神社はバトン
今日の1ページは中川区八田の秋葉社。
住宅地が先か、神社が先か。
住宅事情に合わせて神社を建て直したのか、神社をよけるように住宅が建ち並んだのか。
ここの場合、どちらともいえないロケーションにある。
地図を見ても細い道が入り組んでいて、きちんと東西南北に通っていない。曲がりくねったり折れたりして、ちょっとした無駄スペースができて、そこに神社が収まっている。いい場所見つけたね、といった感じに。
土地の有効利用と神社は必ずしも矛盾するものではない。現代には現代の神社事情がある。昔のようにはいかない。
大事なのは規模じゃないし、格好でもない。とにかく生き延びることなのだ。
神社も一度消えたらまずは戻らない。一昔前なら復活もあり得たけど、今はもう厳しい。
数百年積み重ねた歴史も、一日で消えてしまう。小さな神社などは人力でも壊せるくらいだ。
神社の歴史の何がそんなに大事なのかと人は問うかもしれない。神社は人がつないできたバトンのようなものだ。私たちの世代は過去からのバトンを受け取り、未来へと受け渡す使命がある。そんなバトンにどれほどの価値があるものかと言ってしまえばそれまでなのだけど、理屈抜きに渡せるものなら渡すべきだと思うのだ。
そのことにどんな意味があるかは未来の人が決めることで、私たちが今決めることではない。
神がいるとかいないとかと、神社が必要かどうかはまた別の話だ。