綿津見神(ワタツミ)の娘で、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)を育てた後、妃となり、神武天皇(神日本磐余彦尊)を生んだ。
山幸彦(彦火火出見尊)は海幸彦(火闌降命)に借りた釣り針を探すために海の国を訪れ、ワタツミの娘の豊玉姫(トヨタマヒメ)と出会う。山幸(ホホデミ)が国に帰った後を追いかけてきたトヨタマヒメは海辺で出産するとき姿を見てはいけないといったのにホホデミは見てしまう。すると八尋熊鰐(ヤヒロワニ)の姿になっていたのでホホデミは驚き逃げだし、トヨタマヒメは恥じて海の国に帰ってしまう。産み落とされて残された子は鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)と名づけられた、というのが記紀で語られる物語だ。
この後、トヨタマヒメは子供の養育係として妹の玉依姫/玉依毘売(タマヨリヒメ)を送って寄越す。その後、ウガヤフキアエズは育ての親であり母の妹に当たるタマヨリヒメをめとって五瀬命(イツセノ)、稲氷命(イナヒ)、 御毛沼命(ミケヌ)、 若御毛沼命(ワカミケヌ)の4人の子が生まれたと『古事記』は書く。
『日本書紀』は第十段一書(第四)で、トヨタマヒメは生んだ子供を連れて海に戻ったのだけど、やはり天孫の子供を海で育てるわけにはいかないとタマヨリヒメに子供を送らせたとし、十一段の本文でウガヤフキアエズはタマヨリヒメを妃として彦五瀬命(ヒコイツセ)、稻飯命(イナイイ)、三毛入野命(ミケイリノ)、神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコ)を生んだと書いている。
ウガヤフキアエズの子についてはいくつか異伝があるものの、そのうちのひとりが初代神武天皇になったというのは共通している。
タマヨリヒメの「タマ」は霊(ミタマ)、ヨリは憑りつくということで、神霊の依り代となる巫女のことだとする考え方もある。
『日本書紀』第九段一書(第七)では、高皇産靈尊(タカミムスビ)の娘は萬幡姫(ヨロズハタヒメ)で、その娘が玉依姫命(タマヨリヒメ)といっている。このタマヨリヒメは天忍骨命(アメノオシホネ)の妃となって、天之杵火火置瀨尊(アメノギホホオキセ)を生んだとする。天忍骨はオシホミミのことで、天之杵火火置瀨はニニギのことなので、ニニギの母親ということになり、ワタツミの娘で神武天皇の母となったタマヨリヒメとは別の神だ。
『山城国風土記』逸文では、賀茂健角身命(カモタケツヌミ)と伊古夜日売(イカコヤヒメ)との娘で、丹塗矢となって火雷神と結ばれ、賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)を生んだのがタマヨリヒメとしている。
他にも、大物主大神(オオモノヌシ)との間に鴨王(天日方奇日方命)を生んだのが活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)ともいう。
タマヨリヒメを主祭神として祀る神社としては、千葉県長生郡の玉前神社(web)がある。タマヨリヒメがこの地でウガヤフキアエズを育てたという伝承を持つ神社で、式内社(名神大社)であり、上総国一宮だ。福岡県福岡市の筥崎宮(web)は、応神天皇を主祭神として、神宮皇后と玉依姫命を祀る。宮崎神宮(web)や三河国二宮の知立神社(web)のように神日本磐余彦尊(神武天皇)の関係でウガヤフキアエズなどとともに祀られることがある。
下鴨神社(賀茂御祖神社/web)で賀茂建角身命とともに祀られている玉依姫命は、上に書いたように別のタマヨリヒメと考えた方がいい。
名古屋では式内社とされる北区の綿神社で主祭神として祀る他、緑区の鳴海八幡宮、城山八幡社(大高)、八幡社(町屋川)でも祭神に加わっている。
名古屋には賀茂社系の神社が一社もない(もしくは現存していない)。
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