927年という悩ましさ

 今日の1ページは名東区の藤森神明社
 式内社の論社のひとつというのは、ある意味では希望が持てる。はっきり式内社を名乗れないとはいえ、どこかに可能性を残していて、夢とロマンがある。
『延喜式神名帳』に載っていることが絶対的ではないことは多くの人が知っている。それでもやはり、1000年以上の歴史を重ねてきたという事実には重みがある。1000年という単位は想像することが難しい時間の長さだ。
 式内論争は江戸時代から400年以上行われてきた。明治の初めにとりあえず決めてしまったことが現代までそのままになってしまって、中にはけっこう怪しいところも含まれている。だからこそ、いまだ多くの人が式内社についてあれこれ論じているわけだけど、その推理ごっこを楽しんでいる部分はある。
 それにしても『延喜式』成立の927年というのは微妙で悩ましい年代だ。現代から振り返ると平安時代中期というのは充分大昔ではあるのだけど、古墳時代が3世紀から7世紀、200年代から600年代ということを考えると、むしろ遅すぎた感もある。編さんされたのがせめて奈良時代であればと思う。それだと登録された神社数はもっと少なくなるけど、本当に古い神社というものが分かったはずだ。平安時代に入ると神仏習合が進んでしまって、神社の本質が少しぶれてしまったところがある。
 一般的な形での神社創建が始まったのはいつなのか。有名どころの大社も実際の創建年は600年代とか700年代とかなのだろうけど、それ以上古いところとなると、どこまでさかのぼれるのかが分からない。
 弥生時代の高床倉庫のことを考えると、社殿を建造する知識と技術は紀元前くらいからあったのかもしれない。だとすれば、最古の神社もそれくらいまでさかのぼるのか。
 山や岩を御神体とする信仰と社殿を建てて神社を造ることと、その境目には何があったのだろう。
『古事記』、『日本書紀』も新しいといえば新しすぎる。



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