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神仏習合も分離も日本的

 今日の1ページは中川区荒子の神明社
 明治の神仏分離後も、寺と神社が隣接しているところはけっこうあるけど、荒子観音のようにほぼ一体化したままというところはあまりない。
 神仏習合は日本の宗教史の中の一時代のことに過ぎないのだけど、日本人らしい発想であり、一種の発明といってもいいかもしれない。
 習合というと混ざっているようなイメージを抱くけど、実際は合体といった方が合っているように思う。
 社とお堂が融合していたわけではなく、寺は寺、神社は神社で独立しながら同じ場所にあったのが神仏習合の姿だ。寺の人間が神社を管理していたといっても、神社の社殿をお寺のお堂に変えたわけではない。寺は寺、神社は神社という独立性は保たれていた。
 だからこそ、神仏分離ということが曲がりなりにも実現したのだ。
 神仏習合を経ての神仏分離をした今の姿もまた、日本人の宗教観がよく表れているものだと思う。
 神社で初詣をして、仏式で葬式をして、教会で結婚式を挙げても何の不都合もない。神社にお参りするし、寺でおみくじを引いたりしても、矛盾はない。
 そのあたりの感覚を外国人が理解するのは難しいことだとは思うけど。

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