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『尾張国神社考』は珍本なのか?

 今日の1ページは物部神社
 高牟神社とセットでできたので、これでいったん保留とする。
 結局、分からないことが分かっただけだったけど、分からないことが分かることが大事なので、よしとしたい。何が分からないのか分からないのが一番よくない状態だ。
 尾張物部氏についてはどこか他でも出てくるだろうし、タカミムスビについては相変わらずよく分からないので今後の課題として残る。

 津田正生『尾張国神社考』という本がある。
 先駆者である天野信景の『尾張神名帳集説』を改訂しつつ独自の見解を付け加えた本だ(原題は『尾張神名帳集説本之訂考』)。
 著者の津田正生という人は江戸時代後期から幕末を生きた人物で、『尾張国地名考』の著者として一部ではわりと知られている。
 主に式内社について考察しているのだけど、内容がかなりぶっ飛んでいる。珍説続出で、何言ってるんだ? おっさん、と思うところがしばしばある。
 たとえば渋川神社は、尾張旭市の印場にあるものではなく、中志段味の諏訪明神(諏訪神社のことか)で、印場の渋川神社は坂庭神社のことだなどと書いている。そんな説はこれまでまったく聞いたことがない。
 守山区の小幡が尾張戸のことだとか、突っ込みどころ満載で、おいおい、ホントかよ、という感じだ。
 定説ではないことが多数書かれていて、中には真実や鋭い指摘も混じっているのだろうけど、どこまで信じていいのかまるで分からない。分からないけど、とりあえず頭から拒否するのではなく、いったん耳を傾けてみたい。とても全部は信じられそうにないけど、何かヒントになることがありそうだ。

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