カムヤマトイワレビコ《神日本磐余彦天皇》

カムヤマトイワレビコ《神日本磐余彦天皇》

『古事記』表記 神倭伊波礼毘古命
『日本書紀』表記 神日本磐余彦天皇
別名 神武天皇、若御毛沼命(ワカミケヌ)、豊御毛沼命(トヨミケヌ)、神倭伊波礼毘古命、磐余彦尊、彦火火出見、狭野尊、始馭天下之天皇、他
祭神名 神武天皇・他
系譜 (父)彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
(母)玉依姫
(兄)五瀬命、稲飯命、三毛入野命
(皇后)媛蹈鞴五十鈴媛命
(妃)吾平津媛/阿比良比売
(子)手研耳命、彦八井耳命、神八井耳命、神沼河耳命(綏靖天皇)
属性 初代天皇
後裔 天皇家
祀られている神社(全国) 橿原神宮、宮崎神宮、狭野神社
祀られている神社(名古屋) なし
初代天皇・神武天皇。
『古事記』では天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズ)が玉依毘売命(タマヨリヒメ)をめとって生んだ第四子で、若御毛沼命(ワカミケヌ)という名で紹介される。その際、別名を豊御毛沼命(トヨミケヌ)、または神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)とする。
『日本書紀』は、神日本磐余彦天皇と表記し、諱(いみな)を彦火火出見(ヒコホホデミ)とする。彦火火出見は祖父の山幸彦こと火遠理命(ホオリ)の別名でもある。
 その他、狭野尊(サヌ)という別名もあり、磐余彦尊(イワレビコ)と略されたりもする。
 天照大神(アマテラス)から五世孫に当たり、日向国で生まれ育ち、15歳で立太子されたと『日本書紀』は書く。
『古事記』は前半生に関する記述はなく、神武東征から物語が始まる。『日本書紀』はこのとき45歳になっていたとしている。
 兄や子供たちを伴い、イワレビコは日向を後に大和を目指す。途中の戦で兄を失い、大和にはすでに天津神の饒速日(ニギハヤヒ)がおり、長髄彦の抵抗にあって大苦戦をしたものの、最終的には畝傍山の東南の橿原宮(かしはらのみや)に都を置いて即位するまで経緯を記紀ともに詳しく語っている。細かい部分は違ってはいても話の流れはおおむね共通している。
 事代主神(コトシロヌシ)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)を皇后とし、神八井耳命(カムヤイミミ)と神渟名川耳尊(カムヌナカワミミ)が生まれ、神渟名川耳が皇太子となり、第二代綏靖天皇(すいぜい)となる。
『古事記』は長子を日子八井命(ヒコヤイノミコト)とするも、『日本書紀』には登場しない。
 神武天皇がどんな政治をしたかなど、具体的なことは記紀には書かれていない。『日本書紀』は即位して31年経ったとき、国中を見て回り、いい国を得たものだと感慨にふける場面が書かれている。
 奈良県橿原市の畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)に葬られたとする。
 記紀の神武東征の話は非常に具体的ではあるものの、神武天皇の実在性については意見が分かれる。
『日本書紀』がいう即位した辛酉年を紀元前660年としており、これは時代区分でいうと縄文時代末に当たる。
 明治になって神武天皇の都があったとされる場所に橿原神宮(web)を建てる際に発掘調査が行われ、縄文時代の大規模集落跡が見つかったことから、何らかの史実を反映したとも考えられる。
 神武天皇/神日本磐余彦尊を祀る古い神社としては宮崎県の宮崎神宮(web)や狭野神社(web)などがある。他の神武天皇を祀る神社は新しいところが多い。
 名古屋に神武天皇/神日本磐余彦尊を祀る神社はない。神武天皇は九州や大和方面では人気があるのかもしれないけど、東国では影が薄い。ただ、東区の物部神社の御神体となっている大石は神武東征の際に尾張国の要石としたものという伝承が残っている。

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