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知り得ないたくさんのこと

 今日の1ページは中川区東起の白山社
 成り立ちが今ひとつよく分からない神社だ。単純そうで単純じゃない。
 東起城の城主だった前田三郎四郎和春が城の守りとして創建したのなら話は簡単だ。けど、『愛知縣神社名鑑』のいうところの「荒子観音の山門の神として建立した」となると、はてな? となる。荒子観音の変遷もよく分からないので、余計に混乱する。
 戦国時代にいったん捨て置かれて、江戸時代前期に復活したという流れはそうだったのだろう。誰がやったのかまでは分からない。東起村の住人だったのか、もっと上の人間だったのか。
 神社の歴史というものを細かい分まで知ることは難しいと今更ながら思う。誰がどういうふうに絡んでいるかまでは分からないし記録には残らない。誰もが知るビッグネームが出てきたとしても、かえってそれが嘘くさいということもある。実際やってないこともやったことになっている例は少なくないと思われる。
 神社の真実を追究することがこのサイトの目的ではないのだけど、ときどきすごくもどかしく感じることがある。

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