今は春日神社、過去はどうであれ
今日の1ページは中川区昭和橋通の春日神社。
鬼頭景義がどうして新田の神として春日神を祀ったのか不思議に思ったのだけど、もともとは天照皇大神社だと知ってやや納得はいった。ただ、やはりどうして神明系の天照皇大神社だったんだろうという疑問は消えない。
900メートルほど西南にも皇大神社がある。どちらも江戸時代は神明社と称していたのではないかと思うのだけど、いつどうして皇大神社を名乗るようになったのかはよく分からない。
最大の疑問は、何故、神明社から春日社に変える必要があったのかという点だ。
八幡社が流行った中世に別の神社から八幡社に変わったといった例はそれなりにあるけど、尾張では春日社はそんなに流行ってはいない。それに変わったのはそんなに昔の話ではなく、もしかすると昭和かもしれない。
神社にもそれぞれ事情があって、外部の人間にはうかがい知れないことも多い。今ある姿を受け入れるしかないということか。