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神は空間と時間が作るもの

 今日の1ページは、中区の朝日神社
 式内社かどうかとか、本当の祭神は何かとかよりも、今日の朝日神社のような神社にまつわる歴史的エピソードを絡めたものの方が書いていて楽しいし、訪問者にとってもそうかもしれない。できることなら毎回こんなのを書きたいところではあるのだけど、まあそうもいかない。式内社とか祭神とかもやっぱり気になるし、考えたい。
 江戸時代あたりに創建されたり遷座したりした神社は歴史が浅くて面白み欠けるという先入観は間違っている。江戸時代といっても前期ならもう400年も経っている。相当な歳月だ。
 江戸時代の人々の暮らしと神社との関わりというのもなかなか面白くて興味深い。『尾張名所図会』などがそのことを教えてくれる。
 名古屋の歴史は意外と深い。古い層から新しい層まで順番に積み重なっている。縄文時代からこの地に人が暮らし、弥生時代の遺跡も見つかっている。古墳も大量にあるし、奈良時代、平安時代の歴史も垣間見える。もちろん、戦国時代のエピソードにも事欠かない。
 神社もそういった歴史の上に立っていて、時代と共に常に上書きされてきた。ずっと変わらないことが正しいのではなく、常に新しく生まれ変わりながら時代を超えてつながっていくことに意味がある。古い社殿だけが神社のありがたみではない。
 神社は空間であり、入れ物であり、時間だ。そこに人々の思いや念といったものが詰め込まれている。それが外へ逃げないように囲って守る必要がある。
 神社における神とは、人々が長い年月をかけて作り上げたものだ。最初からそこにあるものではない。ひとりの人間も、そこで祀られて数百年もすれば立派な神になる。
 目には見えなくても確かにそれはそこに在る。その神につながるために人は神社へ行くのだ。自分もまた、神社を構成する上で欠くことのできない一要素だ。

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