神社に浮き沈みあり
今日の1ページは中川区の須佐之男社(柳川)。
神社にも繁栄と没落といったものがあって、その浮き沈みは誰のせいでもなく、それもまた神の思し召しというものか。
小さな祠から立派な社殿を持つ神社になることもあれば、式内社が廃れて姿を消すこともある。
今まで生き残ったから絶対大丈夫ということもなく、小さなところは平成に入ってからも廃止になったものが少なくない。
平安時代ならものすごく古くて江戸時代なら新しいとはいえない。1000年という年月はもちろん短いものではないけれど、400年だってけっこう長い。
明治から激動の昭和を生き延びることはそう簡単なことではなかった。
そういう意味からいけば、今あるすべての神社に一定以上の敬意を払う必要があるように感じる。
意味や価値のない神社など、一社もないのだ。