2018年2月– date –
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サイト制作記
お願い事は控えめに
今日の1ページは南区鳴尾町ハノ割の稲荷社。 ここも新田の稲荷社だ。南区の南エリアはこのパターンが多い。江戸時代中期の人たちにとって五穀豊穣を願うなら稲荷さんというのが共通認識だったのだろう。それだけ強い力を持った神様だったということも... -
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総合理解が必要
今日の更新は2ページ。南区源兵衛町の三吉稲荷大明神、南区源兵衛町1の不明社。 名古屋の新田について少しずつ位置関係や歴史が分かってきたのだけど、まだまだ全体像は把握できていない。神社について調べていく中で理解していくしかない。 港区な... -
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『南区の神社を巡る』を見習うべき
今日の1ページは南区鳴浜町の千鳥神社。 昭和33年創建という新しい神社だからそこにはたいした物語や歴史はないだろうと思いきや、神懸かりのお告げで八大竜王を祀ったというのは興味深い話だ。 池を埋め立てたときに龍神を祀るというパターンはわり... -
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牛頭天王は須佐之男なのか
今日の1ページは南区源兵衛町の須佐之男社。 江戸時代に天王社を創建する場合、どこから勧請したのだろう。 近場なら津島神社だろうし、そうでなければ京都の祇園社(祇園感神院)だったと考えていいだろうか。 源兵衛町の天王社の場合、どこから... -
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消えた天白社
今日の1ページは南区天白町の天白神社。 天白川の名前の由来は川辺にあった天白社というのだけど、これは本当のことなんだろうか。その天白社についてはほとんど何も伝わっていないので、もしかしたら違うんじゃないかと個人的には思っている。名古屋... -
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江戸時代の農民にとっての八幡神とは
今日の1ページは南区要町の八幡神社。 南区の南のエリアはもともと海だったところで、中世以降に陸地化して、江戸時代に入ってから干拓などで新田にしたところが多い。なので、神社もそういう歴史的な流れと無関係ではない。言い方を換えれば、中世以...