祟りはあるといえばある

 今日の1ページは中村区剣町の八劔社
 江戸時代中期に七所社に遷したら村が祟られたように悪くなったので元に戻したという言い伝えは興味深い。記録には残っていなくても、実際あったのだろうと思う。
 村に疫病が流行ったことと神社を遷したことが直接関係があったかどうかは分からない。
 神社を遷すことになった理由があったはずで、もしかしたらそのことに対して村人たちが何ら後ろめたさのようなものを感じていたということがあったのかもしれない。
 日本人は古くから言霊や怨霊といったものを実在として信じてきた。江戸時代にもそれはある程度残っていたはずだ。
 それらは集団的な気分の共有ともいえるもので、集団の気分は現実に何らかの影響を与えることがある。流行といったものもその手のものだし、悪方向に向かえば全体が悪くなるというのは充分に起こりえることだ。
 神社を遷したのがいけなかったんじゃないかと誰かひとりが言い出したら全体がそう思い込んで事実とされたということだっただろうか。
 岩塚の七所社というのはちょっとただごとではないところなので、周囲に何かと影響を及ぼしただろうし、八劔社側の怒りというよりも、遷された側の七所社側の怒りだったかもしれないとふと思った。