今日の1ページは中村区の八所社。
由緒ありげに見せかけて実はそうじゃないのか、その逆なのか、よく分からない神社だ。
あの境内の感じからすると全然すごい神社とは思えないのだけど、謎めいていることがいわくありげだ。
八所とか六所とか、こういう数字系の神社は苦手意識がある。よく分からないからモヤモヤする。
神仏習合というのもひとつのキーワードなのだろうけど、それにしても、どうしてこんなに伝わっていないのだろう。どこで途切れてしまったのか。
神社の歴史が途絶えてしまった大きな要因として、戦国時代と第二次大戦がある。名古屋は空襲で焼けたところが多かったから余計にそうだ。
川の氾濫で流されたなどという話もちょくちょく出てくる。
神社庁などが詳しい調査をして記録をまとめてくれれば私などが出る幕はないのだけど、『愛知縣神社名鑑』ですらあれだけの記録しかないとなると、一般人としては早々に限界を感じることになる。
名古屋の主だった神社をすべて回って、せめて神社名だけでも登録することを必要最低限のお役目と考えたい。
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