変化もまた本質
今日の1ページは中川区新家の天満宮。
ここは天満宮ではないだろうと分かったようなことを言ってはいけないと自戒する。
神社が天満宮といっているのだから天満宮なのだ。部外者がそれは違うなどと言っても意味はない。
神社の性格が移り変わっていくことは近代に始まったことではなく、変化もまた神社の本質の一面だ。
歴史の中で祭神が入れ替わることも少なくない。いつが本当でいつは本当ではないとは言えない。
歴史をほじくり返して創建時の祭神を突き止めたからといって、その神社の本質を見抜いたことにはならない。
今ある神社の姿を受け止めて、守り伝えていくことが最も大切なことなのだろうと最近思うようになった。
それは、名古屋の南西エリアで様々なタイプの神社を見たからというのが大きい。名古屋北西部の神社だけで名古屋の神社は語れない。
まだ見ぬ神社との出会いの中で、これからも神社の見方は変わっていくことになるのだろう。それは全然嫌なことじゃない。