記紀に出てくるのは名前だけ
『古事記』、『日本書紀』に名前だけ出てくる神で、それ以外に説明がないのでどういう性格の神なのかもよく分からない。 記紀で共通しているのは、伊邪那岐命/伊弉諾尊(イザナギ)が十握剣で迦具土神/軻遇突智(カグツチ)を斬ったときに出た血から生まれたとしている点だ。 これが何を意味しているのかは不明なのだけど、血を分けた子供ということであれば実の子という意味にも取れる。 記紀の記述は以下のようになっている。
『古事記』はこう語る。 伊邪那岐命(イザナギ)が十拳剣で迦具土神(カグツチ)の頸を斬ったとき、刀の前から血が湯津石村(ゆついわむら)に走りついて成った神の名は石拆神(イワサク)で、次に根拆神(ネサク)、次に石筒之男神(イワツツノオ)だったと。 これに続いて”刀の本”と”刀の手上”についた血から5柱の神が成り、合計8柱の神は刀より生まれた神だといっている。
考察は後回しにして、同じ場面を『日本書紀』はどう書いているかを見てみる。 第五段本文は伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)がともに海や山や三貴紳などを生んで、素戔鳴尊(スサノオ)を根の国に追放したという話だけで、それ以外のことは書かれていない。 第五段の一書は第十一まであり、その中でカグツチを斬ったことや黄泉の国訪問から禊祓(みそぎはらえ)のことなどが語られる。
一書第六はイザナギが十握剣でカグツチを三段斬りにして、それぞれから神が化成したとする。 剣の刃の復(腹)からしたたった血が天安河の五百箇磐石(いおついわむら)について成ったのが經津主神(フツヌシ)の祖で(名前は書かれていない)、剣の鐔(ツバ)から甕速日神(ミカハヤヒ)が、次に熯速日神(ヒノハヤヒ)が生まれ、これは武甕槌神(タケミカヅチ)の祖といっている。 後に国譲りのときに活躍するフツヌシとタケミカヅチの祖はこのとき生まれたと『日本書紀』はいいたかったようだ。 次に劒鋒(けんぼう/剣先)からしたたった血から生まれた(激越爲神)のが磐裂神(イワサク)で、次に根裂神(ネサク)、次に磐筒男命(イワツツノオ)とする。 一説では磐筒男命(イワツツノオ)と磐筒女命(イワツツノメ)が生まれたとも書く。 最後に劒頭(剣の柄)から闇龗(クラオカミ)が生まれ、次に闇山祇(クラヤマズミ)、次に闇罔象(クラミズハ)が生まれたという。 この”次”の解釈なのだけど、続いて生まれたのなら兄弟のような関係だし、次の世代という意味なら親子関係ということになる。 神世七代の例がここでも当てはまるのなら次の世代ということになり、イワサクとネサクは親子の関係ということだろうか。
一書第七では、イザナギがカグツチを三段斬りにして、それぞれの段から雷神、大山祇神(オオヤマヅミ)、高龗(タカオカミ)になったとし、”また曰く”として磐裂神 (イワサク)が生まれ、次に根裂神(ネサク)、その子が磐筒男神 (イワツツノオ)、次が磐筒女神 (イワツツメ)で、その子が經津主神(フツヌシ)としている。 一書第六では經津主の祖の名前を書かずに磐裂神と根裂神とは別としているのに対して一書第七ので伝承では根裂神の系統に經津主が連なるとしている。 この伝承は頭に入れておく必要がある。
整理するために箇条書きにするとこうなる。
・イザナギがカグツチを斬ったのは十握剣で、『古事記』は”頸を斬った”とし、『日本書』は三段斬りにしたといっている。 ・剣の先、中心、手元からそれぞれ違う神が生まれている。 ・生まれるの表現は”成”になっている。 ・カグツチの血はしたたった、あるいは走りついたとし、それが石についたことで神が成ったとする。 ・その石について『古事記』は湯津石村(ゆついわむら)とし、『日本書紀』は天安河(天八十河)の五百箇磐石(いおついわむら)とする。 ・磐裂神/石拆神が先で根裂神/根拆神が後というのは共通するものの、”次”の解釈をどうするかという問題がある。
”産む”のと”生まれる”のと”成る”のとではニュアンスが違っているし、記紀の編集者は意図的に書き分けているはずだけど、その意図をくみ取りきれない。 血が石について神が成るとはどういうことを象徴しているのだろう。 湯津石村と五百箇磐石は同じことを言いたいのだろうけど、この意味がよく分からない。 石が群(ムラ)がる場所という意味という解釈や、神聖なという意味の”斎つ”(ゆつ)から来ているという説などがある。 大事なポイントは”分ける”ことと”血”から成ったという点だ。合理的な解釈をするのであれば、カグツチを殺すなり追放するなりしてカグツチが支配していた土地を分割して子供たちに分けたといったようなことが考えられる。
『古語拾遺』や『先代旧事本紀』では
『古語拾遺』(807年)は天地開闢のあと最初に生まれた神を伊奘諾(イザナギ)、伊奘冉(イザナミ)としておきながら斎部広成(いんべのひろなり)はイザナギ・イザナミに興味がなかったようで、関連の神話はごっそり削り落としている。イワサク・ネサクはもちろん、カグツチさえ出てこない。
『先代旧事本紀』(平安時代初期)は記紀の内容をあわせたような、それでいて大きく違った内容になっている。 イザナギが十握剣でカグツチの首を切って三つにし、更に五つにし、更に八つに断って、そこから様々な神が生まれたとする。 続いて剣のツバからしたたった血が湯津石村まで走っていって武甕槌の祖が生まれ、剣の先からしたたった血が湯津石村まで走って磐裂根裂神が生まれ、その子が磐筒男と磐筒女で、その二人から經津主が生まれたと書いている。 磐裂と根裂は磐裂根裂神というひとりの神となっていて、その孫が經津主になっているのは面白い。 『先代旧事本紀』は物部氏もしくはそれに近い氏族がまとめたとされていて、フツヌシといえば物部と縁が深い。 この記事の中で、武甕槌の別名として建布都(タケフツ)または豊布都(トヨフツ)とし、これは常陸国の鹿島の石上布都大神(いそのかみふつのおおかみ)だとも書いている。 ここで”フツ”と”石上”が磐裂根裂とつながるのは興味深い。
イワサク・ネサクの後裔と神社について
磐裂・根裂がその後どうなったかについては記紀その他で描かれることはないので不明ということになる。 後裔についてはフツヌシにつながるのであればその後も続いていったと考えられるけど、磐裂・根裂を祖神とする氏族は知らない。 『新撰姓氏録』には載っていないと思う。
磐裂・根裂を祭神とする神社はさほど多くないものの、栃木県に集中しており、県内に磐裂根裂神社(web)や磐裂神社、根裂神社が何社もある。 後裔の一族が移り住んだ可能性が考えられるけど、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の信仰との関連で捉えるべきかもしれない。 奈良時代の735年に下野国芳賀郡で生まれたとされる勝道上人(しょうどうしょうにん)が日光山登頂を三度目にして成功させたときに盤裂神の助けによるとしたことから盤裂神に対する信仰が始まったようだ。 神仏習合時代は盤裂神の本地仏は虚空蔵菩薩とされた。 同じ栃木県鹿沼市にある加蘇山神社(かそやまじんじゃ)は石裂山(おざくさん)に勝道上人が767年に創建したとされる古社で、磐炸命、根裂命、武甕槌男命を祀っている。 フツヌシではなくタケミカヅチを祀るとしている点が気になるところだ。 栃木県日光市の磐裂神社は、かつて”星の宮”と称して虚空蔵菩薩を祀っていたとされる。 その他、式内社に甲斐國八代郡(山梨県笛吹市)の佐久神社(祭神は岩裂神・根裂神・天手力雄命)、近江国浅井郡(滋賀県長浜市)の香取神社(鹽津神社の論社で祭神は經津主神・岩裂神・根裂神・磐筒男神・磐筒女神)、出雲国意宇郡(島根県松江市八雲町)の磐坂神社(『出雲国風土記』には”石坂社”あとあり祭神は磐坂日子之命・國狹槌尊・伊弉諾尊・岩裂神・表筒之男神・根裂神・伊弉册尊)などがある。
名古屋で根裂尊(ネサク)を祀る神社は、赤星神社ただ一社だ。 平安時代末とされる『尾張國内神名帳』に載る”正四位赤星明神”が今の赤星神社とは断定できないのだけど、ネサクを祀る星神社となると、やはり虚空蔵菩薩信仰との関わりを考えないわけにはいかない。 星神社は大きく分けると妙見菩薩信仰系と虚空蔵菩薩信仰系、それと天香香背男(アメノカカセオ)または天津甕星(アマツミカボシ)を祀る神社の3系統になる。 神仏習合時代に寺寄りだったところは明治の神仏分離令の際に祭神を天香香背男や天之御中主神(アメノミナカヌシ)などに変えて存続させたところが多い。 一方でイワサク・ネサクを祭神としている星神社も少なからずあって、それは虚空蔵菩薩を祀っていたところの可能性が高い。 ではどうして虚空蔵菩薩信仰とイワサク・ネサクが結びつくかというと、これがなかなか難しい問題で簡単に葉説明できない。
虚空蔵菩薩と星信仰
虚空蔵菩薩の信仰は奈良時代にはすでに盛んだったようで、若き日の弘法大師空海も虚空蔵求聞持法を阿波の太龍岳や土佐の室戸崎などで修めたとされる(虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱えることにより記憶力を増大させる方法)。 虚空は広大無辺の宇宙を表しており、そこには無限の知恵があるとされ、そこから星神と結びついていったと考えられている。 上にも書いたように勝道上人が日光山で虚空蔵菩薩を感得したことで日光修験の本地仏が虚空蔵菩薩とされ、結果として栃木県に磐裂根裂神社が多くなったのだろう。
では名古屋の赤星神社はどうかというと、これはよく分からないとしかいえない。 星神社ではなくどうして赤星だったのか? 『先代旧事本紀』がいうところの天降りした饒速日尊(ニギハヤヒ)に従った五部人(いつとものお)の中の一柱である天津赤星(アマツアカボシ)との関係も考えられるのだけど、それもひとつの可能性でしかない。 同書は天津赤星は筑紫(つくし)の弦田(つるた)の物部たちの先祖ともいっており、そうなると赤星と物部とイワサク・ネサクはフツヌシやタケミカヅチを通じてつながることになる。 『日本書紀』は一書の中でイワサク・ネサクにフツヌシが連なるとしており、『先代旧事本紀』も同様のことを書いている。 そして、タケミカヅチの別名を建布都(タケフツ)または豊布都(トヨフツ)として常陸国の鹿島の 石上布都大神(いそのかみふつのおおかみ)だといっている(鹿島神宮/web)。 ”フツオオカミ”といえば石上神宮(いそのかみじんぐう/web)が思い浮かぶ。祭神の布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊とされており、これはタケミカヅチが国譲りのときに使った剣で、フツヌシそのものとも考えられる。 この剣を宮中で祀っていたのが物部の祖とされる宇摩志麻治命(ウマシマジ)であり、布留山の麓に移して祀ったのが物部の伊香色雄命(イカガシコオ)だ。 これらを総合して考えると、物部の天津赤星の後裔一族がネサクを祖神として祀ったとしても不自然ではないということになる。
名前の由来と意味について
イワサク・ネサクの名前の由来については、”裂”や”析”という字の連想で岩や根を裂くほど激しい神といったような説があるけど、それには同意できない。 ”サク”という音からすると、やはり分割したということの象徴名のような気がする。 イザナギはカグツチを3つに切り分けて、そこからイワ”サク”とネ”サク”が生まれたというのが暗示しているように思える。 本居宣長は『古事記伝』の中で”石根析”とすべきところを2つに分けて名附けた神名と書いており、『先代旧事本紀』も”磐裂根裂神”としていることからそれはあり得ることだ。 あるいは、磐裂が男神で根裂が女神で、二人は兄妹であり夫婦でもあるという考え方もできそうだ。 いずれにしても、フツヌシ・タケミカヅチの祖という伝承からすると、武神という位置づけになるかもしれない。それを連想させる象徴名がイワサク・ネサクだったということかもしれない。 ひょっとすると、”血走る”の語源はここから来ているのでは? と思いついたけどどうだろう。
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