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古代の白山社とはどういう性格だったか

 今日の1ページは守山区西城の白山神社
 牛牧の白山神社の正体が分からないのが気になるのだけど、とりあえず守山区の白山神社三社を終わらせた。
 守山区の神社は古墳に関係のあるところもけっこうあるから、遺跡も絡めて考えないといけない。
 飛鳥時代や奈良時代初期に本当に白山社が建てられたのだとしたら、それはけっこう重要な意味を持つ。白山社に対する概念を変えないといけないくらいだ。
 名古屋の地で白山に対する信仰心というのはどういうものだったのか。御嶽山でも富士山でもなく白山の神を祀ることの意味は何だったのか。
「はくさん」なのか「しらやま」なのかということも含めて、白山信仰というのは意外と分かりづらい。
 今後も引き続き白山に関しては考察を続けなければいけない。

 守山区を再開したのでこのまま最後までやってしまおうかと考えている。
 守山区は小さな天王社がたくさん残っていて、それをどこまで収録するかで迷っている。おそらくどこの天王社も調べてもよく分からないだろう。守山区に天王社がたくさん残った理由もよく分からない。
 天王社の収録を見送れば、守山区はわりとあっさり終わるのだけど。

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