今日の1ページは名東区の高針高牟神社。
高針高牟神社は『延喜式神名帳』の愛智郡高牟神社じゃないだろうと最初から思っていたのだけど、式内じゃないからといって軽視していいかといえばそうではない。意外とここは古社の可能性もある。
どうして昭和26年というタイミングで高牟神社に改称したのかが分からない。八幡社でよかったのではないかと思うけど、何か改称しないといけない理由でもあったのだろうか。
式内社の可能性が少しでもある神社ならば式内を名乗りたいには違いないけど、そうじゃないと分かるとかえって説得力を失うことにもなりかねない。
無名の人間が真面目に描いた絵に有名画家のサインを入れてしまえばそれが偽物になってしまうみたいに。
名東区は神社が少ないところだ。主だったところでいうと7社しかない。区別でいうと名古屋市内では一番少ないのではないか。
区全域に古墳時代以降の古窯がたくさんあったことを思えば、もっと多くの古い神社があってもよさそうにも思うのだけど。
これだけ古い神社が少ないということは、陶工集団と神社は無関係と考えた方がいいかもしれない。
今は名東区は住みやすい街といわれているのだけど、古代においては住むにはあまり適さない土地だったのだろうか。
コメント