今日の1ページは南区の若宮八幡社。
江戸時代後期に仁徳天皇を祀る神社を建てる必然があったのかどうかという点が一番分からない。全然理由が思い浮かばない。
問題は仁徳天皇が実在したかどうかや、どういう人物であったかではない。江戸期の人たちが仁徳天皇をどういう存在と考えていたかだ。
神社の本質を知るためには、祭神の実像よりも創建者の思いや認識を理解することが必要だ。祭神となっている神がいようがいまいが関係ないとさえ言える。
少なくとも、創建者の側に立って同じ風景を見ないことには神社を理解することはおぼつかない。
だからこそなのだけど、誰がいつ創建したのかがとても重要なのだ。そこだけは本当に記録しておいて欲しかったと思うのだけど、今更言っても仕方がない。少ない手かがりから推測するしかない。
それにしても、仁徳天皇とはどういう天皇だったのだろう。
日本一大きな古墳に葬られるにふさわしい天皇だったのだろうか。絶対権力者といった実像はまったく見えてこないから、あの巨大古墳とはイメージが一致しないのだけど。
ただ、大阪堺という場所柄を考えると、やはり仁徳天皇陵なのだろうかとも思う。他に候補となるような天皇はいないし、仁徳天皇陵の可能性がある他の古墳というのもなさそうだ。豪族クラスではあの規模の古墳は造れないだろう。
まあ、応神天皇も戦の神といった性質ではないのに戦の神として祀られていることだし、実像と祭神は別といえばそうだ。
平安、鎌倉期の人たちが応神天皇は戦の神だとしたのなら、それは間違いではない。
神は人が作り出すもので、人間が神を見つけなければ人間にとって神は存在しないのと同じなのだ。
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