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災害と神社の関係

 今日の1ページは港区の二名社
 五社社とか六所社とかはあるけど、二名社というのは珍しい。通常、神は一名、二名といった数え方はしない。名古屋市内では他にはないはずだ。本当に最初から二名社だったのか、やや疑問だ。
 熱田沖の新田の神はアマテラスとヤマトタケルが人気だった。江戸時代中期以降の尾張人にとって熱田大神はヤマトタケルのことだったのだろうか。それとも熱田大神を祀っていたのを明治以降にヤマトタケルとしたということか。
 干拓による新田作りはどこも苦労したようだし、一度完成させても台風が来れば堤防が決壊することもあって、そうなると苦労は文字通り水の泡となってしまう。川の決壊も恐ろしいけど海は塩水だけにもっとタチが悪い。一度塩水に浸かると何年も米ができないということもあったはずだ。
 そんなふうに苦労して作った港区だったけど、今や水田などほとんどなくなってしまった。海も遠くなり、神社の神さんたちの役割も変わった。
 それでもまた伊勢湾台風みたいなのが来ないとも限らないし、地震による津波の心配もある。神社はやはり必要だ。
 名古屋は東北の土地が高く、南西の土地が低い。南西ほど神社が多いというのは災害の多さと無関係ではないだろう。東北と南西とでは災害を恐れる気持ちの切実さが全然違う。
 港区は歴史が浅い割に神社が多い。神社の数が多い土地ほど悲しみも多いといえそうだ。

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