鍛冶の神らしいのだけど
鍛冶の神とされることが多い。 『日本書紀』において国譲りについて書かれた第九段一書第二に登場する。 天神(アマツカミ)に葦原中国の平定を命じられた經津主神(フツヌシ)と武甕槌神(タケミカヅチ)は、地上に出向いていって大己貴神(オオナムチ)に国譲りを迫るも、オオナムチは拒否する。 それに対して高天原の高皇産霊尊(タカミムスビ)は現世のことは天孫が治めるから、オオナムチには神事(かむこと)を治めてほしいと提案し、オオナムチはそれを受け入れる。 ”吾將退治幽事”、自分は現世から退いて幽界(かくりよ)を治めようと言ったとしている。 幽界は一般的に死後の世界の意味とされることが多いのだけど、それはたぶん間違っていて、別の意味があるのだと思う。 黄泉の国や常世などに通じる概念で、単純に言ってしまえば裏社会といったような意味だと個人的には解釈している。 あるいは、政治は天孫がやるからおまえたちはマツリゴト(祭祀)に専念しろということかもしれない。 オオナムチが去った後、フツヌシは岐神(フナトノカミ)を先導役として葦原中国の各国を廻って平定し、その過程で大物主神(オオモノヌシ)と事代主神(コトシロヌシ)が従ったという。 そのオオモノヌシに対してタカミムスビは自分の娘の三穗津姫(ミホツヒメ)を妻にするよう命じ、永遠に皇孫(すめみま)を守るように言いつける。 このとき、天目一箇神(アメノマヒトツ)を作金者(かなだくみ)としたという形で登場する。 ”作金者”とは何かということは後回しにして、この場面で登場する他の顔ぶれを見ると以下のようになっている。 手置帆負神(タオキホオイ) 笠を作る作笠者(カサヌイ) 彦狹知神(ヒコサチ) 盾を作る作盾者(タテヌイ) 天日鷲神(アマノヒワシ) 作木綿者(ユウツクリ) 櫛明玉神(クシアカルタマ) 作玉者(タマツクリ) 太玉命(フトタマ) 御手代(ミテシロ) 天兒屋命(アマノコヤネ) フトマニによる卜事(ウラゴト) よく分からない部分もあるけど、神祀りに使う祭具を作る担当を決めたということなのだろう。
『古事記』に同名の神は出てこないものの、天照大御神(アマテラス)が天の岩屋戸に閉じこもってしまったとき、思金神(オモイカネ)が天安河(あめのやすかわ)の上流の天の堅石(かたしは)と天の金山の鉄(まがね)を材料に、鍛人(かぬち)の天津麻羅(アマツマラ)に求(ま)ぎて、伊斯許理度売命(イシコリドメ)に科(おほ)せて鏡を作らせたとあり、この天津麻羅を天目一箇神(アメノマヒトツ)と同一神とする考えがある。 ここでよく分からないのは、アマツマラに求(ま)ぎて、イシコリドメに科(おほ)せてという表現で、鏡を作ったのはアマツマラなのか、イシコリドメなのか判断がつかない。 文章のニュアンスからすると、鏡作りを主導したのがイシコリドメで、具体的に作業を行ったのがアマツマラという役割分担だったということか。 鍛人(かぬち)というのは一般的には刀工のことを指す。ただ、ここで作ったのは刀ではなく鏡だ。 この時代の鏡作りは、石で鋳型を作って、そこに熱して溶かした青銅を流し込んで冷やして固めるというやり方だったとされる。 ただ、鉄(まがね)といっているから鉄鏡とも取れるわけで、そこで刀鍛冶のアマツマラが呼ばれたということかもしれない。 古代に国内で鉄が採れたかという議論はあるだろうけど、ここでは保留としたい。 それよりも問題は、本当にアメノマヒトツとアマツマラが同一人物を指しているのかという点だ。 登場する場面が違っていて、『日本書紀』では国譲りの後なのに対して、『古事記』では天の石屋戸隠れの場面となっている。 単純に同じ人物と決めつけていいとは思えないし、時系列でいっても時間差がある。
同様の話が『古語拾遺』(807年)にもあって、ここでは『古事記』と同じくアマテラスの天の岩屋戸隠れのところで出てくる。 『古語拾遺』は、天目一箇神が刀剣、斧、鉄鐸(さなき)などの祭具を作ったと書いている。 『古事記』の天津麻羅(アマツマラ)は鏡を作ったとしているのに対して、『古語拾遺』は雑(くさぐさ)の刀(たち)、斧(おの)、鉄(くろがね)の鐸を作ったと書いている(『日本書紀』は作金者としたというだけで何を作ったかは書いていない)。 刀は祭祀でも使うとして、斧は何だろうと最初分からなかったのだけど、宮殿を作るための木材を切り出すときに使うものだろう。伊勢の神宮の式年遷宮では忌斧(いみおの)という表現をしている。 鐸(たく)は銅鐸の鐸で、大きな鈴を意味するとされる。 注目すべきはここでも”鉄”としている点だ。 当時の鍛冶屋は鋳物師も兼ねていたとしても、どちらかというと鉄を鍛えて刀などを作る鍛冶屋としての性格が強いように思う。
『古語拾遺』の崇神天皇のところで天目一箇神の名前がもう一度出てくる。 宮殿で神と同居することが恐れ多いと感じるようになった崇神天皇は、斎部氏に石凝姥神(イシコリドメ)の子孫と天目一箇神(アメノマヒトツ)の子孫に命じて鏡と剣を作らせ、護りの御璽(みしるし)としたとする。 三種の神器の形代(かたしろ)を作ったのは崇神天皇時代で、イシコリドメの一族が鏡を、アメノマヒトツの一族が剣を作ったとしているということだ。 『古語拾遺』作者の斎部広成(いんべのひろなり)は名前からも分かる通り忌部一族で、忌部にそういう話が伝わっていたと推測できる。 『古事記』と『日本書紀』の記述も、忌部氏の口伝や記録が元になっている可能性がある。
名前の由来
目一箇という名前から目が1つ、片目と鍛冶を結びつけて、鍛冶が片目をつむる仕草から来ているとか、火の粉を浴びて失明することがあったからそう呼ばれたという通説がよく語られる。 しかし、それが本当だとは思えない。たとえそうだとしても、名前は後付けで、別の人物の鍛冶としての一面を表しているだけとも考えられる。 そのことは後回しとして、もっと大事なのは天目一箇神という名前が示すように”天”の一族だということだ。 『日本書紀』で皇孫を守るように命じられたメンバーの中で天がつくのは天兒屋と天目一箇だけだ。 『古事記』の天津麻羅を同一とすると、ここでも天としている。伊斯許理度売命は天ではない。 天一族とは何かというのは難しい問題ではあるのだけど、無造作に付けられているわけではないことは確かで、天を名乗れる人物は限られている。 『日本書紀』、『古事記』では太玉命/布刀玉命とされているフトダマも、フトダマを祖とする忌部氏が書いた『古語拾遺』の中では天太玉命としている。 やはり天を名乗れるなら名乗りたいのだと思う。 ”神”と”命”の違いなどと言い出すと更にややこしくなるのでここではしないでおく。 いずれにしても、目一箇から片目の神と安易に考えない方がいいということだけは指摘しておきたい。それが必ずしも鍛冶とは結びつかないとも。 ギリシャ神話のキュクロープス(サイクロプス)もひとつ目の鍛冶神ではないかと思う人もいるだろうけど、それはそれ、これはこれだ。
系譜ならびに同一人説
『播磨国風土記』の託賀郡の条に天目一命が出てくる。 土地の女神の道主日女命(ミチヌシヒメ)が父親の分からない子を産み、その子に盟酒(うけひざけ)をつぐ相手を選ばせたら天目一命を選んだので父親だと分かったという話だ。 この話は何らかの象徴や暗示には違いないのだけど、天目一命を天目一箇神と同一としていいかというと、ちょっと考えてしまう。 ただ、ちょっと興味を惹かれるのは、ここに道主日女(ミチヌシヒメ)が出てくることだ。 『先代旧事本紀』(平安時代初期)や『海部氏勘注系図』では、天火明命(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)の妻で、天香語山命(アメノカゴヤマ)を生んだとしている。 ということは、天目一命は天火明ということになもなりかねない。その子というのは天香語山のことなのか。 あるいは、天目一命と天火明はまったくの別人なのか。
『古語拾遺』や『新撰姓氏録』(815年)では、天目一箇神は天津彦根命(アマツヒコネ)の子としている。 天津彦根命/天津日子根命は、アマテラスと素戔男尊(スサノオ)が行った誓約(うけひ)で生まれた五男神のうちの一人だ。 記紀で事績は語られていないものの、多くの氏族がアマツヒコネを祖としている他、三重県桑名郡の多度大社(web)の祭神として祀られていることからしても重要人物と考えられる。 天目一箇がアマツヒコネの子とすると、アマテラスの孫、つまり天孫ということで、天火明命(ホアカリ)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギ)兄弟と同世代ということになる。 以上からもアメノマヒトツ=ホアカリ説を簡単に捨てることはできない。 まったく別の性格を付された別の名前を持つ神が実は同一人物というのはあり得ることで、それも古代史を難しくさせている要因の一つなのだけど、いずれにしても同一人説や別人説を最初から排除することは歴史をやる人間の態度として間違っているということだけははっきり言っておきたい。
後裔ともう一人の同一人物説
『新撰姓氏録』で後裔を見てみると、筑紫国忌部、伊勢国忌部、山城国菅田首、山城国山背忌寸、大和国葦田首、山代直(山背国造)がいる。 忌部の祖は太玉命(フトダマ)だから、天目一箇は太玉のことだという説がある。 フトダマとホアカリはどうやってもつながりそうにないけど、アメノマヒトツを通じてどこかで結びつくことがあるだろうか。 天にいた鍛冶集団の象徴として天目一箇という人物像が作られたのだとしたら、そこにフトダマやホアカリが何らかの形で関わっていた可能性は考えられる。 鍛冶の知識や技術は特別なものだったはずで、それを行えるのはごく限られていたに違いない。 武器や農具だけでなく神器も作っていたとしたら豪族に従う職業集団ではない。天の一族の中で特別な鍛冶技術を持った人物、もしくは集団がいたと考えるのが自然だ。それらの人々は当然ながら重要な祭祀にも関わっている。 ただし、その人物(もしくは象徴として擬人化された存在)が神として祀られることはまた話が別で、技術集団から祭神として祭り上げられるまでの道筋を埋めることは容易ではない。 後裔一族が始祖を神として祀ることは自然なことではあるけれど、天目一箇を祀る神社は全国的に見ても意外なほど少ない。
祭神としての天目一箇
天目一箇命を祀る延喜式内社としては、兵庫県西脇市の天目一神社(web)がある。 これは上で紹介した『播磨国風土記』の託賀郡の天目一神の話にまつわる神社だ。 ただし、戦国時代から江戸時代にかけて所在不明となっていたものを明治になって再建したもので、今の神社が本当に式内の天目一神社かどうかは分からない。 その他、徳島県板野郡の天目一神社、大阪市天王寺区の鞴神社、滋賀県蒲生郡の竹田神社、三重県多度郡多度大社などで祀られてはいるものの、他の祭神の配神としてだったり、境内社としてだったりがほとんどで、天目一箇命を単独の主祭神として祀る神社はほとんどないのが現状だ。 昔はもっとたくさんあったのが減ったのか、最初から少なかったのかは分からない。 名古屋でいうと、熱田区の金山神社(金山町)が金山彦命と一緒に天目一箇命を祀っているだけで、他にはない。 同じく製鉄や金物の神とされる金山彦や一目連との関係はどうなのかも気になるところではあるのだけど、それは金山彦神(カナヤマヒコ)のページであらためて検討することにしたい。
まとまらないまとめ
『古事記』の天津麻羅と『日本書紀』の天目一箇神が同一かどうかは置いておくとして、作金者としたという『日本書紀』や『古語拾遺』の内容からして祭祀に使う鉄器や鏡などを作成する人物(または一族)というのは信じるべきかもしれない。 ただ、同一人説がいろいろあったり、神社の祭神として祀られている例が少なかったりするところに引っかかりを覚えることは確かで、忌部の特定一族が祖としている点も気になるところだ。 金属の神とされる金山彦と比較しても、アメノマヒトツの人物像というか実像はぼやけているように感じられる。 マヒトツの”マ”は本当に目を意味しているのか? 目ではないとしたら何なのか? 目一箇の読み方が”マヒトツ”ではない可能性はあるのか? ホアカリ同一人説やフトダマ同一人説も含めて、更に検討してみる必要がありそうだ。
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