張州雑志』は尾張大印岐の妻(ミヤズヒメの祖母)といい、『尾張名所図会』は火高の里の地主と書いている。 西の名和(東海市)にある船津神社祭神の妻という説もある。名和はヤマトタケルが東征のときに船で上陸した場所という言い伝えがあり、船津神社はそのとき案内した地元の首長が祀ったか祀られた可能性が考えられる。朝苧社の祭神がその妻というのであれば、火上の里から名和までは一帯の地域だったということだろう。名和は伊勢湾からの尾張国の入口のひとつだった。 姥(うば)は乳母に通じることから、ミヤズヒメの乳母だと考える人もいる。近年まで母乳の出がよくない母親が朝苧社に祈願に訪れたという。 社名の朝苧社について考えてみると、朝はおそらく「麻」のことで、苧は「からむし」のことだろう。 苧(カラムシ)の茎の皮から採れる繊維は非常に丈夫で古くから利用されてきた。自生していたものの他に縄文時代から栽培されていたとされる。紡(つむ)いで糸にし、糸をより合わせて紐や縄にし、縦横に織れば布になった。古代においては糸を作る専門の麻績部(おみべ)や布を織る機織部(はとりべ)といった職業集団がいたことも知られている。 機織りは神の衣を織る女性のことでもあり、それは巫女とも重なる。 火上老婆は特別な機織り、もしくは巫女だったかもしれない。それが年老いたミヤズヒメであったとしてもおかしくない。 火上山や齋山もそうだけど、姥神山も墓所の印象が強かった。ここに眠っているのももちろん特定の誰かではなく、無数の魂たちだ。 |