フツヌシ《経津主神》

2022年4月12日

フツヌシ《経津主神》

『古事記』表記 なし
『日本書紀』表記 経津主神
別名 斎主神/伊波比主神(イワイヌシ)、布都怒志命/布都努志命(『出雲国風土記』)、普都大神(『常陸国風土記』)、香取神、香取大明神
祭神名 経津主命・他
系譜 (父)磐筒男神(イワツツノオ)
(母)磐筒女神(イワツツノメ)
(子)天苗加命(アメノナエマス)
属性  
後裔 香取氏
祀られている神社(全国) 香取神宮、春日大社、石上神宮、一之宮貫前神社、鹽竈神社、香取神社、稲毛神社、大原野神社、枚岡神社 梶並神社
祀られている神社(名古屋) 八王子神社春日神社(北区)、春日神社(大須)(中区)、鹽竈神社(西日置)(中川区)
『日本書紀』のみに登場する神で『古事記』には出てこない。
『出雲国風土記』では布都怒志命と表記され、『常陸国風土記』の普都大神は同一神とされる。
『日本書紀』神産みの段の一書(第六)は、伊弉諾尊(イザナギ)が火の神・軻遇突智(カグツチ)を斬ったときに、剣の刃からしたたり落ちる血が天の安河のほとりにある岩群、五百箇磐石(イオツイワムラ)となり、これが経津主神の先祖と書いている。
 一書(第七)では、カグツチの血がそそいで天の八十河原にあるたくさんの岩を染め、それで生まれた神を磐裂神(イワサク)といい、次に根裂神(ネサク)が生まれ、その子の磐筒男神(イワツツオ)、次に磐筒女神(イワツツメ)、その子の経津主神(フツヌシ)が生まれたとしている。
『先代旧事本紀』も同じように磐裂神・根裂神の子の磐筒男・磐筒女が経津主神を生んだとする。
 葦原中国平定の段では、高皇産霊尊(タカミムスビ)が神々を集めて誰を派遣するのがいいか相談したところ、皆はフツヌシがいいとなったところへ武甕槌神(タケミカヅチ)が現れて、どうしてフツヌシだけが丈夫(ますらお)で自分は丈夫ではないのかと激昂したため、フツヌシにタケミカヅチをそえて葦原中国に送ることになった。
 本来主役であったはずのフツヌシは葦原中国平定の場面ではまったく活躍せず、すべてをタケミカヅチに奪われる恰好になった。そのため、タケミカヅチと比べると影が薄い。
『古事記』ではタケミカヅチが最初から主役として扱われ、天鳥船神(アメノトリフネ)とともに天降ったといっている。そのため、アメノトリフネをフツヌシと同一視する説もある。
 フツヌシを下総国一宮の香取神宮(web)で祀るようになった経緯について記紀は記しておらず、経緯はよく分かっていない。
『古語拾遺』(807年)には「経津主神、是れ磐筒女神の子、今下総国の香取神是れなり」とあり、平安時代には香取神宮の神はフツヌシという認識となっていたようだ。
『延喜式』神名帳(927年)で”神宮”は、伊勢の大神宮(内宮)と鹿島・香取のみで、古くからこの二社は対の関係とされていた。利根川を挟んで対峙する恰好になっている。
 奈良の春日大社(web)に藤原永手が、鹿島のタケミカヅチ、香取のフツヌシ、枚岡神社(web)の天児屋根命(アメノコヤネ)・比売神(ヒメガミ)を御蓋山の麓に祀り(768年)、藤原氏が氏神としたため、春日神社系の神社で祀られている。
 鹽竈神社(web)でも、塩土老翁神(シオツチノオジ)とともにタケミカヅチ・フツヌシが祀られる。
 名古屋も同系列の春日社、鹽竈神社の祭神として連なっている。
 北区の八王子神社春日神社、中区の春日神社(大須)、中川区の鹽竈神社(西日置)

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