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イシガミ《石神》

イシガミ《石神》

『古事記』表記  
『日本書紀』表記  
別名  
祭神名  
系譜  
属性  
後裔  
祀られている神社(全国) 石神社(神明神社摂社/三重県鳥羽市)
祀られている神社(名古屋) 石神白龍大王社(緑区)、石神社八幡社合殿(大須)(中区)、石神社(中村本町)(中村区)、石神社(星﨑)(南区)、猪子石神社・大石神社(名東区)

石神の起源とは

 古代人は(日本人に限らず)石を何か特別視していたところがある。イギリスのストーンヘンジに代表される巨石文明などが真っ先に思い浮かぶ。日本では縄文時代からストーンサークル(環状列石)が作られ、祭祀にまつわるものと考えられている(思い違いかもしれないけど)。
 石は神が宿る依り代という古代の思想がある。それを磐座(いわくら)と呼んでいる。
 信州諏訪地方にはミシャクジ(ミシャグジ)と呼ばれる古い民間信仰が知られている。現在は御社宮司などと表記されることが多いのだけど、ミシャクジと石神には関係があるという人もいるし関係がないという人もいてはっきりしない。
 石そのものが信仰の対象となることがある。巨岩や奇岩といった岩を特別視して祀るものだ。二見浦の夫婦岩などがそうだ。
 海外では石は建築の材料として古代から使われたのに対し、日本では石造りの文化は浸透しなかった。石を使った建造物としては古墳の石室くらいだ。あれだけの技術を持ちながら家屋として石を利用しなかったのは何故なのかはよく分からない。地震が多いから危険というだけでは説明がつかない。実際、中世になると寺や城の石垣が作られた。
 時代を遡れば、石は様々な道具として使われたというのはある。石器がその代表例だ。
 きれいな石を特別視していわゆる宝石として扱ったというのもある。糸魚川の翡翠で勾玉を作ったのはよく知られていることだ。
 後に石は石仏や墓石などに使われることになる。

 

記紀における石にまつわる神

 これらを踏まえた上で、石神や石神信仰とは何かとあらためて問いかけてみるけど、その問いに明快に答えるのは難しい。石神といえばあの神というのもパッとは思いつかない。
『日本書紀』に出てくる石に関係する神としては、石析神/磐裂神(イワサク)がいる。伊弉諾尊(イザナギ)が伊弉冉尊(イザナミ)の死因となった迦具土神(カグツチ)を十拳剣で斬り殺したとき、剣の先からしたたった血が天安河の五百個の磐石となり、剣の峰からしたたった血が磐裂神になったとする(一書第六)。
 一書第七では剣からしたたった血が天八十河にある五百個の磐石となり、そこから磐裂神が生まれ、次に根裂神が化生し、その子が磐筒男神、次に磐筒女神、その子が經津主神(フツヌシ)と書いている。
 經津主神は武甕槌神(タケミカヅチ)とともに葦原中国を平定し、後に香取で祀られたとされる神だ(香取神宮/web)。一方、布都御魂(ふつのみたま)の化身ともされ、これは物部氏の氏神として石上神宮(奈良県天理市/web)で祀られている。
 石神と物部には何かしらの関わりがあるようで、石神信仰には物部の存在がひとつ鍵を握っている。

 

山と石神

 その他、記紀に登場する石にまつわる神として思い浮かぶのが、石長比売/磐長姫(イワナガヒメ)だ。
 天孫降臨した邇邇芸命(ニニギ)が地上で一目惚れをした木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)をめとることになり、父である大山津見神(オオヤマツミ)は姉の磐長姫も一緒にめとわせようとしたところ、みにくいという理由で邇邇芸に送り返されてしまったというあの神だ。
 磐長姫の名が表すように岩のごとく永遠の命を象徴する神と解釈されている。その神をめとらなかった天孫の寿命は短くなるだろうと大山津見は呪いのような言葉を発したという。
 国歌の「君が代」に出てくる”さざれ石”というのは、小石が集まってひとつの大きな岩の塊に変化したもので、ここにも石が持つ永遠性のようなものが示されている。
 さざれ石の主な産地は岐阜県と滋賀県の境にある伊吹山で、伊吹山は日本武尊(ヤマトタケル)が命を落とす原因になった因縁の場所だ。
 木花之佐久夜毘売は富士山の神であり、その父の大山津見は文字通り山の神だ。山は石そのものという見方もできる。

 

海と石神

 石を宝石という視点で見たとき、珠(たま)や玉(ぎょく)もまた石といえるだろう。
 玉はきれいな石のことで、珠はもともと真珠のことをいった。
 記紀には海神・豊玉彦と娘の豊玉毘売/豊玉姫(トヨタマヒメ)と玉依毘売/玉依姫(タマヨリヒメ)姉妹が登場する。
 邇邇芸と木花之佐久夜毘売の子の山幸彦こと火折尊/火遠理命(ホオリ)と出会った豊玉姫は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)を生み、その子を育てた玉依姫が彦波瀲武鸕鶿草葺不合と結婚して生まれたのが初代神武天皇(カムヤマトイワレビコ)だった。
 玉依姫は別の神の共通名でもあり、玉=神霊の依り代となる巫女を表しているともされる。

 

石と神社

 神が石を依り代にするという発想は古代だけではなくその後もずっと続いて、現代でもそれは残っている。
 中世から近世にかけて、石を神に見立てて小さな祠で覆って祀る簡易的な神社ともいうべきものがたくさん作られた。山神などと刻まれた石を神社で見ることがあるはずだ。あれは村のあちこちで祀られていたものを明治以降神社に集めたというパターンが多い。
 それは仏教の石仏の影響もあるだろうけど、日本古来の発想でもある。
 神社と石でいうと、力石や重軽石などがある。力自慢の村の男が持ち上げた石だとか、占いに使う石といったものだ。それらも神が宿るものと考えられていたのだろう。
 他には、要石(かなめいし)と呼ばれるものもある。よく知られているのは、鹿島神宮(web)の要石だ。地震を起こす鯰(なまず)をこの石で押さえているのだという。
 名古屋の物部神社(筒井)はかつて石神堂と呼ばれていて、境内の下には御神体の巨大な石が埋まっている。
 神武天皇がこの地を平定したときに国の鎮めの石としたという伝承があり、それが物部神社になっているということは、物部が先で石が後とも考えられる。
 石神さんというと、三重県鳥羽市の神明神社が有名だ。女性の願いをひとつだけ叶えてくれるという話が伝わって、全国から人が訪れるようになった。
 この石神は玉依姫とされていて、海女さんたちが願掛けをしたことで知られる。
 名東区の猪子石神社と大石神社は、猪子石村の地名の由来となったとされる石が御神体となっている。

 

石と神話の補足

 石と神話についてもう少し補足しておくと、死んだ伊弉冉尊を追いかけて伊弉諾尊が黄泉の国へ行ったところ、伊弉冉の変わり果てた姿に驚き逃げ出し、追いかけてきた伊弉冉に対して千引石(ちびきいし)で黄泉の国の入口をふさいだという話が書かれている。
 石には境を示すという意味合いもあったようで、磐境(いわさか)はそういうことを意味しているのかもしれない。
 村の入口などに置かれた道祖神も一種の磐境だっただろうか。
『日本書紀』垂仁紀には白石を神として祀ったら童女になったという話があり、神社の玉砂利は邪気を祓うとか神聖さを示すものと考えられている。伊勢の神宮(web)の白石はよく知られている。
 神功皇后は腰に石を巻きつけて出産を遅らせて三韓征伐を行ったというのも、石には何か特別な力があると考えられていたということなのだろう。
 補足の補足として、石作部が祀ったと考えられる石作神社(尾張国の式内社が4社ある)や、石の鋳型を用いて鏡を鋳造した部民の祖の伊斯許理度売命(イシコリドメ)なども挙げておく。
 飛鳥の石造物信仰についても触れておこうと思ったのだけど、とりとめがなくなるのでこのあたりにしておく。

 

石信仰とは結局謎のまま

 結局のところ、石神や石神信仰とは何かという問いに対する答えはそう簡単には出ないというのが結論ともいえない結論ということになる。
 ちなみに、名字としての石神の由来は、桓武天皇の子孫と藤原秀郷の流れを汲む一族というふたつの系統が主なところという。石の棒のことを「シャクジ」ということが語源ともいうのだけど、そうなるとやはりミシャクジ信仰と関係があるようにも思えてきて振り出しに戻ってしまうのだった。

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