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オオトマベ《大苫邊尊》

オオトマベ《大苫邊尊》

『古事記』表記 大斗乃辨神(オオトノベ)
『日本書紀』表記 大苫邊尊
別名 大戸摩姫尊・大富邊尊・大苫姫尊・大戸之辺・大富辺
祭神名 大苫邊尊・他
系譜 (対)大戸之道尊/意富斗能地神(オオトノジ)
属性 神世七代
後裔 不明
祀られている神社(全国) 宅宮神社(徳島県徳島市)、波須波神社(島根県出雲市)、染殿神社(宮城県宮城郡)
祀られている神社(名古屋) 川島神社(守山区)

 神世七代の第五世代

 記紀ともに神世七代(かみのよななよ)の一柱としている。
『古事記』と『日本書紀』の内容はおおむね共通しているものの、違っているところもある。

『古事記』は、最初に高天原に現れた三柱を天之御中主神(アメノミナカヌシ)、高御産巣日神(タカミムスビ)、神産巣日神(カミムスビ)とし、それぞれ単独の獨神としている。
 一般的にこれを造化三神(ぞうかさんしん)と呼ぶ。
 続いて、国之常立神(クニノトコタチ)、次に豊雲野神(トヨクモノ)が生まれ、ここまでが獨神で、その次から兄と妹の男女神が対で生まれたとする。
 その順番と組み合わせはこうなっている。
 宇比地迩神(ウヒジニ)・須比智迩神(スヒジニ)
 角杙神(ツノグヒ)・活杙神(イクグヒ)
 意富斗能地神(オオトノジ)・大斗乃辨神(オオトノベ)
 淤母陀流神(オモダル)・阿夜訶志古泥神(アヤカシコネ)
 伊邪那岐神(イザナギ)・伊邪那美神(イザナミ)
 ここから分かるように、オオトノベ(大斗乃辨神)は男神のオオトノジ(意富斗能地神)と対をなす女神ということになる。
 世代としては神世七世の五代目に当たる。

『日本書紀』本文は、天地がまだはっきりしないとき最初に現れた神を国常立尊(クニノトコタチ)としている。
 それに続いて国狹槌尊(クニノサツチノ)、豊斟渟尊(トヨクムヌ)が生まれ、それぞれは獨で成った純男と書いている。
『古事記』とは出だしから違っているということだ。
 第一段一書第一は、国常立尊、国狭槌尊、豊国主尊とし、それぞれの別名を挙げる。
 一書第二は、最初に生まれた神を可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコヂ)とし、国常立尊、国狹槌尊が生まれたとする。
 一書第三は、可美葦牙彦舅尊に続いたのが国底立尊(クニノソコタチ)といっている(国底立尊は一書第一で国常立尊の別名としている)。
 一書第四では、国常立尊、国狹槌尊が生まれたあと、高天原に天御中主尊、高皇産靈尊、神皇産靈尊が生まれたとして、『古事記』の造化三神の名前がここで出てくる。

 神世七代については第二段本文に書かれている。
 その顔ぶれと順番はこうなっている。
 泥土煮尊(ウヒジニ/別名を埿土根尊)・沙土煑尊(スヒジニ/別名を沙土根尊)
 大戸之道尊(オオトノジ/別名を大戸之邊)・大苫邊尊(オオトマベ)
 面足尊(オモタル)・惶根尊(カシコネ/別名を吾屋惶根尊・忌橿城尊・青橿城根尊・吾屋橿城尊)
 伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冉尊(イザナミ)

 大戸之道尊と大苫邊尊に関しては、別名として大戸摩彦尊(オオトマヒコ)・大戸摩姫尊(オオトマヒメ)というとして、更に大富道尊(オオトミヂ)と大富邊尊(オオトミベ)という別名も挙げている。

 第二段と第三段の一書では生まれた神の違いや補足などで、オオトマベ関連の記述はない。
 第三段の一書第一は、埿土煑尊・沙土煑尊、角樴尊・活樴尊、面足尊・惶根尊、伊弉諾尊・伊弉冉尊が
生まれた書いており、意富斗能地神(オオトノジ)・大斗乃辨神(オオトノベ)が抜けているのが少し気になる。

 

『古語拾遺』と『先代旧事本紀』では

『古語拾遺』(807年)は、天地開闢ののち、伊弉諾尊と伊弉冉尊が生まれてすぐに国生みを始めたとしていて、神世七代云々ということはまったく書かれていない。

『先代旧事本紀』は神世七代の五代目として、大苫彦尊(オオトマヒコ)、大苫姫尊(オオトマヒメ)とし、それぞれ大富道(オオトノジ)・大戸麻彦(オオトマヒコ)と大戸之辺(オオトノベ)・大富辺(オオトマベ)・大戸摩姫(オオトマヒメ)という別名を挙げる。
 そして、この二柱の神を”生殖の神”としている。

 

 名前の由来について

 クニノトコタチからイザナギ・イザナミまでの神世七代の中で、オオトノジ・オオトノベを男女の性器の象徴とする説がある。
 ヂ(地)とべ(弁)は男と女の意味を持つとされ、『先代旧事本紀』も”生殖の神”といっている。
 ただ、男性器や女性器を象ったり見立てたりしてご神体にしている神社がけっこうあるのに対して、オオトノジ・オオトマベを祭神としている神社はごく少ないことからすると、古代から中世においてこの二神を男女の生殖神とする思想や信仰はなかったのではないかと思う。
 そうではなく、「ト」を戸や門として門戸の男女神とする考え方もある。
 あるいは、辨/邊の字から境や畔のこととする説もあるようだ。

 

 祭神としては稀ながらある

 オオトマベを主祭神として祀っている神社はごく少なくて、式内社とされる神社の中では、徳島県徳島市の宅宮神社(えのみやじんじゃ)と名古屋市守山区の川島神社しかないようだ。
 その他、島根県出雲市の波須波神社が意富斗能知神・意富斗能邊神として、宮城県宮城郡の染殿神社(web)が大戸辺命・大苫辺命という祭神名で祀っている。

 守山区の川島神社がどういう経緯で大苫辺命を祀るようになったのかはまったく分からず、推測することさえ難しい。
 熊野速玉大社(web)と熊野那智大社(web)の祭神の中に大戸道尊が入っていて、川島神社は江戸時代は熊野権現と呼ばれていたのでその関係だろうか。
 ただ、熊野社は男神の大戸道だけで、女神の大苫辺(オオトマベ)は入っていないからやはり熊野とは別なのか。
 現存する川島神社を『延喜式』神名帳(927年)の川島神社とすることにはやや疑問があるのだけど、もともとオオトマベを祭神として創建されたのだとしたら、そこには何か重要な意味がありそうだ。
 イザナギ・イザナミから見て二世代前だから祖母に当たるといっていいだろうか。だとすれば、まったくの架空の人物とは思えず、ある種の実存感を持って祀った可能性が考えられる。
 名古屋にある熊野神社はどこも古いところが多く、熊野信仰以前は別の神を祀る古社だったのではないかと思う。
 それが中世に熊野信仰と結びついて熊野権現となっていったのだろう。
 オオトノジ・オオトマベという対ではなくオオトマベ単独で祀ったことにも意味がある。
 イザナギ・イザナミも対で祀られず、イザナミだけを祀っているところに引っかかる。
 最初からイザナミとオオトマベを祀る神社として建てられたとすれば、女神だけを祀る必然があったということだ。
 この神社を創建したとされる尾張連の沖津についてもまったく分からないので、なんとも言えない。

 オオトマベは尾張国にとっても何かしら鍵を握る人物に思える。
 次の淤母陀流神(オモダル)・阿夜訶志古泥神(アヤカシコネ)を経てイザナギ・イザナミにつながる流れを考えても一定の存在感があったのだろうと思う。
 川島神社は、イザナミが祖母であるオオトマベを祀ったのが始まりだったかもしれない。

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